2022年2月19日土曜日

2月書評の5

広い新美術館お披露目のコレクション展、展示の数はもんのすごい多くて、歩く距離も長かった。
ところどころに撮影可の作品があり、さすが現代の新設施設、なんて思ったりして。

ルネ・マグリット「レディメイド」と日本の画家さんの「白孔雀」。

むくむくに着込んで行ったので屋内は暑く「暑い、喉渇いた、早く外出たい!」とようやくエントランスホールに行ったら、外はビュービュー風が吹いてて大雪だった。吹雪の中を帰った笑。

◼️ ジョルジュ・シムノン「メグレの幼な友達」

謎の女、複数の愛人、多くの疑問、同級生。

メグレ読みたいな〜と思い、hackerさんのランキングと図書館の蔵書を見比べて借りてきました。書庫に入っていて、出てきた本を見て思わず

「うわー年季入ってるなー」

受付のお姉さんも苦笑してはりました。
やはりメグレは古いものが多い。入手しにくいのです。

さて、メグレ警視を高等中学校の同級生・フロランタンが訪ねて来ます。愛人の女・ジョゼが殺されたとのこと。メグレはすぐに現場へと向かいます。

女はフロランタン以外にも4人の男がいたとのこと。上級役人、同族会社の裕福な男、ボルドーのワイン業者で名士、そして赤毛の若い男。赤毛の男を除いた3人は妻子がいて地位もお金もありました。

フロランタンはジョゼと一緒にいて、男たちのうち誰かが訪ねて来たので慌てて衣裳部屋に隠れ、銃声を聞いた、1時間くらい外へ出てから警察に来た、と。フロランタンはいちおう古物商でしたが、落ちぶれていて、あちこちに借金をしてその日を凌いでいました。さらにジョゼが死んでから、ジョゼの部屋にあった現金を自宅に持って帰っていました。

容疑は濃厚、ひょうきんでウケを取るためにはでたらめも言っていたかつての同級生。しかしメグレはフロランタンを逮捕せず、多くの疑問に立ち向かいます。フロランタンの不自然な行動、何かを隠しているアパート管理人の巨大な女、指紋が拭き取られていたこと、そして4人プラスフロランタンのうち犯人は誰か?

容疑者=愛人同士を一堂に介しての対決、管理人、謎をわざと見せているかのようなフロランタン、いいキャラクターの予審判事やメグレ夫人との場面などを絡ませ、かなり最後の方まで謎を引っ張ります。いくつかの疑問は残る気がするものの、解決は腑に落ちるものがありました。

今回は設定や流れがガッチリしたミステリーのようにも思えます。しかしフロランタンの身の上やジョゼの愛人としての姿、女管理人との対決など、人生の悲哀と心理を浮かび上がらせ、独特の妙味を醸し出しているのは変わらずシムノン一流で、今回も楽しめました。

メグレは、やっぱりおもしろい!

◼️ 坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」

「私」サチ子の生き方。どこか太宰に似てるなとも。

以前いくつか坂口安吾の読みたい小説をピックアップしていて、未読だった作品。たまたま外で読む本を持ってなかったから、スマホで読んでみた。

サチ子が空襲で亡くした母はオメカケで、男出入りも激しかった。母はサチ子を金持ちのオメカケにしようと大事に育てたがサチ子自身はその束縛が嫌だった。戦時出征を前にした数人の男に身体を許したサチ子は空襲を生き延び、避難所から妻子ある会社専務の中年男・久須美に引き取られ、オメカケさんとなる。

力士と一泊旅行をしたりと浮気するサチ子を束縛しない久須美。会社務めなどにはまったく向いておらず、金持ちの久須美のもと不自由ない暮らしをしているサチ子は自分に入れ込む久須美に愛情を感じる。


1947年の作品。同世代でともに無頼派と呼ばれた太宰治にどこか似ている気もする。しかし女性のモノローグが得意な太宰はどれかというと可愛い、ちょっとお嬢さまっぽい心持ちや言動が多かったかな。坂口安吾の描くサチ子は、およそ力みかえったところがなく常識にとらわれない。男の間も感性のままスイスイ泳ぐ。サチ子の目から見れば、常識や思い込みにより人が守っているものは滑稽にさえ見える。読んでるこちらもそれもそうだと思うから不思議である。

すべてに冷めているかといえばそうではなく、礼などは言わないが笑顔は多く、勝てない力士には稽古を見に行ったり、いくたの叱咤激励をする。

フワフワして思うままに生きている。太宰に似ている気がしたのもこのへんで、旧来の常識、世間体を離れた近現代の人が、時代の空気の中で、心が向く方に動くという描写が多いなと思うのだ。

10歳くらい年上の先輩が、我々をマニュアル世代だと見て、自分達の頃にはマニュアルなんてなかったから、デートも行き当たりばったりな感じだったと言っていたのを思い出す。泊まりの外仕事が終わり、夜皆でボウリングに行った帰り、かき氷を食べながらの楽しい時間だった。

現代は常識が圧倒的に機能しているように見える。戦時戦後もそうだったのかも知れない。しかし文豪と言われる人は時にこのような、解き放たれたような人々の行動をとりとめなく描くことがあるように思える。それは、毒があることも多いけれども、間違いなく魅力的だったりする。

