◼️ Authur Conan Doyle
「The Man with the Twisted Lip(唇の捩れた男)」
この作品の挿絵は印象に強く残っている。どこか人生を考えさせられちゃったりする一篇。
ホームズ短編原文読み31作め。今回は第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険」より。ストランド・マガジンで連載を始め人気爆発して間もない頃の作品です。
後で出てきますが、私はこの話のある挿絵が全シリーズ中でもかなり好きな方です。ページ数としては多めなので飛ばしていきます。
"He has not been home for two days. I am so frightened about him!"
「(ウチのダンナが)2日も家に帰ってこないのお!心配で心配で!」
1889年6月19日の夜更け、ワトスンが仕事で疲れ切っているワトスン夫人のメアリに友人が泣きついてきます。行き先はアヘン窟と分かっていました。
飛ばして行こうと思ったのですが1つだけ。メアリは友人をなだめ、何があったか話してみて、というのですが、そこで
"Or should you rather that I sent James off to bed?"
「それともジェイムズには寝室に外していてもらいましょうか?」
と話すのです。言うまでもなくワトスンのファーストネームはジョンです。なぜジェイムズと呼んだのか?実はこの問題はシャーロッキアンの間でカンカンガクガクの議論の的となっています。シャーロッキアンは平和ですね^_^
私が読んだシャーロッキアン漫画では、実は J.H.ワトスンのHは「ヘイミッシュ」であり、ふつうの英語読みがジェイムズだったのではないか、という説が披露されていました。ジェイムズはスコットランドではヘイミッシュと読まれるんだとか。どうやらミステリ作家ドロシー・セイヤーズの説のようです。
さてワトスンは単身テムズ川沿い、アッパー・スワンダム・レインの波止場に面したエリア、のアヘン窟に入り、支払いまで全部済ませて連れ帰ろうとしたところ、なんと潜入していたホームズに出会います。
"Holmes!what on earth are you doing in this den?"
「ホームズ!こんなアヘン窟でいったいぜんたい何をしてるんだ?」
ホームズは事件の捜査にワトスンを付き合わせたいようでした。ワトスンは手紙を書き、手のかかるダンナを馬車に乗せて帰します。ここまで2ページに渡る序章でした。ここからです。
ホームズは二輪馬車、いわゆるdog cartの手綱を取り、ワトスンを乗せてケント州リーの方向へと向かいます。事件の詳細はすぐに話そう、という約束のはずが、ホームズはしばらく黙り込みます。ワトスンも思考の邪魔になるからと黙っていました。
"You have a grand gift of silence, Watson," "It makes you quite invaluable as a companion."
「君は沈黙という、本当に素晴らしい才能を持っている。だから僕にとってなくてはならない捜査仲間なんだよ」
ふだんワトスンにさえ冷淡で皮肉屋のホームズにしてはかなり和む言葉。しかし続けてあの夫人に何て言ったらいいか・・なんてよく分からないことを言い始めます。
"You forget that I know nothing about it."
