2018年8月26日日曜日

夜嵐





夏の甲子園は大方の予想通り大阪桐蔭の2度目の春夏連覇で幕を閉じた。しかしその大阪桐蔭を悪役にしてしまうくらいインパクトが強かった高校が、秋田県立の金足農であった。


横浜相手に逆転ホームラン、さらに準々決勝では逆転サヨナラ2ランスクイズというミラクル、なんといっても原動力はエース吉田輝星だろう。伸びがあるとはためにも分かる素晴らしいストレート、スプリット、ツーシーム、スライダーで三振の山を築く勝負強いピッチング。秋田県勢はなんと第1回大会以来103年ぶりの決勝進出、東北勢初優勝の期待もかかり、非常に大きな話題となった。もはや社会現象だった。


とても面白い第100回大会だったと思う。いま息子と嵐の「夏疾風」を覚えようとしている(笑)。


さて、この週後半は早くから台風が来襲すると予測されていた。私も日々紀伊水道を北上という最悪のケースか、西側にそれ先に四国に上陸か天気記事を毎日見ていた。


先日も書いたが、私は台風が異常にキライである。今回も来るという前々日はめっちゃ動揺していた。やだやだやだ、という感じで。


前日にやや進路が西方面にそれ、また当日に勢力がちょっと落ちた、非常に強いから強い、になったこと、どうやら中心部とだいぶ東側の降雨量が多く、阪神地区はその間に当たりそうな感じ、という情報を得て落ち着いてきた。個人的にはこういったときは会社に行ったほうが落ち着く。


早々に帰る。先の西日本豪雨のときは電車はともかくバスが来ず、帰り着くのに4時間も

かかったからだ。空いてはいたが、帰宅するサラリーマンはゾロゾロいた。通常の帰宅時間帯には混乱は見られなかったそうだ。分散したんだろう。


備えをしてシャッターしめて、早々に寝る。雨風が強まったのは日付が変わる頃。徳島に上陸した台風は四国を抜け姫路付近に再上陸した。シャッターを閉めていれば雨風の音はあまりしないのだが、暑くて目が覚めた。妻が言うには短い時間停電していたらしい。冷房をつけると涼しくなったが、しばらく眠れず。しかし2時には風も弱まりぐっすり寝た。


翌朝、阪急しか動いてないようだったので、いつものJRは諦め、阪急の駅へ。最初の特急はぎゅう詰め。次の通勤特急、その次の普通を待つ。普通に乗るつもりだったが、後ろの方に並んだこともあって通勤特急はあまり多くない。中の吊り手につかまって行けた。出入り口付近は人が多かったが、ラッキーなことに意外に楽だった。


鉄道各社も今年の地震や豪雨で学習した面もあったのか、この日の夕方までにはほとんど正常に戻っていた。でも災害で交通機関乱れる、はもう今年はいいわ、という感じである。


台風が来た日の日中は大きな雲はあったが、よく晴れてとてもこれから大荒れとは思えない天気。台風はコンパクトで速度も速く、2時間くらいで去って行った。通り過ぎた後は風が強いのが週末まで残り、ものすごく湿度温度が高くなった。暑い。


もう台風ゴメンだからね今年は、つってもまた来るんだろな。やだやだ。


土曜日はいつものように開館から図書館で本を読む。トム・ロブ・スミス「チャイルド44」。2009年のこのミス海外版1位。友人からも進められていた。これは犬の散歩中にたまたま後輩がブックオフに行くところに出会い、好きなの持ってってください、というのでもらってきた本。やっぱ図書館は涼しくて集中できる。


そのあと10時開店のブックオフへ。きょうは単行本が全て500円の日。私は通常単行本は持たない。ハードカバーは場所を取るし高いから。しかし一つだけどうしても欲しい本があった。直木賞受賞作、門井慶喜「銀河鉄道の父」である。去年から宮沢賢治にハマりっぱなしの私は読みたくてたまらなかった。周りに持ってそうな人いないし。


行ってもあるとは限らない。実を言うとこれまで割引クーポンなんかがあるたびに行ってみたが無かった。でも今回は予感があった。開店と同時に入って探す。やっぱりあった!特に誰かと争いもせず。


一応他も見る。今年の上半期直木賞の島本理生「ファースト・ラヴ」があれば買っただろうが、無かった。ハルキの「騎士団長殺し」は持ってる人多いし。辻村深月「かがみの孤城」もない。心惹かれるものはあったが絶って、でも勢いで北村薫「太宰治の辞書」も買う。108円じゃないけど。またハードカバーを人に借りて読んだんだけど。この本で触れられている太宰はだいぶ読んだし、また芥川の著作も読み進んでるし再読にはタイミングがいいのだ。カオリスタとしては綺麗なやつを保存しときたいし。


というわけでホクホクで帰る。いつもいく100円ショップが改装のため1ヶ月閉店だとか。困るなあ。ただでさえ来月からバスのダイヤが大幅に変わりせっかくのお気に入りリズムが崩れるのに。世は移りゆく。


ホークスの元メジャーリーガーサウスポー、ミランダは打てない。ぴー。


日曜日は別の市立図書館へ。テクテク川ぞいに歩く。街路樹が遊歩道に陰をつくり、この季節涼しげ。気になっていた内田百閒「私の漱石と龍之介」、フィリップ・K・ディック「ユービック」借りてくる。さあ、読みたいのたくさん。がんばである。