サチ子は母を意識する。世帯じみてきて、気がつけば母と同じような道を歩んでいる自分を嫌な目で見つめる。一方で久須美の前で自然に可愛い女になっている自分を気に入っている。衝撃的だった空襲の避難を思い出し、先々への不安を感じるー。

タイトルから、著者によくある古典に材料をとったものかと思ったがまるで違った。なかなか興味深い作品だった。

2月書評の4

新しい美術館は広くて窓が多くて開放的、やっぱり気持ちよかった。国立国際美術館のすぐ隣。会社からも近いのです。


◼️ Authur  Conan  Doyle 

The Adventure of the Blanched Soldier

            (白面の兵士)


ホームズ独り語り2編のうちの1つ。ワトスンの重要性をなるほどと理解。


ドイル晩年、最後の短編集「The Case-Book of Sherlock Holmes(シャーロック・ホームズの事件簿)」では、1つが3人称、そして2篇はホームズ自身の語りという実験をしています。バリエーションとしては面白いチャレンジだなと思います。ただ今回、思いがけずワトスンの貴重さを再認識しました。


さて、最初はホームズが自分のペンで事件を語る経緯が書かれています。


since I have often had occasion to point out to him how superficial are his own accounts and to accuse him of pandering to popular taste instead of confining himself rigidly to facts and figures. 


「彼の説明がいかに表面的かと何度か指摘し、厳しく事実と数値にのみ限定する代わりに大衆の嗜好に迎合したと言って責めたからだ」


ホームズシリーズを読んでいると、ホームズがワトスンの物語化を手厳しく批評している部分に何度か出くわします。その時は事件の先を急ぐためかだいたいワトスンは折れているのですが、水面下で反撃してたんですね。


で、ワトスンにはずっと、ほんなら自分で書いてみいとしつこく言われ続け、んでペンを持って書いてみたら、事件は読者が興味を持つ方法で表現されなければいけないと気付いたとある。笑、ですね。ワトスンも少しは溜飲が下がったでしょう。


さて、本筋に入る前にもう少し。今回、ワトスンは物語中に登場しません。でも言及はあります。書く苦労をホームズが知る、という側面は、シャーロッキアン的に興味深い。


I would take this opportunity to remark that if I burden myself with a companion in my various little inquiries it is not done out of sentiment or caprice, but it is that Watson has some remarkable characteristics of his own 


「私はこの機会に申し上げたい。さまざまな捜査にわざわざ彼に来てもらうのは、決して感傷や気まぐれではない。そうではなくて、ワトスンが非常に素晴らしい特性を備えているからだ」


と。しかし、


to whom the future is always a closed book, is indeed an ideal helpmate.


「いつでも、将来が閉じた本のように分からない人は、実に理想的な協力者なのだ」


なんて書いてます。褒めてるんだか貶してるんだか。でもホームズ1人称はこういうことがネタバレになるから面白いですね。


ホームズの叙述によれば、この事件は1903年の1月。世紀を越えた名探偵はこの年の晩秋にサセックスの田舎へ隠退したという見方が強く、ホームズシリーズでも終盤の冒険となります。


この時期、ホームズは孤独な生活を囲っていました。ワトスンは結婚してベイカー街の部屋を出ていたのです。ちなみに彼の唯一の自分勝手な行動で、私は1人だった、とあり、非難の色が見えます。


なかなか本筋に入れない笑。ワトスンが四つの署名」で出会ったメアリ・モースタンと結婚したのは1887年。そして1894年の「空き家の冒険」ではワトスンに「悲しい別離」があったとあり、ホームズは優しく慰めています。つまりこの時点でメアリは亡くなっていたようです。


ワトスンについては3回結婚説もあり、シリーズを自然に追うとメアリと死別し、ここで新たな結婚をしているのは確かなよう。老いを感じた時期の孤独に、寂しいだなんて口にしそうにないホームズがグチめいたことを漏らしているのにクスッとします。



ようやく本筋に辿り着きました。短い物語でもあり、たったか参りましょう。ベイカー街のホームズのもとを、ボーア戦争に従軍した兵士、ジェームズ・M・ドッド氏が訪ねてきます。ドッド氏いわく、戦友のゴドフリー・エムズワースがプレトリア近くの戦闘で象撃ち銃の弾丸を受け負傷した。彼からはケープタウンの病院、その後イギリスのサウサンプトンから手紙が来ました。しかし半年以上前にプッツリ音信が途絶えたとのこと。


ゴドフリーの父でクリミア戦争で勲章を得たエムズワース大佐に手紙を書いだけれども2度目の手紙でようやく来た返事には、ゴドフリーは世界一周の航海に出かけた。1年は戻ってこない、というなんとも事情の見えない言葉しかありませんでした。


読んでる身にも、もう少しマシな理由はなかったものかと思えますね。子どもの言いわけかっ、てなとこです。


無二の親友が心配だという直情的な青年のドッド氏、当然納得できないのでゴドフリーの家に押しかけます。とはいえ、次は母親さんに手紙を書き、自分はゴドフリーの親友で、ゴドフリーと幾多の苦難を共にした自分には彼のことで話せることもあるかも知れない。近くに行くのでお会いできませんか、ともちかけ、好意的な承諾の返事をもらいます。なかなか策士ですね。


で、とんでもないど田舎にある屋敷を訪ねます。もちろんゴドフリーママは夫である大佐に経緯を話していました。ドッドくんと大佐はすぐに衝突します。そして大佐は苛立ちながらもこう言います。


My wife is anxious to hear something of Godfrey's past which you are in a position to tell her, but I would ask you to let the present and the future alone. Such inquiries serve no useful purpose, and place us in a delicate and difficult position.