「キミ僕がなんも知らされてないこと、忘れてるやろ」
ワトスンの的確なツッコミにようやくホームズは説明を始めます。
数年前、ネビル・セントクレアという男がリーに現れ、大きな屋敷を買い、おおむねいい暮らしをしていた。やがて地域との付き合いも広がり、2年前に地元の醸造業者の娘と結婚して2人の子供を設けた。定職はないようだったが、いくつかの会社に利害関係を持ち、毎朝ロンドンへ出かけ、毎夕5時14分発の列車でキャノン街から帰ってくる。いま37歳で穏やかな人柄、良き夫でよい父親。彼を知る人から人気を得ている。
負債は88ポンドちょっとなのに対して預金残高は220ポンドあるから、金銭トラブルの可能性は低い。webで調べたところ、ちなみに当時1ポンドは約2万円だったらしいです。
この月曜日、つまり4日前、ネヴィルはいつもより早く家を出て、2つ大事な仕事がある、帰りには幼い息子に積み木を買って帰るよと言い残し家を出た。偶然にも同じ日に妻宛てに、彼女がずっと待っていた荷物が届いたので船会社に取りに来て欲しい、という電報が届き、妻はアッパー・スワンダム・レインに近い船会社に出かけて行った。そして荷物を受け取り4時35分ごろスワンダム・レインを通りかかった。するとー
she suddenly heard an ejaculation or cry, and was struck cold to see her husband looking down at her
「突然絶叫か、何かに驚いた声のようなものを聞いた。そして自分の夫が見下ろしているのを目にしてゾッとした」
動揺した夫は腕を振った。それは手招きするようにも見えた。そして次の瞬間窓からいなくなった。後ろからグイッと引っ張られたようにも感じた。ちゃんと服を着て行ったはずなのにカラーもネクタイもしていなかった。
夫人は建物に入り階段を駆け上がろうとしたがアヘン窟の店主、悪党のインド人がその行手を塞いだ。押し出された彼女は近くで幸運にも警察の一団と遭遇、即座に事情を話し、警部と巡査2人とともにアヘン窟へと戻った。しつこい抵抗を押し退け、一行は部屋へと入った。足の悪くひどく汚らしい男がいただけで、夫はいなかった。どうやらこの男、ヒュー・ブーンはこの部屋を根城にしているらしかった。
水夫とブーンがきょうの午後ここには誰もいなかった!とあまりにも強く言うので、警部がこのご婦人の見間違いかも、と思い始めたところ、セントクレア夫人はテーブルの上の小箱に飛びついた。すると、夫が買って帰ると言っていた積み木がこぼれ出た。ブーンがあからさまに当惑したこともあり、事の深刻さを悟った警部は部屋を入念に調べた。
この部屋は寝室につながっていて、寝室の窓と波止場の間に細長い土地があり、満潮の時は水面下になる。そして寝室の窓に血の跡が見つかった。血は辺りに飛び散っていた。元の部屋のカーテンの裏には、ネビル・セントクレアの服一式があった。時計も靴も、靴下さえも。しかし服にバイオレンスの痕跡はなく、手がかりはそこで途切れた。他に出口がない以上寝室の窓から出たに違いない。しかし窓枠の血の跡から、満潮のテムズ川に飛び込んでも泳ぎきれないだろうと思われた。
悪党のインド人はとにかく何も知らないの一点張り。セントクレア夫人を止めたのは彼女が夫を見かけて数秒後、つまりその時には下の階にいた。部屋は3階だった。ブーンはネヴィルの服については何も説明できなかった。
ブーンはいつも決まったところに陣取っていて脂じみた皮帽子に施しを受けている、professional begger職業乞食、だ。
A shock of orange hair, a pale face disfigured by a horrible scar, which, by its contraction, has turned up the outer edge of his upper lip, a bulldog chin, and a pair of very penetrating dark eyes
「ボサボサのオレンジ色の髪、不気味な傷あとが残る青白い顔、傷あとが引きつって上唇の端がめくれあがっている。ブルドッグのようなあご、そして鋭い目つきの黒い両眼」
目立つ風貌に加えどんなからかいにもすぐに気の利いた答えを返す知恵。短い時間でたくさんの小銭を稼ぐのがブーンという男。彼こそがネヴィルを最後に見た者だった。
セントクレア夫人は窓枠の血を見て気を失い、警察により家へ送り届けられた。ブーンは逮捕、薬指の爪の近くに切り傷があって窓枠などの血はそこから出たものだと言い、ネヴィル・セントクレアなんて人は知らないし、服がなんでここにあったかもあんたたちと同じように自分にも謎、セントクレア夫人は夢でも見たんじゃないかと言っている。
警察はブーンを引っ立てたあと、干潮になるまで待った。果たして泥の上に見つかったのはネヴィルの死体、ではなくて、彼のコートだけだった。
Every pocket stuffed with pennies and half-pennies –421 pennies and 270 half-pennies.
「すべてのポケットに1ペニー銅貨と半ペニー銅貨がぎっしり詰め込まれていた。1ペニーが421枚、半ペニーが270枚あった」
ブーンがネヴィルを突き落とし、コートや衣類を始末しようとした時、浮かんでこないように硬貨を詰めたとも考えられました。衣類が残ったのは時間がなかったから、というわけです。
the questions which have to be solved – what Neville St. Clair was doing in the opium den, what happened to him when there, where is he now, and what Hugh Boone had to do with his disappearance – are all as far from a solution as ever.