週の初めは猛暑、週末はやわらぐとか。秋の到来を期待。

2018年8月19日日曜日

お盆に死の体験を振り返る。





お盆の週は1日休んだだけであとは出た。電車バスが少なかったのも15日までで、16日からはそこそこ電車も人がいた。


お休みは図書館行って神戸十字屋にハイライ(ハヤシライス)食べに行って、映画見て、おしゃれな喫茶店を探して行ってみた。


映画はハズレで、カフェは若い女子かカップルばかりだった。でもま、いい休み。リフレッシュ。帰りに三宮ガード下で100円のハーフボトル梨ジュース買ったら美味かった。


さて今回はお盆の週ということで死の体験をあまり深くならずに振り返ってみたい。


私にとって最初の死は祖父だった。私が4才の時に亡くなった。私は起きたその足で祖父の部屋に行き膝に座るほどのおじいちゃん子。自転車の前の補助座席に座って、少し離れた川の方まで連れてってもらったりした。

 病院の霊安室でみたおじいちゃんはまだ生きているようで不思議だった。


母方の祖父、母方の祖母、父方の祖母と亡くなり葬式を出した。小学生の同級生の父親が急死し、葬儀に行ったこともあった。


大学4年の夏にゼミの1つ上の先輩が亡くなり、有志で葬儀に、神戸まで行った。出棺まで手伝った。実はそんなにつきあいの深い人ではなかったが、母親さんの「夜ふらっと『ただいま』って帰ってくるんじゃないかと、今も思ってる」という話だけは心に残った。


その後は社会人になってからになる。部の部長が在職のまま亡くなったり、会社入った時にお世話になったもと上司が急死したりした。同僚が自殺したとかで2人の女性から別々に長い話を聞いたことがある。どちらも近しい人が自ら命を絶ったことにショックを受け、なぜか本当に分からない、理解できないと嘆いていた。


東京時代に、千葉の叔父が亡くなった。あまり会うことはなかったが、明るくて好きな叔父だった。初めて海ほたるを渡った。葬儀の場で、長らく合わなかった父や親戚、いとこと顔を合わせた。


それからほどなく、会社に入ったときの部署の一つ上の先輩が自殺した。泥酔時の失態を恥じた上でのようで、これはショックだった。葬儀もなく、訪ねてもいけない。確かに気のいい反面、変わっていて、心を開かず、結婚もせずの人だった。よく知る後輩としては、悩みを打ち明ける相手がいなかったのではないかと思った。しばらく落ち込んだ。


同窓会が盛んになって、同級生にも自殺したものがいることを聞かされた。そして部活のキャプテンが、脳腫瘍で亡くなった。付き合いはなく知らなかったが、若い頃から病魔に侵されていたらしい。中学からの知り合いで家も近くよく遊びに行き来した。予備校も一緒だった。つきあいがなかったから大丈夫だろうと思っていたが、その後1年ばかり引きずった。東京出張のおり、横浜に住む同級生に、気持ちを吐き出したくて呼び出した。


もう年齢も年齢だが、その後2年くらいで同級生が3人亡くなり、仲の良かった者もいた。そして叔母が先だって鬼籍に入り、妻は最近大阪支社時代の同僚が急死し葬儀に出かけてきた。


いままた死の影が忍び寄ろうとしている。


変わらずにいられるものなどない。ここしばらく身にふりかかる死はなかったが、やがて来る。最近は人の便りに必ず身体にきをつけろと書いているが、私も気をつけなければ。そして心を整えて、我が身ばかりでなく他の人を守らなければ。

2018年8月13日月曜日

暑い熱い





シベリウスのヴァイオリン協奏曲が聴きたくなって、オイストラフとハイフェッツと庄司紗矢香を聴き比べてみた。


やっぱりオイストラフは力強さが特徴だなと思う。シベコンのような繊細な曲をオイストラフが弾くとどうなるかと思ったが、独特の抑えた感じが出ていて、意外に良かった。ハイフェッツは演奏機械と言われただけあって、実に正確。しかし正確な機械が組み立てる演奏には心を動かすものがある。大好きなサビには聞き惚れてしまう。庄司紗矢香だけCDではなく録画だったけど、さすがに2人に比べれば芯がややフワッとしてるかな。クラシックは過去の巨匠と常に比較されるから気の毒な面もあるな、なんて思った。


最高気温高いけど、関東に接近した台風13号で朝晩は多少気温が下がった。盛夏は終わりか?