「妻はゴドフリーの過去のことについて知りたがっている。君なら妻にその話をすることができる。しかしわしは君に、現在と未来のことについては詮索しないようにお願いする。無意味なことだ。そして我々を微妙で難しい立場に置くことになるのだ」



日本の時代ものだとここまで奥さんに気は遣わないでしょう。騎士道精神が伺えます。また一介の下級兵士であるドッドくんにも筋を立てて言葉を選んで諭しています。さすがは大佐までになった方。ここは探索方を若い、行動先行タイプの元兵士に設定したことが成功していますね。後で出てきますが、ホームズはこの事件、いつもに比べてほとんど動かないで解決します。


さてこうまで言われて行き詰まったドッド氏。その晩は大佐の屋敷に泊まりますが事態は大きく動きます。


いかにも話したそうに部屋に来た老執事の言動から、ゴドフリーはひょっとして犯罪関係か醜聞かで家を追い出されたのかも、とドッド氏は考えます。そしてふと目を上げると、


there was Godfrey Emsworth standing before me.

「目の前にゴドフリーが立っていたのです」


彼はカーテンの隙間から、窓ガラスに顔をつけてこちらを見ていました。その顔は、幽霊のように驚くほど蒼白でした。


白人の顔が白いとは、映画やドラマで観てなんとなくは分かるけれどももひとつ実感が湧きません。ドッド氏はイギリスの太陽ではあり得ない日焼けの顔色をしていたと、ホームズに南アフリカ帰りを指摘されています。その対比も考え合わせるべきでしょうか。闇の中に白い顔が浮かぶのもいい光景です。映像向き。


ともかく、ドッド氏の凝視に気づくとゴドフリーは逃げ出します。ドッド氏、名前を呼びながら追いかけます。だだっ広くとりとめのないとドッド氏が描写した屋敷の敷地、道は細かく枝分かれしていました。追跡を諦めた時、ドッド氏の耳にドアが閉まる音が聴こえました。


ゴドフリーの母の持ちかけから首尾よくもう1泊の許可を得たドッド氏は敷地の探索に乗り出し、住居としても使えそうな大きめの建物を見つけます。その建物から出てきた紳士、山高帽をかぶって黒いコートを着た、きびきびした人物と何気ない言葉を交わしました。そして夜、建物に近づきます。


カーテンの隙間からは感じのいい部屋に、昼あった人物がパイプを咥え新聞を読んでるのが見えました。クライマックスの夜の冒険、ちょっと入り込んでドッド氏が話していると、ホームズは突然問いかけます。


ホームズ:What paper?

「新聞は何でしたか?」


ドッド:Can it matter?

「必要(な質問)ですか?」


ホームズ: It is most essential.

「非常に重要なことです」


ドッドくんはちょっと気分を害したようでしたが、読む新聞や内容で職業や関心事を知る、読者にその意味を分からせるような質問です。


話に戻り、中にゴドフリーくんらしい人影を見たと思った瞬間、ドッドくんは肩を叩かれます。大佐に事が露見したのでした。


This way, sir!「こっちへ来い!」


この物語を読んでいると、sirがたくさん出てきます。丁寧語かと思ってました。目下の者への命令を強調する役目もあるようです。


部屋へと追い立てられたドッドくん、明日の朝一番の汽車で帰れと言われます。大佐の非難に今後も諦めないと捨て台詞を残し、帰ってきたその足でホームズのところへ来たのでした。


さてさて、この物語の展開は早い。ホームズは次の週の始め、ドッド氏とともにゴドフリーの家へ向かいます。馬車で行く途中、途中に1人の紳士を拾います。


grave and taciturn gentleman of iron-gray aspect

「威厳のある、無口で鉄灰色のような顔の紳士」


でした。到着してまず、ホームズは老執事ラルフの手袋に注目し、彼が脱いだ手袋の匂いを嗅ぎます。消毒薬の刺激臭がしました。この時点でホームズは


I passed on into the study with my case complete. 

「私は事件を完全に解決して書斎へと入った」


と書いています。そこで、


Alas, that I should have to show my hand so when I tell my own story! It was by concealing such links in the chain that Watson was enabled to produce his meretricious finales.


「おや、自分語りをすれば、手の内をさらけ出さなければならない!つながった鎖のなかのいくつかを隠すことによって、ワトスンはもっともらしい結末を生み出すことができたのだ」


まあその、本人のモノローグでも、いやそれならなおさら手の内を隠すことはできると思うのですが、まあここは面白みということで。少女マンガのような進行ですねこの部分^_^


さてさて、エムズワース大佐が来訪を聞いて怒ったの怒らなかったのって。カンカンのカン、怒髪天を突く以上でした。顔を歪めて駆け込んできて、名刺を引き裂いて足で踏みつけます。ホームズは私がこれまでに見た最も恐ろしい老人、と記しています。


Have I not told you, you infernal busybody, that you are warned off the premises? Never dare to show your damned face here again. If you enter again without my leave I shall be within my rights if I use violence. I'll shoot you, sir! By God, I will! 