「解決せねばならない問題は、ネヴィル・セントクレアはアヘン窟で何をしていたのか、そこで彼に何が起きたのか、いまどこにいるのか、ヒュー・ブーンはどう関わっているのかーすべてが糸口すらつかめていない」
アヘン窟はロンドン近くではありますがミドルセックス州にあり、ドッグカートはそこからサリー州からケント州に入り、グリニッジ王立天文台を横に見て、リーの外れまで7マイルつまり約11kmあまりを駆けてセントクレア邸の"The Cedars"「杉屋敷」まで帰ってきました。セントクレア夫人に2部屋を借りているとのこと。
"But why are you not conducting the case from Baker Street?"
「なんで今回はベイカー街で仕事せえへんの?」
ミドルセックス州とはいえロンドン近く。当然の疑問ではあります。
"Because there are many inquiries which must be made out here."
「こっちでたくさんの調査をしなきゃいけないからだ」
さっき出たネヴィルの人となりの調査等々ですね。近況は地元の人に聞くのがいちばんです、ことに田舎は。ロンドンからはるばるこちらまで出てくるのを嫌ったのでしょう。
ちなみに私も見ながら書きましたが、この道程については地図解説のページがありますね。なかなか楽しそうですよ。
家に着くとセントクレア夫人が飛び出して来ました。小柄なブロンドの女性、薄い絹モスリンの服にピンクのシフォンのついた服。
She stood with her figure outlined against the flood of light
「彼女は溢れ出る光を背に身体の輪郭を浮かび上がらせていた」
ワトスンの、いやドイルのこういうところ上手だと思いますね。現状光は身体の正面ではなくて背に集まる。しかしいずれにしろ彼女は光に溢れている。ホームズとワトスンへのオープンで優しい態度、夫のピンチに動く勇敢さと活動力、知恵の回る聡明さ。ドイルはいくつもの作品でワトスンを代理として印象的な女性を描写しています。物語の構成上も効いていますね。
セントクレア夫人はワトスンも歓迎の意向で、しかし率直にホームズに訊きます。
"In your heart of hearts, do you think that Neville is alive?"
「あなたは心の底から、ネヴィルがまだ生きているとお思いでしょうか」
"Frankly, then, madam, I do not."
「では率直に申しましょう。そうは思いません」
"And on what day did he meet his death?"
"On Monday."
"Then perhaps, Mr. Holmes, you will be good enough to explain how it is that I have received a letter from him to-day."
夫人「では死んだとしたらいつでしょう」
ホ「月曜日ですな」
夫人「ではそうだとして、ホームズさん、きょう彼から届いた手紙はどういうことなんでしょうか」
これを聞いてホームズはびっくりします。
「な、なんてぇ?」
夫人は笑顔で手紙を手に持っていました。
脱線が多いのは承知、いつも冷静なホームズがこんなにびっくりしたのは「第二の汚点」で外国の君主からの重要な手紙を盗んだとホームズが踏んだmaybe国際スパイの1人が昨夜殺されたよ、とワトスンに聞かされた時くらいしか記憶にありません。
手紙をひったくったホームズ。封筒の住所は調べる必要があったのか、宛名とは別のタイミングでネヴィルとは別の者が書いていました。そして中の手紙の字を夫人はネヴィルのものだと断言します。文面はー
Dearest do not be frightened. All will come well. There is a huge error which it may take some little time to rectify. Wait in patience.
NEVILLE.