田中一村展を佐川美術館に観に行った。亡くなるまで奄美大島に20年暮らした画家で、画壇と揉めたこともあってか日展にも落選しており華々しい認知度は得ていない。今回7歳の時の絵から出展してあったが、もう大人の画家と同じ出来映え。まごう事なき天才である。色遣いもディテールも上手い。自らたくさん飼っていたという鳥の絵は枠線がなく美しかった。一方で風景画の構図はパターン付いているな、と思った。


代表作、奄美大島の3点は絵はがきを買った。読んだ本の表紙のアカショウビンの絵もじっくりと観た。


NHKが番組にしていたので滋賀の佐川美術館でやってるのを知ったのだが、知名度のある画家でなし、お客さんあまり多くないだろと思い朝一番に行った。


新快速で京都駅。向かいのホームには湖西線。えらく古い車両だった。乗り換え時間が短くて、車両にトイレが付いてると分かった時はホッとした。


で、堅田駅に着いてみるとバス停には長蛇の列。うわー、ナメてた。キュウキュウになって15分。途中琵琶湖大橋通って湖西から湖東に渡るのだが写真を撮れる態勢ではなかった。帰りのバスは守山行きがちょうどいい時間。また堅田に戻る時さらに人多そうだし、比叡山坂本から登ろうかなとちらと考えたが暑過ぎるのでやめにした。


守山には30分ほどで到着。駅前の喫茶店でハンバーグ定食を食べて新快速に乗る。京都まで時間かかるんだなあ。


京都で降りて、伊勢丹の大階段を見て、地下鉄で四条へ。烏丸から河原町までは地下道を歩いて、祇園の本屋カフェへ。ライディング・ゼミなど活発な活動をしている本屋さんだ。1階に座敷有り、2階はテーブル椅子を置いたスッキリした造りのスペース。窓際に陣取り、アイスコーヒーと扇風機とスマホ充電と本。しばし休息の1時間。途中からおばさま方うるさかったがまあ満足。店舗で若い女店員と歓談。新しいことを生み出すのは素晴らしいが、私的には文豪の話も流行作家の話もしたい。


情緒ある祇園を後にして阪急で帰る。途上真瀬もとという人が書いたシャーロッキアンもの2冊を読んでいる。2年前に1巻を買って、今回23巻が手に入ったから一気読みした。


土曜日は妻子が大阪のイベントに出かけるとのことでお留守番。冷凍ピラフとイワシ蒲焼き缶とちくわの好きなもの夕食。本読む。この日図書館で宮沢賢治の未読ものを読もうと探したが、夏休みだからか全部なくて、解説書方面を借りてきた。


日曜日は借りた「宮澤賢治フィールドノート」を読み込む。ああ記念館行って、山猫亭でイーハトーブ定食食べて、イギリス海岸訪ねて花巻温泉に泊まり、小岩井農場もめがね橋も見てみたい。浸ってしまった。


帰って高校野球。第3試合の星稜vs済美は強豪校同士の、球史に残る死闘となった。タイブレークの延長13回、表に星稜が2年を取ると、済美はそのウラ逆転サヨナラ満塁ホームラン。とんでもない試合だった。打てるし150キロのエースがいる星稜は優勝候補の一角かと思ったが、済美の前に散った。心震えるいい試合だった。


夜はパンフレット整理して映画メモリーの執筆に勤しむ。あの頃に戻って、もう一度観てみたいのばっかりだ。若かったなあ・・。


夜空は真夜中になって晴れてきたのでペルセウス座流星群見てみたが、40分見上げ続けても当たらず、こんなんは珍しい。明日は仕事だし諦めて寝る。冬のふたご座流星群を楽しみとしよう。

2018年8月11日土曜日

7月書評の4





過日、趣味の合う、頼れるセンパイと暑気払い。ワインを飲みつつバクバク食って、わーっと話す。呑むようになって20年くらいだけど、ずっと楽しい。今後もたまに行けますように。

さて、7月は17作品17冊。年間トータル100作品越しました。おそらく史上初。

まだまだ、読むぞ。


「宮沢賢治詩集」


ドヴォルザーク「新世界より」、チャイコフスキーの交響曲第5番を聴きながら読んだ。宮沢賢治も聴いたかなあ、なんて思いつつ。


出版された「春と修羅」ほか当時発表されなかった「春と修羅」第二集、第三集ほか「雨ニモマケズ」を含む沢山の詩が収録されている。


出版された「春と修羅」第一集では性格的な位置付けがうかがえる「屈折率」に始まり「永訣の朝」など妹トシを失った悲しみが滲む作品が多い。


第二集は花巻農学校に勤めていた時期に創作した詩のようで、法華経、また星や山河、地層、得意の石といった科学的な言葉を散りばめた創作が展開されている。


トシへの思慕の念はいたわしいが、自然への念を込めた詩は伸びやかでかつリリカル。童話で感じるえもいわれぬ爽やかさが詰まっている。


◆異途への出発

「月の惑みと

巨きな雪の盤とのなかに

あてなくひとり下り立てば

あしもとは軋り

寒冷でまっくろな空虚は

がらんと額に臨んでいる」


◆渓にて

「はやくもぴしゃっといなびかり

立派に青じろい大動脈のかたちである

さあ鳴り出した」


一部を取り出した引用だが心をつつく表現。


また「赤く濁った火星がのぼり」だとか土星のことを「サファイア風の惑星 」と書いたりだとか、読み手の心を惹く言葉も。


「詩ノート」には、教師らしく

◆生徒諸君に寄せる

という詩もある。


「新しい時代のコペルニクスよ

余りに重苦しい重力の法則から

この銀河系統を解き放て


新しい時代のダーウィンよ

更に東洋風静観のキャレンジャーに載って

銀河系空間の外にも至って

更にも透明に深く正しい地史と

増訂された生物学をわれらに示せ」


キャレンジャーとはイギリスの調査船のこと。


解説によれば、「春と修羅」が売れなかったことで宮沢賢治は生前は無名だったイメージが強いが、出版当時佐藤惣之助が激賞し、中原中也らは注目して論じ合っていた。彼らを瞠目させたのは科学用語、宗教用語、さらには方言という語彙の斬新さだったという。