「お前に言わなかったか?このいまいましいおせっかい野郎!この屋敷には近づくなと。2度と顔を出すな、わしが乱暴しても法的には問題ないんやぞ、ピストルぶっ放すで!ホンマに撃つからな!」


最後の方関西弁になっちまいました。まあとまかくいたくお怒りです。ラルフ、警察だ!巡査を呼べ!という騒ぎの中、ホームズはある単語を書きつけた紙を老大佐に見せます。すると大佐は一瞬でおとなしくなりました。


How do you know?「どうやって知った?」

It is my business to know things.

「ものを知るのが私の仕事です。」


カッコいいですねホームズ。ともかくゴドフリー本人に会えることになりました。


ゴドフリーに会ってドッド氏は感極まり、駆け寄ります。しかしゴドフリーは近寄るな、と言いました。彼の陽に灼けた顔には、点々と、漂白したような白い斑点が浮かんでいました。


なぜこういうことになっているのか、ゴドフリーは順を追って話します。象撃ち弾を肩に受けたゴドフリーは馬にしがみついて危地を脱し、朦朧とした意識で一軒の家に迷い込み、ベッドで眠りこけます。翌朝その家がハンセン病の病院で、患者のベッドで眠ってしまったことを知ります。


ここではっきり書いておきますが、ハンセン病は感染症であっても感染力は弱く、感染したとしても発病するのは極めてまれで、現在は治療法も確立されています。ただ、ドリアン助川「あん」にもあるように、現代でも偏見は残っています。舞台が1900年代初頭のイギリスということで理解ください。


顔に斑点が出てきたことで家では世間の目からゴドフリーを隠します。もしいることがバレたら大騒ぎの末隔離、身の破滅と予想した一家は面倒を見てくれる外科医ケントを雇い入れました。あの夜はドッド氏が来ていることを知ったゴドフリーがどうしても親友をひと目見たかったから、窓のところへ行ったのでした。


ことここへ及んで、ホームズは提案をします。ホームズが馬車行の途中で載せた紳士は、ハンセン病の専門医サー・ジェームズ・サンダーズ医師でした。ホームズは馬車からサンダーズを招き、ゴドフリーの診察をしてもらいます。


この間ホームズはなぜこの謎が分かったか、大佐やドッドくんに対して思考の流れの説明をします。私はここで、ワトスンの不在を強く感じてしまいました。


謎解きの過程はそれ自体興味深いものではあります。しかし、やはり依頼人や関係者だけでなく、ワトスンやレストレイド警部のような警察関係者がいてこそ響き方が違うのかなと。モノローグだから、ワトスンは順序正しく分かりやすく話を整えてくれないし、大げさに驚いてもくれない。大佐やドッドはこの事件限定の軍人で、リアクションも少ないし、どれくらい話が伝わったのか分かりにくい。やはり結果にこそ興味があって、謎解きに関心のある人たちではないと思えるから、ですね。それは多少ホームズも書いています。


And here it is that I miss my Watson. By cunning questions and ejaculations of wonder he could elevate my simple art


「ここで私はワトスンがいないのが辛かった。上手い質問や驚きの叫びで、彼は私の単純な技術を高めてくれただろう。」



ホームズの頭には、ゴドフリーが犯罪者となったか、精神に異常をきたしたか、隔離されるような病気になったか、という可能性がひらめき、一つ一つ検討していきました。そして残ったのがハンセン病の隔離でした。


when you have eliminated all which is impossible, then whatever remains, however improbable, must be the truth. 

「不可能なものをすべて排除した時、何が残ろうとも、いかにありそうでなくとも、それが真実に違いない」


ホームズシリーズに何度も出てくるこのようやフレーズに今回も従ったわけですね。


さて、診察の結果は・・偽ハンセン病もしくは魚鱗癬で伝染性はないとのこと。思い込みにより、恐怖を感じている病気の物理的な症状を生じさせてのではないか、という見立てでした。ホームズはドッド氏の白すぎる顔、という症状を聞き、旧知の仲のサンダーズ医師に相談していたんでしょうね。


最後のセリフはサンダーズ先生。小粋です。


the lady has fainted! I think that Mr. Kent had better be with her until she recovers from this joyous shock.


「こちらの女性(ゴドフリーの母)が気を失ってしまいましたね!彼女の面倒はケント氏が見たほうがいいと思いますね。彼女がこの喜ばしいショックから回復するまでね」


さてさて、物語を俯瞰すると、ホームズ本人の動きが少ないためにもうひとつワクワク感がないですね。もう1つのホームズ本人筆の作品である「ライオンのたてがみ」は今回の話よりは動きがあるものの、こちらもあまり犯罪捜査的に派手な描写はないイメージです。


「白面の兵士」は推理や捜査の代わりに、戦場や謎のエピソードに動きがある、という特徴が見えますね。過去の凶悪事件が現代に害を及ぼす「グロリア・スコット号」でも現代側の動きは大きくありません。



ワトスンの描写への文句を反省する、という少々ユーモラスな実証がされていて面白みがありますね。また、「赤毛連盟」ほかの短編でも感じますが、ドイルは意外に彩色や闇と光、黒と白などを意識している作家さんで、今回も鮮やかでした。またドッドの性格や大差と新兵の対比など、設定も細やかです。