「愛するきみ、どうか心配しないでほしい。いずれ全てうまくいくだろう。大きな間違いがあって、修正に時間がかかる。がまんして待っててくれ。ネヴィル」
手紙にはネヴィルの指輪が入っていました。しかし何の証明にもならない、と冷徹に言うホームズ。たしかに手紙は死ぬ前に書いたかもしれない、指輪も抜き取られた可能性があります。
しかしセントクレア夫人はこう主張します。
彼は無事でいます、私には分かります。だってシンパシーがあるんですもの。あの日ネヴィルが寝室でけがをした時も何か良くないことが起きたとわかって階段を駆け上がったんです。
ここには重大なヒントがあります。ともかくもホームズは女性特有のカンを認めながらもではなぜ出てこないのか、という点を問い詰めますがそこまでは分からない、と夫人は返します。
これまでネヴィルがスワンダム・レインのことを口にしたことはない、アヘンを吸ったこともないー、ほか当日の目撃したことについて確かめたホームズは話を打ち切り、寝室に引き取ります。
He took off his coat and waistcoat, put on a large blue dressing-gown, and then wandered about the room collecting pillows from his bed and cushions from the sofa and armchairs. With these he constructed a sort of Eastern divan, upon which he perched himself cross-legged, with an ounce of shag tobacco and a box of matches laid out in front of him.
「上着とチョッキを脱ぎ、青いドレッシングガウンに着替えた。そして部屋を歩き回ってベッドから枕を、ソファや肘掛け椅子からクッションを集めて東洋風の長椅子ように並べ、その上に脚を組んで座った。1オンスのシャグタバコとマッチの箱を前に置いた」
徹夜でその高邁な頭脳を働かせる体制です。薄暗い部屋で、ワトスンは寝に入りつつ、ホームズが青く渦巻く煙に包まれながら、ぼんやりと天井を見つめているのを見ます。
ここの挿絵と光景が好きですね〜。ワトスンしか知らない、沈思黙考の姿。青い煙を上げる、軸のまっすぐなブライアーパイプ。現代ではホームズとのアイコンともなっている曲がった大きなパイプは、後にホームズを演じた役者が舞台上で目立つように使った物で、この時代にはなかったとか。私的にホームズの絵と言えばここが浮かびます。「ボスコム谷の惨劇」のコンパートメントでワトスンと会話する場面、バスカヴィル家の犬」で月をバックに荒地の岩上に立つホームズとともに印象深いひとコマです。
そしてワトスンが目を覚ました時もホームズの姿勢はそのまま、ただシャグタバコの山はきれいになくなり、室内はもうもうとした煙につつまれていました。
ワトスンが起きたのを見たホームズは、モーニングドライブしよう、と連れ出します。朝4時15分でした。
ちょっとした理論の証明をしたいのさ、というホームズ。
"I think, Watson, that you are now standing in the presence of one of the most absolute fools in Europe. I deserve to be kicked from here to Charing Cross. But I think I have the key of the affair now."
「ワトスン、君の前にいるのはヨーロッパでも有数の馬鹿の1人だよ。ここからチャリング・クロスまで蹴っ飛ばされるにふさわしい。でも、僕はいま、この事件の鍵を握っている」
ホームズは確信を得た時、なんで考えつかなかったのか、行動しなかったのか、という思いで自虐的なことを言うことがありますが、これはまた最大級ですね笑。この後にもさらに
"I confess that I have been as blind as a mole, but it is better to learn wisdom late than never to learn it at all."
「僕はモグラのように目が見えなかった。でも後から学ぶのはなにも知らないよりいい」
と話しています。
やってきたのはブーンが留置されている警察署。宿直はブラッドストリート警部でした。この短編集に収録されている「青いガーネット」や「技師の親指」にも名前の見える、ホームズシリーズおなじみ警部さんです。
警部に頼んで独房の窓からブーンの様子を見ます。顔は真っ黒で不潔、ぐっすり眠っています。ボロボロの衣服に赤毛の髪、顔には大きな傷跡があり、そのひきつりで唇が捲れ上がっています。
"He certainly needs a wash,"
"I had an idea that he might, and I took the liberty of bringing the tools with me."
「洗ってやる必要があるな、こんなことではないかと思ってた。勝手ながら道具を持ってきたよ」
take the liberty of〜ingには「失礼ながら、無礼にも、厚かましくも〜する、勝手に〜する」という意味がありました。調べるのに骨が折れた。ともかくホームズは鞄からなんと入浴用のデカいスポンジを取り出します。
ブラッドストリートも乗り、そーっと独房に入ったホームズは、水を含ませたスポンジで、ブーンの顔を縦と横に勢いよくこすりました。
"Let me introduce you,"
"to Mr. Neville St. Clair, of Lee, in the county of Kent."