地層のこと、硫化水素など化学の言葉、鉱石の専門的知識。今回出て来た鉱物はほとんど調べてみた。


石英安山岩(デサイト)

薔薇輝石(ロードナイト)

陽起石(アクチノライト)

銀星石(ウェイブライト)

飛白石(ギャブロ)


他にもある。私は当時の詩は知らないが、そりゃあここまでは書いてないだろう。理系的な知識、その冷徹な目線は詩でも大いに生きている。加えて叙情的、社会的な味も加わっている。病に苦しんでいる時の激しい思念もある。宮沢賢治の魅力がたっぷり詰まった1冊だと思う。


「春と修羅」は1924年に出版された。解説には大正初年、萩原朔太郎が1912年に「月に吠える」で口語自由詩を確立し、後に「氷島」で文語詩に回帰したことに触れ、後年書かれた宮沢賢治の詩も文語詩であり、影響や意識に注目する向きがあることを紹介している。行き着いたのが文語自由詩の朔太郎に対し、賢治は定型詩であると著者は書いているが、口語自由詩を書くときに賢治が朔太郎に影響されたのは間違いないようだ。朔ちゃんって偉大だったんだなあ。今度読んでみよう。


賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」を聴いた。おいおい、泣いちゃうよ。昔田舎で見たような満点の星空のもとで聴きたいな。作詞の「精神歌」は今でも歌い継がれているとか。


さて、今回読みながら聴いたチャイコの5番はカラヤンだった。ムラヴィンスキー指揮の硬質で速い曲調に慣れている私には、カラヤン流の柔らかくテンポを変えることの多い組み立てはちょっと違和感があった。指揮者によってこれほど違う。そんな事を、友人で女学校の音楽教師、藤原嘉藤治と話したりしてたのかいな、と飛躍した考えも浮かんだ。「イーハトーブ探偵」の影響かな。^_^


桜坂洋「All  You  Need  Is  Kill」


ハリウッドでトム・クルーズ主演で実写映画化。日本ラノベの快挙らしい。ミリタリーSF。日本のラノベは優秀だ。


進歩した銀河系外の惑星人が地球へ放った高度な戦闘マシーン「ギタイ」。人類はいまやギタイが仕掛ける侵略を必死に防御していた。統合防疫軍JPの初年兵キリヤ・ケイジが戦闘で危地に陥った時、赤い機動ジャケットを着た戦場の牝犬(ビッチ)、USのリタに出会う。ケイジはこの日の戦闘でギタイと相討ちしてから、死亡したと思われる瞬間、出撃前日に戻るというループに落ち込むー。


物語はループを繰り返す中でケイジが戦闘レベルを上げて行き、リタとともに戦う。そしてクライマックスてなとこである。


ループでは先輩のヨナバル、栄養士でケイジに想いを寄せるキサラギ、リタ専属の技術者で三つ編みメガネのシャスタ、軍隊経験豊富な軍曹フェレウら味のあるバイプレイヤーたちを巻き込みながら、少しずつ異なったエピソードが展開される。


私は有川浩の、自衛隊が巨大ザリガニと戦う「海の底」なんかも好きだが、今回のメチャメチャ強いギタイ、侵略をなんとか食い止める地球軍、という構図はなかなか好ましい。またギタイはただのロボットではなく増殖するわ、土を食べて排泄したら有毒物質を含み生態系を破壊するとか、理に適った作戦を行ったり、果ては時空をも超えたりとか強くてホントに憎たらしい。人バンバン死ぬし。


軍隊独特の騒がしい雰囲気は、アメリカ映画を観るようで、だからハリウッドでもやりやすかったんじゃないか、なんて思う。戦闘神のヒロインは、前半は少し超人的に、ケイジと戦う後半は人間味をもって描かれている。梅干し食べ勝負、トム・クルーズはしたんだろか。


理由はちょっとだけ、ん?となってしまうがあまりくどくなく喪失が訪れるのも悪くない。


設定もキャラも面白いし、特にクライマックスの襲撃はその突然の場面の切り替えによりリタとケイジの間の感情を引きずることを許さない。いい意味でラノベらしさもあって読みやすい。


星雲賞にもノミネートされたとか。本当によく練れていると感じるし、もう少しリタとケイジの絡みを見たい、番外編やシリーズないのかいな、と思わせる。底に何か悠久の、言葉にできない概念が潜んでいれば外国の名SFにも負けないのにな、でもこれでいいのかもな、なんてつれづれに思った。


ギタイと言えばイスラエルの映画監督、鬼才と言われたアモス・ギタイを思い出す。観たのはそういえば戦争映画だった。


谷崎潤一郎「吉野葛・盲目物語」


実は初谷崎。奈良の奥地の旅物語はしんと心に留まる。


◆吉野葛


著者は奈良の吉野に親戚のある友人の津村に誘われたのを機に、南朝の伝説を小説にしようと、吉野からさらに奥地へと取材旅を敢行する。静御前にゆかりのあるという初音の鼓を見に著者を連れて行った津村は、かつて自分の母の面影を探した顛末を語ったー。