小ぢんまりしているけれどもそれなりに注目すべき点のある物語、というところでしょうかね。






iPhoneから送信

2月書評の3

新しくオープンした中之島美術館に行ってきた。まずはオブジェが面白かった。猫のは、同じ作者の作品が福岡市の冷泉公園にもあるそうだ。

◼️ 鈴木直樹「マンモスを科学する」

壮大なマンモスの発掘、運搬、研究。おもしろい。

理系的な本を読みたくなって図書館で探した。もともとアラスカ、シベリア、アフリカなどの生物学的、文化人類学な本は好みだけれど、ひさびさに血が騒ぐ感覚を味わった。

webで知り合った方には単独でユーコン川のカヌー旅を実行した人もいる。私は読むだけで現地に行くのはムリだけども、この類の本はやはり人を駆り立てるものがあるのかなと。

著者が愛知の愛・地球博でマンモスの展示に携わることになり、その奮闘ぶりを記した本である。最初はマンモスが眠っている永久凍土ごと切り取り、それを日本まで運搬するという計画だったが予算削減で頓挫、すでに発見され、シベリアの寒冷な洞窟に保存されているマンモスを運搬し研究展示することになった。

ユカギルマンモス、湾曲した異常なほど大きな牙を持ち、皮膚や毛、筋肉、脳や眼球までが残されたマンモス。発見された際、著者は現地で詳細に研究し、やがて日本へ持ってくることになったのだった。

この目的を達成するためにいかに膨大な作業量と装備設備の準備が必要か、それでも起きるトラブルへの対処などが克明に記されている。さらにCTでマンモスの体内を3次元的に解析、再現する過程とその成果も盛り込まれていてワクワクする。

なぜあれほど大きな牙を必要としたのか、また現代にはない寒冷地に生息した象、マンモスのそのための身体の構造は、さらに人類との関わり、なぜ絶滅したのかまで話は飛んでいく。現代の象の生態も興味深い。

やはり6500万年前に絶滅した恐竜と違い、今回のユカギルマンモスは1万8000年前のもの。寒冷地に埋もれていたため、柔らかい内蔵や筋肉なども残されている。恐竜とはまた別の、生々しい想像が広がるのは新鮮な体験だった。

マンモスの牙には高値がつくので公式に発見情報の他に膨大な発見事例はあるだろうと思わせる。ただ、昔から「この獣に近づくと、災いが村にふりかかる」と長老が村人に呼びかけたと伝えられたらしい。

ユカギルマンモスの体内からは、活動状態でないとはいえ、猛毒の細菌が発見されたという。言い伝えの正しさに深くうなずくと同時に、運搬の万全、保管展示の最新の注意は本当に妥当だったと思わざるを得なかった。

著者の熱量、エネルギーもものすごい。面白かった。

◼️ 葉室麟「乾山晩愁」

安土・桃山、江戸の時代の絵師たち。葉室麟が世に出た作品。

葉室麟は表題作で歴史文学賞を受賞し、文壇に出た。福岡出身で九州の題材が多いこともあり、また様々な時代の興味深いモチーフを描く作家さんなのでよく読んでいる。

今回は尾形光琳と弟の陶工・乾山、また信長・秀吉に愛された狩野永徳、永徳と争った長谷川等伯、狩野派の女絵師・清原雪信、波乱の絵師・英一蝶を主人公にした短編が収録されている。

「乾山晩愁」

兄・尾形光琳の死後、江戸から子連れの女・ちえが訪ねてくる。弟・乾山は兄の放蕩ぶりを思い出しつつ、ちえ母子の面倒を見ることにする。ある時、乾山は14年前の赤穂浪士討ち入り事件に光琳が深く関わったかも知れないという話を聞かされる。そして、乾山が親しくし陶芸の釜を置いてもらっていた二条綱平邸への出入りが突然禁じられるー。

光琳と乾山、著名な2人を軸に忠臣蔵が絡む謎を展開し、陰謀を匂わせる。ノンキさから黒さ、闇から光、そして闇。日本の絵画史に残る絵師と誰もが知る仇討ち劇。深さを感じさせる流れだと思う。


「永徳翔天」
狩野永徳が織田信長に気に入られ、出世していく話。安土城築城の際の活躍も出てくる。ライバルの土佐家よりも前に出た名高き永徳もやがて等伯の登場により苦杯をなめる。小姓の美少年、万見仙千代が怪しく動く。


「等伯慕影」
この篇で等伯は気の小さい男として描かれている。画壇の頂にある狩野派を切り崩すため、千利休を頼みとするが、利休が秀吉の不興を買うと距離を置く。世を渡っていく等伯の心中。これはもひとつ腑に落ちなかったかな。

信長・秀吉編では、権力者にとっては絵も政争の道具、権力を誇示するためのもの、という視点も強調されている。それがまた絵師の立場の虚しさを醸し出し、また逆に作品の強さを表しているような気もする。


「雪信花匂」
狩野探幽が出て勢いを盛り返した狩野派の家中の話。惣領家と、探幽のいる鍛治橋狩野家の争い。その才を探幽に気に入られた閨秀画家・清原雪信は大人気となった。しかし幼なじみの守清との恋募の情を家中の争いに利用されそうになる。