「みなさん、ケント州リーのネヴィル・セントクレアさんをご紹介します!」
男の顔の皮が剥がれ、傷跡も、捩れた唇もなくなり、赤毛のかつらが外れます。そこには黒髪でつるんと上品な顔をした男がいました。
寝ぼけていた男は、突然何が起きたか悟り、叫び声を上げて枕に突っ伏します。
Great Heavens!こいつぁ驚いた!
ブラッドストリートが声を上げます。
ネヴィル氏はヤケクソ気味に
what am I charged with?
「僕はなんの罪で捕まってるんですかね?」
"With making away with Mr. Neville St. – – Oh, come, you can't be charged with that unless they make a case of attempted suicide of it,"
「そりゃネヴィル・セントクレア氏殺害の・・いや!それは無理か。自殺未遂罪なんてものを作れば別だが」
27年警察にいるがこんなとんでもないことは初めてやで、とブラッドストリート。
ホームズはたしかに犯罪はない、しかし大きな過ちを犯した、と告げます。奥さんをもっと信用しておけば良かったのに、と。んーそれもムリがあるかも。
妻ではなく子供たちです!ネヴィルはうめきます。
"God help me, I would not have them ashamed of their father. My God! What an exposure! What can I do?"
「神様お許しください!子供たちに父親が恥ずかしいと思われたくなかった。ああ!まさかバレるだなんて!どうしたらいいんだ?」
ホームズは隣に座り、肩をたたきながらやさしくなだめます。
まあまあ、法廷に持ち込まれれば報道される。でも犯罪がなかったと警察に納得させれば、新聞ざたになることはないよ。ブラッドストリート警部が君の言うことをちゃんと記録して提出してくれる。裁判にはならないさ。
セントクレア氏は感謝し、語り始めます。
チェスターフィールドで教師をしていた父親のもと良い教育を受けたネヴィルは、学生時代旅行と演劇を好んだ。そして夕刊紙の記者になった。
夕刊紙の特集で乞食を体験してみて記事にするという企画に志願した。舞台に上がっていた時メーキャップのコツを学び、楽屋で有名になるほど上達した。自分を可能な限り哀れに見せようと、大きな傷跡を作り唇を捩れたように固定した。赤毛のウィッグとボロボロの衣服を身につけて7時間座り、家で数えてみたらたった1日で26s.4d.つまり26シリング4ペンスも稼いでいた。(1シリングが約1000円、1ペニーが約83円とwebにありました。2万6300円くらいですね)記事を書いてしまい、その時はそれでお終いだった。
しかし少し後、友人の手形の保証人になったことで25ポンドの支払い命令を受け困り果てた際、そうだと閃き、乞食をしたところ10日間で集まった。
さて、週2£(ポンド)で厳しい仕事をする、同じ額が乞食をすれば1日で稼げてしまうこという事実にセントクレア氏は直面します。
"It was a long fight between my pride and the money, but the dollars won at last, and I threw up reporting and sat day after day in the corner which I had first chosen, "
「プライドとお金の間で長く葛藤しました。ついにはお金が勝ちました。そして私は記者の職を放り捨て、来る日も来る日も最初に選んだ町角に座り続けたのです」
1人だけ秘密を知っている者がいた。アヘン窟のインド人だった。ネヴィルはあの部屋で乞食になり、夕方には上品な身なりに戻っていた。支払いをたっぷりとしていたから、秘密が漏れる心配はないと考えていた。
かなりの大金が貯まっていった。年700£を超えていた。自分には変装と軽妙な受け応えという強みがあった。いつしかシティで有名になっていった。
週2£なら年間52週フルに働いても年収100£ちょっと。乞食なら年収1400万円もの額になっていたのです。当時の物価やお金の価値は現代とは違いますから大変に裕福だと言えますね。ちなみにドイルはホームズ短編の連載を始めるや人気が爆発し、この第一短編集後半の6編の執筆料は1本50£、つまり100万円だったという話です。
家を買い、結婚して家庭を設け、誰にも本当の職業を疑われることなく過ごしていた。しかし月曜日ー。
1日の仕事を終えてふと窓の下を見ると妻がこちらを見上げていた。思わず叫び声を上げてしまった。思わず腕を上げて顔を隠した。インド人に妻が上がってくるのを止めるように言い、階下に妻の声を聞きつつ乞食の衣装に着替え、メーキャップを施した。服を隠さなくてはとコートに小銭を詰めた。乱暴に動いたため、朝ケガをした傷口が開き血が飛び散った。その時窓から投げたところで警官に踏み込まれたため他の衣服と積み木は残った。
"I found, rather, I confess, to my relief, that instead of being identified as Mr. Neville St. Clair, I was arrested as his murderer."