随筆的小説とも解説の井上靖氏は称しているが、まず吉野から山奥に分け入り、三重県境の近くまで行ってしまう取材行がエネルギッシュ。一つ一つ地名を挙げ地理を描写しながら辿る旅。さらに弱冠18歳で悲劇的な最期を遂げた南朝の自天王、歌舞伎「妹背山婦女庭訓」の妹背山、義経と静御前の伝説などなどこの地に関連のある数々の話も豊穣で興味深い。


この敷かれたベースに、津村のおぼろげな母の足跡を探し歩いたエピソードが挿入される。哀切にあふれた1人きりの探索は、この地で大きな手掛かりと遺品を得て終わる。そして光が射すラスト。


とても面白かった。ただ注が多くその文章が長くしかも知識欲を刺激するので注ばかり読んで本文がなかなか進まなかった。


ちなみに吉野葛は有名であるが、葛と国栖、という2つの「くず」という地名が吉野近辺にあるそうだ。だがどちらも葛の産地ではなく、国栖は紙の産地で本編にも印象的に取り込んである。ちょっとしたフェイクなタイトルというわけか。


◆盲目物語


こちらはがらっと変わって、信長の妹にして絶世の美女、お市の方に仕えた盲目のあんま兼三味線弾きの一人語り。浅井長政に嫁いだお市の方が信長の浅井攻めから逃れるものの、夫のみならず嫡男を殺されて首を晒されること、柴田勝家へ再嫁するが秀吉に攻められ自害する顛末を独特の言葉で述懐していく物語。背負って逃げたお市の方の愛娘、茶々が秀吉に嫁ぎやがて子の秀頼とともに滅亡するまでの話で、まさに戦国のクライマックス。


またその語りがなんとも言えず特徴的。漢字で表したかと思えばひらがなになるなど自在の記し方でいかにも人の語りっぽく、井上靖によれば「氏の流麗な古典的文体は、素材とぴったり合って、情感はさながら行間から立ちのぼってくる感がある」とのことだ。


お市の方、その悲劇的な運命の話は有名なのであまり興味は覚えなかったが、語りには日本語的にくすぐられたかな。


谷崎はどこか敬遠していたが、これを機に少しずつ読んでみようかな、と思った。この夏は暑いから、青森に太宰治を訪ね、岩手で宮沢賢治を味わい、長野の信濃追分で文豪たちの邂逅の足跡を追い、ついでに金沢へ立ち寄って室生犀星に浸りたいなあなどと夢想している。ムリだけど。もう少し読んでから近くにある谷崎潤一郎記念館に行くことを考えよっと。夏の通常展やってる間にでも。


って本日谷崎潤一郎の誕生日で「残月祭」というイベントをやってて、大学のホールで澤田瞳子が谷崎について講演会をしたとか。なんか不思議な縁も感じてきたな。


小林寛則/山崎宏之「鉄道とトンネル」


このこだわりがイイと思います。「好き」まで感じられる熱い作品。


鉄道の歴史とは密接不可分ではあるが、この書はトンネル、というものに重きを置いて様々な角度からたくさんの解説をした本だと思う。


トンネル各部の名称から。笠石、帯石、ピラスター、翼壁等々ちょっとおタク的知的好奇心をくすぐる。さらにトンネルの掘削編では専門用語から本当に様々な工法、支保、青函トンネルの図面を使った多くの「坑」の解説。これらは後の、実際のトンネル掘削についての話で何回も出て来て、その度に戻って見直すので自然と覚えてしまう。


基礎知識が整ったところで明治時代に造られたトンネル、さらには昭和初期、戦後をそれぞれ代表するトンネル、さらには新幹線のこと、リニアにも言及がある。こうつぶさに見ていくと、トンネル掘削技術が時代とともに進歩していったのがよく分かるようになっている。


明治時代のそんなに早くから科学的な知識と手法が使われていたことに当時の先進的な雰囲気を感じる。また複線化や電化を通して時代の変遷も見える。明治期のトンネルについては、排煙対策が印象に残った。トンネル内の窒息で乗務員が気を失い事故につながるなど悲惨な話で、しかも長らく問題として向き合わねばならなかった。風を起こすためにトンネルの入り口を手動式の幕で覆ったり、蒸気機関車の煙突に減煙のための構造物を付けたり色々な工夫が紹介されていて、今では考えられない排煙問題の深刻さがよく分かった。


昭和初期以降は技術の進歩によって大型のトンネルが多くなる。また、以前は鉄道を通したいが地の利が伴わずやむなくトンネルを掘る、という感覚だったのが、移動時間の短縮と規模拡大のため積極的にトンネルを建設する、という方向に変わって来た、というのが印象的。だから、という意味なのか、困難な工事が多かったようだ。それこそ岩盤が崩れたり、地下水が流入して来たりという考えたくない危険な現実と人間の技術との戦いがリアルだ。