この話が最も清々しく心に残る。雪信は知らなかった。守清は兵庫の尼崎藩。尼崎市が雪信の絵を所蔵しているようで、一度見てみたくなった。周囲の策謀に対し、心ある大人の行動にほっとする。花魁が客の井原西鶴に、宴席に居合わせた雪信の恋の話を語る体となっている。由比正雪事件、大伴家持の歌など、世相の織り込み方と興趣の盛り込みようも心憎い。

「一蝶幻景」
狩野派を破門された、遊び人絵師の朝湖。宝井其角と仲が良く、松尾芭蕉にも顔なじみ。時は綱吉の世。大奥では公家の出の正室と将軍の母の側室、それぞれの派閥が争っており、朝湖はひょんなことから公家派で綱吉の側室兼大奥総支配、右衛門佐の諜報役を務めるようになる。2人は互いに魅かれ合うー。

吉原には旗本らも来るためその噂話を集めるという遊び人仲間と始めたアルバイトのようなものが大事となり、やがて朝湖は逮捕される。波瀾万丈の人生。最後の作品も忠臣蔵に繋がって、フィナーレとなる。

よくできた短編集だ。時代の微妙なずれにも味がある。山本兼一「家鳥の夢」で狩野永徳の生涯を知り、安倍龍太郎「等伯」も読んだ。京都で狩野派、琳派、等伯の絵を観て、何度も楽しめる。この題材の集め方、並べ方は好みバッチリ。

また今回はデビュー時の葉室麟氏の、作り方を覗けて、それがなかなか惹かれるものではあった。

2022年2月11日金曜日

人生の駅

レオンが死んだ。

2022年2月10日木曜日夜。19歳7カ月。

病院から帰ってベッドに寝ていた。いつものように何度か動きたそうに、起きたそうに身体を動かすがもうその力がない。夜10時30分ごろ、少し大きめの動きをしたので抱き上げてみると、今までになくぐったりしている。再びそっと寝かせると、口を開けて喘ぎ始めた。本能的にヤバいと家族を呼んだ。

見開いた眼からは少しずつ光が消えた。身体はしばらく温かだったが1時間もすると死後硬直が始まってしまった。


数年前にすでに治療不可能ながん告知を受けていたが生来の身体の強さで、人間なら100歳と言っていいここまで生きた。


半年前くらいに胃捻転を発症し、たびたび発作が起きていた。夜は必ずリビングで一緒に寝ていた。これからその生活も変わる。

人生で20年を一緒に生きた。ともに東京に行き帰ってきた。

死んだ日の夜はいつも通り一緒に寝てあげた。夜明け近く、レオンの形のようなものが天へと上がっていく幻を闇の中に見た気がした。クッキーは珍しく自分からレオンに身体をくっつけて寝ていた。


自分にピアノが弾けたなら、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番の第2楽章か、ショパンのソナタ2番、「葬送」の有名なフレーズとそれに続く部分を奏でるだろう。どちらも人生への問いかけ、対話を象徴するかのようなメロディーだ。それは誰にも弾くことのできない音色で響くだろう。

翌日の午前中、春近い冬の空の流れる雲を見上げながらそんなことを考えていると、自分の中で盛り上がってしまったのか、猛烈に泣けてきた。涙が止まらない。母が亡くなった時は泣かなかったのにな、なんて思った。

2月書評の2

羽生結弦はショートプログラム、最初の4回転ジャンプ、氷上の穴にエッジがはまって回避し0点で8位となった。フリーでは冒頭のクワッドアクセルは転倒、次の4回転ジャンプも転倒。しかしその後の演技は完璧に決め、フリーは3位の得点で総合4位に食い込んだ。金メダルネーサン・チェン、銀は鍵山優真、銅は宇野昌磨。

練習でも成功したことのない4Aにこだわっていたから、この結果は予想ができた。でも、羽生結弦なら、本番でこそ成功してみせて王者の笑顔を浮かべるかも知れないと奇跡に期待した。そもそもネーサン・チェンに対して不利が伝えられる中で強い気持ちを持って対抗したのはやはり注目すべき道のりだっただろう。頑迷にも見えた王者のロード。見届けた。

羽生がバツグンに強かったころは特に応援してなかったけれど、悲壮な決意を固めた今回は応援する気になって、本人も参るという3駅隣の弓弦羽神社で祈願。絵馬はファンの願いいっぱい、プーさんたくさん笑。

んで、同じ日の夜、女子バスケットボールのワールドカップ予選、日本vsカナダをバスケ沼部で応援。前半20点差ついたから心配していたが後半は動くこと、ドライブすること、ディフェンスがんばること、そしてスリーと調子を取り戻し、オーバータイムの末大逆転勝ち。世界ランキング4位に勝てることを証明してみせた。試合後のカナダ選手の放心の表情が印象的だった。

で、発売されたばかりのトムさんの本、読みました。



◼️ トム・ホーバス
「ウイニングメンタリティー」

バスケットで日本がオリンピック決勝?ありえなかった夢を現実にした将の哲学と回顧。

私は中高とバスケ部で、バスケット女子代表はずっと興味を持って見ていた。2000年くらいからオリンピック予選をBSで観ていたから、東京2020での女子代表の躍進には感慨深いものがある。小さい日本がバスケのオリンピック決勝へ行くなんて!そこには信じていた部分ととてもインクレディブルな要素がないまぜになっている。