「正直に言ってどちらかと言えば救いになりました。ネヴィル・セントクレアとして特定される代わりに、殺人容疑で逮捕されたのですから」
妻が心配するのは分かっていたから、巡査が見ていないスキに指輪を抜き取り急いで手紙を書いてインド人に託した。
その手紙は昨日届いたばかりだと知らされるとネヴィルは愕然とします。
「警察はインド人水夫を見張っていました」ブラッドストリートが言います。おそらくは投函ができないためにやむなく客の誰かに託して、(なにせ店のお客はアヘンでラリってますから)忘れられていたんだろう、と警部。
何回も捕まったけれど、罰金なんて知れてる、とネヴィルがうそぶいたのに対して、しかし今回の件を警察がもみ消しておくということなら、二度とヒュー・ブーンが現れてはいかん、と警部は釘を刺します。
人間が取り得る最も厳粛な宣誓で誓います、というヒュー・ブーンことネヴィル・セントクレア。
"I am sure, Mr. Holmes, that we are very much indebted to you for having cleared the matter up. I wish I knew how you reach your results."
「この事件が解決したのはひとえにあなたのおかげです。どうやって真相にたどり着いたのか知りたいところですな」
"I reached this one,by sitting upon five pillows and consuming an ounce of shag. I think, Watson, that if we drive to Baker Street we shall just be in time for breakfast."
「5つの枕の上に座って1オンスのシャグタバコを煙に変えてだよ。ワトスン、ベイカー街まで馬車で走ればちょうど朝ごはんに間に合うぞ」
平和的解決でした。セントクレア夫人が彼があの朝、ケガをしたのが分かったのよ、と言ったことはブーンの指に傷があったことの伏線だったのですね。
冷静に考えれば、なぜ誰もネヴィル・セントクレアの収入源や生い立ちをまったく知らなかったのか?とも思います。ホームズもあまり深くは捜査してませんし。それを言っては、かもですが。外形から、凶悪事件に見えますしね。
when all other contingencies fail, whatever remains, however improbable, must be the truth.
(ブルース・パーティントン型設計書)
「他の起こり得ることがすべて排除されれば、何が残ろうとも、いかにありそうになくても、それが真実に違いない」
ホームズの名言の1つです。今回この定理を使ったかどうかは分かりません。ブーンを見かけたことがあるのに変装の名人のホームズがブーン変装を見抜けなかったのかな、なんて事も考えますがまあ、まあ、ですね。
この作品は、ネタが割れれば単純で、人も死なないし盗みもありません。しかしホームズシリーズを構成する中でいくつかの光を放つ作品のうちに入っていると思います。
ベイカー街を離れての、いわば出張、ホームズに意見するなど頭が切れる上に純粋で魅惑的なセントクレア夫人、長い脚を折りたたみ、枕やクッションで東洋風味の長椅子を作りパイプで紫煙をくゆらせながら座り込むホームズ、そしてブーンという堂に入ったユーモラスなキャラと上品な男との対比、赤毛と黒い髪の毛、あくせく働くことと乞食という職業のもっともらしい比較と、様々な要素が物語の巧さを構築していると思います。「ぶな屋敷」にもそんな感覚を覚えます。
それにしても、ネヴィルはこの後どうするんでしょう。妻にはなんと話すのでしょう。意外に、ヒュー・ブーンでなければいいよな、と地域を変えて同じことをやりそうな気がするのは私だけでしょうか。