やはり故郷福岡の近く、幼少の頃から何度も渡った関門トンネルに興味を惹かれた。日本初の海底トンネルはもう昭和17年に出来ていたのに驚く。もちろん時代的な理由はあったのだが。よく知る地名も出て来たし、海底トンネルならではの困難さは興味深かった。そういえば門司は訪れたことがないから1度行ってみなければ。スケールの大きい青函トンネルは、建設の話も壮大だなあと感心した。


この本はトンネル掘削の工法や鉄道技術について書いている部分が多い。小難しいと感じることもあるが、例えばなぜその工法を取ったのか、など詳しく書いてあるのでちょっと興味深い。鉄道の歴史、そしてトンネルの歴史、建設のエピソードなどを通じて、近代という時代と、人命のかかった壮大な工事へのこだわりがうかがえた。トンネルについての風潮、現代の状況など文章の節々から著者のトンネル愛までもが伝わってくるようだった。


ただやっぱ少し難しく、やや時間がかかったし、最初の方に突然分水嶺を貫くトンネルの話が出て来たので、「へっ?」となりこの順番の意味を考えてしまったのも事実。


でも知的好奇心に充分に手応えありで鉄道、トンネルというデカい、進歩するモノの姿を追いかけて近代と現代を多少把握、理解することが出来たと思う。トンネルを掘るのに避けて通れない地層の話も豊富で面白かった。


良い読書でした。


森見登美彦「宵山万華鏡」


ちょっとホラー、ちょっと阿呆らしい。目指す方向はよく見える気がする。


森見登美彦そういえば何読んだっけ・・「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話大系」「有頂天家族」「太陽の塔」くらいか。たまたま話の流れで出て、好きな文芸仲間に貸してもらった。


上にも書いたが、モリミーの特徴と味、といえば京都、ファンタジック、ホラー。そして「阿呆」というのが大書されて入る。この短編集はその全てが詰まった、しかしホラーと阿呆の分水嶺がある。連作短編のようなそうでないような感じだった。


◆宵山姉妹


洲崎バレエ教室に通う小学生姉妹が宵山ではぐれてしまう。妹は赤い浴衣の女の子たちとともに行動するが・・。


後の物語のための種まき。京都祇園祭宵山の夜の幻想的な雰囲気とファンタジックホラーである。また「金魚」の小道具性を強調する。


◆宵山金魚


阿呆方向のいわば本編。藤田は高校時代の友人で変人の乙川に宵山を案内してもらうため千葉から来ている。しかしはぐれた間に「祇園祭司令部」に拘束されてしまう。


「阿呆」のほうの話。これまた宵山の夜、藤田の不思議な体験は最後にネタばらしがある。


◆宵山劇場


大学の先輩乙川が友人をからかうため壮大な仕掛けをしようとする。元大学の劇団にいた小長井は役者や美術を任された山田川敦子らと準備を進めるが・・


「宵山金魚」の裏ストーリー。やはり「阿呆」の方のである。もはやうろ覚えだが、たしか「夜は短し歩けよ乙女」に学園祭で「偏屈王」というゲリラ演劇があって、その美術を担当したのが山田川、という設定だ。阿呆だが小長井と山田川との若い人間関係が一つの焦点。学生らしい話。


◆宵山回廊


京都のOL千鶴は画廊の柳から、画家の叔父・河野を訪ねるよう頼まれる。宵山の夜、叔父と千鶴には拭いきれない過去があったー。


ここで「ホラー」にぐっと舵を切る。シリアスな話の展開でホラーファンタジック。最初の「宵山姉妹」とつながりがあるようだ。


◆宵山迷宮


画廊の2代目、柳は宵山の日、不思議な現象に巻き込まれる。画家の河野、そして付き合いのある小道具屋の乙川によれば乙川たちが探しており柳家の蔵にあるはずのものに関係があるようなのだが・・


「ホラー」の部分の続編。この「別次元」的な感覚は「四畳半神話大系」にも通じるな。分かるような、分からんような。


◆宵山万華鏡


洲崎バレエ教室に通う小学生姉妹が宵山ではぐれてしまう。姉は、妹を見失い追う途中髭もじゃの大入道に出逢う。


読む人は、このラストの短編で「ホラー編」と最初の「宵山姉妹」の謎が解ける、と期待するんじゃないだろうか。私はそうだった。姉が出逢う大入道や舞妓は「阿呆」編の役者たちと似ている・・と思いきや、であった。


全てを説明しているわけではない短編集。森見登美彦の特徴と強さを強調し、からめ、そして完結している世界。正直ある程度の興味深さはあるし、薄いつながりも味がある。モリミーがどんな物語世界を描きたかったかも見える気はする。これは一つの形だと思う。ただまあ、インパクトはさほどなかったかな。


7月書評の3





先週土曜は淀川花火大会。小さいけど、よく見えた。で、赤い花火と火星。貴重ショット。

今週もどこかあるかな。

カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」


封印された記憶の世界。霧の謎を解こうと行動する夫婦の理由は根源的なものだ。ラブストーリーであり騎士の物語でありファンタジー。カズオ・イシグロ氏は分厚くとも魅力的な展開で読ませる人だ。