さて、一躍時の人なったバスケ女子日本代表とトム・ホーバスヘッドコーチ。「何やってるんデスカー!」「強くボール持って!!」バラエティにもたくさん出演しているし、ご存知の方も多いだろう。

この本を読んでみて思ったのは、テレビで見る柔和な表情とは裏腹に、また試合での檄、そのイメージ以上に「気合いの入った人」であるということだった。

NBAに挑んだ現役時代、トヨタで4年連続得点王を獲得し、アメリカ帰国から10年以上経って、女子バスケットの強豪ENEOSから連絡がある。190cmを超える身長の渡嘉敷来夢が加入する。トムと同じようにインサイドもアウトサイドも出来る選手にしたいからとのコーチ就任の打診だった。単身、彼は日本へ旅立つ。

きっかけは、細い糸のようなものだった。まったくの偶然ではなく、バスケ界の記憶、という面でどこか運命的なもの、そういった不思議さをも感じる。おもしろいエピソードもあるものの、ここまで非常にページ数が少なくて、本論への展開の早さに好感を覚える。

以下、コーチング哲学からキーワードを拾ってみる。


「選手を追い込むことは必要です」


レベルアップのため、選手がただ心地よくプレーするだけではダメ。厳しく、刀鍛冶が何度も刀身を鍛えるように追い込む。ただしその前提として、選手との関係性構築やアフターフォロー、練習中とそうでないときの態度などには細やかな配慮をするという論旨。


私の考察。女子バスケの日本代表には海外でプレーする選手がほとんどいない。だいたい国内Wリーグの上位チームの選手で構成されている。リーグ戦、プレーオフ、皇后杯で何度も当たるから、ほとんどの選手の実力や性質はその中で把握出来る。トム・ホーバスはWリーグチャンピオンENEOSのコーチで、2018年のリオオリンピックには代表コーチとして帯同している。コーチとヘッドコーチの立場の差はあれ、選手との関係性構築には有利な立場だったと思える。


「勝って初めて、楽しくうれしいのです」


東京オリンピックでの金メダル、という目標設定、その理由と代表メンバー選考過程での選手間の競争などを述べる章では、スポーツは基本楽しむもの、では「楽しむこと」と「厳しくすること」をどう両立させればいいのか、という疑問を投げかけ、答えを提示している。


日本女子はアテネオリンピックでグループリーグ敗退だった。しかし本当に僅かな点差だった。その後2大会連続で出場を逃し、迎えたリオオリンピックではいまのバスケットの原型のようなものが出来ていて、その時点でフランスにも勝っていた。決勝トーナメント1回戦でアメリカに当たるという不運がなければもっと上位進出も可能だったと思っている。そういった土壌があっての金メダル目標宣言は、逆に向かう先をこれ以上なくクリアにしたのかもしれないと思う。とてつもないプレッシャー、こんなこと言ってダイジョブ?というのは皆思ってたでだろうけど笑。


「選手たちが逆境やスランプを乗り越えるには、やはり厳しい練習しかないと考えます」


その上で、選手を追い込み続けた上で、選手たちがどう対処するかを観察する、選手の状態を見ながら、追い込み方のさじ加減を考える、と。コンディションが良くなかろうと試合はやってくる。谷を乗り越える力もつけるべき。んー。ここまで読んできて思うのは、予想以上に気合いの入った方でブレがないかも、ということ。この本では自分が現役時代に出会ったコーチのことを述べている。でも私は時に手がつけられないくらいの強さを示していた常勝ENEOSのコーチ経験も関係あるのか、と考えたりしてしまう。


ヘッドコーチはどうあるべきか、その資質についても特に後半述べられている。そここそは読むときの愉しみ。1つ言えるのは、アメリカのチームの練習を観に行ったり、バスケ以外のスポーツの知識も増やしたりと大変なエネルギーを傾けて自分が成長する糧にしているということ。バスケットボールはNBAの存在と世界的に人気競技であることこから、戦術、トレーニング等は研究され尽くしていて、その上に各人のオリジナリティがあるということだ。

日本女子の戦術はNBAウォリアーズのバスケットを参考にした、という報道もされているけれど、それだけではなく、相当取り入れているものはある。

また作中トムが読んだ本として挙げられているマルコム・グラッドウェル「ダビデとゴリアテ(邦題「逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密」)にちょっと興味が湧いた。

私は、2012年のロンドンオリンピック最終予選などで高さの壁に苦しんできたにもかかわらず、東京2020ではなぜか発生するスペースを突いて、大きさの差をものともせず小気味良い攻めを繰り返す日本を不思議な気持ちで観ていた。トムさんがスリーポイントシュートとスペーシングの重要性、という言葉を使った時にスペーシングの秘密を知りたいな、と思ったもの。

この本ではアウトファイブ、というフォーメーション、チョーク・ザ・ポストというポストマンへの対処など多少は触れられているけれど、さすがに手の内を明確にさらすものはなかった。

サイズはなくとも、全員が激しいディフェンスをしながら攻守に足を止めず、全員がスリーポイントを打つ。「スモールボール」のプレーぶりは女子バスケットボール界に風穴を開けた。世界はその方向に向いている、という示唆もある。折りしもNBAウィザーズのHCが八村塁を通常ビッグマンが務めることが多い5番ポジションで使うと言った、との報道が。関係ないかもだけど、感じるところはあった。