6~7世紀。ブリトン人とサクソン人が共存するブリテン島。人々は記憶を保っておくことが出来ず、少女の失踪騒ぎなどもすぐに忘れてしまっていた。アクセルとベアトリスの老夫婦は居場所も分からない、記憶の薄れた息子を探すため旅に出る。やがて雌竜の吐く息が霧となって人々の記憶を失わせていたことが分かるー。


途上2人は、悪鬼を退治した戦士ウィスタンとともに、悪鬼に咬まれた少年エドウィンを連れて旅を続け、アーサー王の甥で常に甲冑を身につけているガウェインに出逢う。ウィスタンもエドウィンもそしてガウェインも何か秘密を隠していた。


この物語の大半を占めている、記憶が霧のかかったようにボヤッとしている印象の中ストーリーは進む。そして雌竜クエリグに近付くにしたがって少しずつ物語の霧も晴れてくる。記憶が失われるとはどういうことか。民族間、夫婦、家族の間に蘇った記憶は何をもたらすのか予感させるのが大きなテーマだろうか。


ボヤッとしてさらに重い中、特筆すべきは読み進めさせる筆力だろうと思う。これまでの作品を考えると、相当古代の、しかしキリスト教の教えは行き渡っていると思わせる世界、ファンタジーの王道ともいえる舞台にはちょっと驚く。また悪鬼、戦士、アーサー王の親族、竜ってRPGの世界じゃんと、一歩引くと思える。


しかし謎に覆われた出だしから、著者は何があるんだろう、どうなるんだろう、という読者の問いにエピソードを提示し続ける。ラストは主要な主人公が一堂に介し竜と対峙する部分の結末を待つワクワク感、それを呼び起こす力に気持ちよく身を委ねられた。ファンタジーの持つ魅力でもあるのかな。


アクセルとベアトリスの年月を経た仲睦まじさは本当に丁寧に描かれており、好感と重みを醸し出している。


この夫婦の、人生の最後に息子を探し求めるという動機、母を求めるエドウィンの衝動、偉大なアーサー王に殉じるガウェインの時代の残滓、新しい時代を自らの力で開こうというウィスタンの胆力と好奇心が絡み合ってよきファンタジー作品となっているのではないだろうか。うーむ違うかもしれないが。


記憶とは考えてみれば大きなテーマだ。その重さを常に感じさせながら読むことが出来た。欲を言えば母を求めたエドウィンの解決が見たかったかな。


カズオ・イシグロの作品は名匠ジェイムズ・アイヴォリイ監督の映画も観た「日の名残り」、「私を離さないで」、そしてノーベル賞受賞直後に買ったデビューから2作「遠い山なみの光」、「浮世の画家」と読んだ。「離さないで」は意外な展開にびっくりしたが、その他はメッセージが明確だった。


メッセージの力とファンタジーの持つ魅力をうまく融合させている、と言えるのかな。


北原尚彦「シャーロック・ホームズの蒐集」


ホームズの正統派パスティーシュにはなかなか巡り合わないものだ。日本人シャーロッキアンが書いたものは・・なかなか楽しめた。


両方の境界があいまいなことも多いが、時代設定や登場人物をそのままにコナン・ドイルのホームズ物語そっくりに書いたものがいわゆるパスティーシュ。対してその時代の有名人、を出演させたり、ホームズは実はコカインによる誇大妄想の人物だった、とかいう設定にしたり、果ては火星人やドラキュラとコラボしたりするのをパロディと言うと思う。


「語られざる事件」とは原作中にワトスンが「○○の事件」と名前だけ触れているものでかなり多く、ジューン・トムスンなどはそれだけで4巻のパスティーシュを書いている。有名かつ人気があるのは「雨傘を取りに自分の家に戻ったのだが、それ以来姿を消した」ジェイムズ・フィリモア氏の事件だろうか。


前置きが長くなった。収録されている順に。


◆遅刻しがちな荷馬車の事件

ロンドンで有名な百貨店の事件を解決したことでお礼に訪れたオーナーの何気ない会話を聞き齧ったホームズは荷馬車が遅れる現象の解明に取り組む。やがて馭者の死体が見つかる。


ホームズの鼻の良さ、から始まった事件はどんどんと進展、意外な方向に進む。この「飛び出し感」もホームズかな、と思う。


◆結ばれた黄色いスカーフの事件

庭に結びつけられた黄色いスカーフは、インドの殺人集団からの殺害予告だった。そして犠牲者がー。


ホームズものは時代的にアメリカ、インド、オーストラリアなどが出てくる話も多い。そのベースを生かした話。「五つのオレンジの種」のテイスト。


◆ノーフォーク人狼卿の事件

先祖の経緯から人狼卿と呼ばれる領主の奇行が村人の噂になる。ついに被害が出て村には暴動が・・。


「バスカヴィル家の犬」「這う男」をミックスさせたような話。なぜ領主は狼のような行動をしたのか。ちょっと現代マンガ的かも。


◆詮索好きな老婦人の事件

ワトスンが往診に行く先の老婦人は、かつて住人が自殺したというはす向かいの貸し部屋を注視していた。最近入居者があったという言葉を伝え聞いたホームズは往診に同行する。


どこか可愛らしいおばあちゃんの事件。これも展開が面白い。ヒッチコックの映画「裏窓」をも思い出させる。レストレイドが不法侵入を黙認するのも笑える。


◆憂慮する令嬢の事件

ホームズの依頼者は10歳の女の子。煙草長者の孫娘である彼女は類稀なる探偵の素養を持っていた。彼女の祖父が嘘の恋文によりスキャンダルまがいの噂を立てられており、真相の解明をホームズに依頼する。


設定が面白い。成り行きとラストも微笑ましい。事件は・・ちょっと強引かも。


◆曲馬団の醜聞の事件

サーカスで殺人事件が起きた。アセルニ・ジョーンズ警部に呼び出されたホームズは、美女ヴィットリア、怪力男サムスン、団長のプリチャード、スポンサーのホルブルック大佐やド・クラヴィエ夫人といった個性的な面々を前に事件の底に横たわる事実を解き明かす。


アセルニ・ジョーンズの手紙の「暇なら来て下さい。暇でなくてもすぐ来て下さい」という文面には微笑。「這う男」でホームズがワトスンに「都合ヨケレバスグコイ  ワルクトモコイ  SH」という電報を出すからだ。最後にはスコットランドヤードに手柄を譲ることの多かったホームズにとって、またそれをちょっと悔しく思っていたワトスンやシャーロッキアンにとってスカッとするエピソードも付く。兄のマイクロフトも登場する。


私は実は日本人が書いたパスティーシュ・パロディはあまり好きでなかった。かゆいところに手が届きすぎるというか、作りすぎるというか、な感じがするからだ。


あとがきには、この作品のベースは、アドリアン・コナン・ドイル&ディクスン・カーの名作「シャーロック・ホームズの功績」だとのこと。展開は正直突飛なところが多いなとも感じたが、読者が楽しめるように、シャーロッキアンがクスリと笑えるように、さりとてミステリーとしてもイケるように心を砕いているのがよく分かる。


やや興奮して(笑)一気に読んだ。やっぱ正統派パスティーシュは最高だね。。


ウィリアム・シェイクスピア

「じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ」


昔風のテイストにいろいろ考えた。後半はバランスの良い喜劇。


◆じゃじゃ馬ならし


裕福なパブティスタ家には美しい娘が2人いた。姉のカタリーナは気性も行動も激しく口汚い「じゃじゃ馬」。妹のビアンカは控えめで淑やかで求婚者が何人もいる。しかしビアンカを娶るには先にカタリーナを結婚させなければならない。求婚者たちが策を練る中、ヴェローナから来たペトルーキオーという青年が財産目当てにカタリーナに言い寄る。


焦点はいかにペトルーキオーがカタリーナを「ならして」いくかに尽きるだろう。今目線で見るといかにも社会的には厳しいネタだが、それを抜きにしても、このホンにはうーむとなった。


登場人物が多くてかつ名前が似すぎ。何度も紹介欄を読み直さねばならなかった。またいつものシェイクスピアに比べても意味が分からない展開がいくつかあった。なぜ?がよく出た。


さて、「ならし方」だがなんか最初はスパイ機関の洗脳みたい。男のパワー計略で押し切る、というのは現代に読むとやはり説得力があるとは言えず、昔風だと思う。子育てでは理不尽な環境では適応力のある子が育ったりするという事も聞いたことがあるけれど、理不尽でいいから、もう少し納得感が欲しかったな。


まあでも、おそらく上演を観に来る男性陣は、自分のやること言うことにいちいち反対されるというよくあるケンカを妻とした経験を持ち、最後にカタリーナが吐く打って変わったようなセリフに心の中で快哉を叫んでいたのかも、なんて思ったな。誰が見ても眉をひそめるじゃじゃ馬が叩き直されてしおらしくなる、観ている人は意外に劇に入り込み、そのドラスティックな変化に喜び、ザマミロ感を味わったのだろうか。共感を呼ぶ方法はいろいろあるもんだ。


当時の劇を今の基準で斬るのは違うと思うが、ややちぐはぐな印象かな。


◆空騒ぎ


昔「恋のから騒ぎ」って番組あったなあ。シェイクスピアのこの劇を映画化したのも観に行った。筋は覚えてないけど。^_^


メッシーナの知事レオナートーの娘ヒーローに一目惚れした貴族戦士クローディオー。一方ヒーローの従姉妹・ベアトリスと面識があり、会うといつも洒落合戦の喧嘩をするベネディック。彼らが従うアラゴン領主ドン・ペドロは、クローディオーの恋を叶えるべく動く一方、生涯独身を公言する男ベネディックをベアトリスとくっつけようとするがー。


途中悪だくみが入るがとぼけた警官たちが解決する。なかなか現代劇にデフォルメしてもイケちゃいそうな筋立てかと思う。青春恋愛ドラマの原型だなと。「ロミオとジュリエット」風味もある。


まっすぐなクローディオー&ヒーロー、とぼけた警官たちに加え、見どころはベネディックとベアトリスの機知に富んだ即興のやり取りだろう。現代の脚本に直すのが楽しそうな気もする。


バランスの良い喜劇で、ほどよくドタバタ、ほどよく感情的。セリフに遊びを入れるところがシェイクスピアらしいと言えるのかな。


旧訳版も味があるんだけど、やはり表現が古すぎる。最新の訳で読みたいと思った。舞台を観に行って、本と台本のセリフを比べてみようかな。