スポーツグラフィック誌「Number」で、トムとラクビー日本代表前監督、エディ・ジョーンズとの対談も興味深く読んだ。2人は共感し合いながらも、互いの手法について学ぼうという姿勢がまた目を引いた。話の中で出てきた、日本人の心の中には悪魔が棲んでいて、時としてそれが表現される時がある、というフレーズにも魅かれるものがあった。これは、プロ野球巨人の原監督の言葉で、聞いたエディはコーチはそれを適切なタイミングで解き放つことをコーチの仕事と理解したという。


東京オリンピック準々決勝ベルギー戦、林選手の劇的な逆転スリーポイントシュートが決まった後、ベルギーには最後のアタックの機会があった。わずか1点差、ベルギーの選手が放ったシュートはゴールにまっすぐ飛んでいき、際どいところで跳ね返った。

入っていればベスト8敗退。スポーツの結果は運にも左右される。しかし何気なく先への道がつながる時もある。それが東京2020だったということだろう。アテネでは終了間際のスリーポイントシュートが入らず日本は敗退した。

この本の終わりの方に男子日本代表の展望も書いてある。この上なく愉しみだ。


ベルギー紙は決戦に敗れた際、林は悪魔を解き放ち、逆転のスリーポイントを決めた、と書いた。男子代表でも、日本人の特性を生かした強いバスケを展開し、選手が心の中の悪魔を解き放つ時間帯を楽しみにしている。


◼️太宰治「待つ」

「二十の娘」は何を待つのか。プリミティブな素材の詩的な短編。

大変短いコントで、文庫本なら3ページくらいだろうか。散文詩のような印象。最近読んだ本に出てきたのでしばらく太宰読んでないしと探してみた。

情景としては、先の戦時中「二十の娘」が買い物帰りに省線電車の駅のベンチに座り、予感にとらわれている。そして、自分は何を待っているのだろうか、と想いをめぐらせる物語である。

多くの人が改札口から吐き出される光景、ひょっとして誰かが声を掛けてくる、その瞬間の、こわい、どきどきする、ぞっとして、息がつまるといった感覚を想像しつつ、誰かを待っている。


娘は大人たちの外面的な世界を知って嫌気を覚えている。大戦争が始まってからの緊迫した空気、その中で役に立ってない自分に自信を失っている。

ひょっとして自分は立派そうな理由をつけて、軽はずみな空想を実現しようという不埒な計画を持っているのかも知れない。


しかし、いや、何かを待っているという強い確信はある、胸を躍らせて、待っている。

まず思い出したのは太宰の「トカトントン」という未来を予感させる音の短いコント、そしてもちろん「女生徒」。


現在から抜け出したくて、何かを待っている。もちろん現状を変えるには自分で行動するのが一番かも知れないが、そうできないから心の葛藤となる。それは現代でも共感できるところはあるかも知れない。普遍的なテーマを掘っている。

次に時代性。多くの知らない人が集まり固まって動く情景は、その中に取り残されているような気分を助長する。現代性と戦時の時局が醸し出す緊迫感をそのまま表現しているのだろうかと思える。

そして幼さと大人の中間の、若い女性の心象。不安感、幼い想像、その幼さがわかっているからこその、知らない世界への期待感。そこには特有の青いみずみずしさがあり、読む者を魅了する。

そもそも女性のモノローグをよく使う太宰は、得意の素材と手法を用いて、誰もが抱く未来への不安と期待を、描いた時代に落とし込み、読み応えのあるコンパクトな物語にしてみせた。

冷いベンチ、ちろちろ燃える、青葉、清水、妙に心を刺す、立つ言葉。絶妙かなと思える。

太宰は最初、暗くて、ヘタレで、自己演出家でヤな感じ、と思っていた。しかしつぶさに作品を見ていくと、時に熱狂的ともいえるファンがいるのも分かるような気がしてきた。今回も、そう。おもしろい文豪だ。

次元は違うけれども、昔のグレープというフォークソンググループに「十九才」という名曲があったことを思い出す。十九才になったのだから家を出ようかと思うが、ひとりきりで生きたくてもむりで、歯がゆくて中途半端だという娘の想い。

短い小説だけれども示唆に富んでいると思う。

2月書評の1

節分は太巻き。方角を見て長いのにかぶりつくんじゃないの?と福岡方面から質問が。子どもが小さい頃はやったけど、まあもうしませんよ笑。

在宅と出社と半々。寒い時期、家はぬくぬくとしてるし適度に出られるし、しばらくの辛抱、きっともうすぐピークとコロナ慣れの風情。


◼️山尾悠子「ラピスラズリ」

独特のワールドに懸命についていくのも山尾さんの読み方かも。

私はイラン映画が好きだった。特に「ダンス・オブ・ダスト」などの作品があるアボルファズル・ジャリリ監督は一時期ハマった。ドキュ・ドラマという手法を取る映像はどこからどこまでが作りものなのか分からない、またイランの社会状況もほぼ説明されていないので、この場面はどういうことなのか、観ている間頭をフルに回転させて、後でパンフレットで解答の一部を観て理解するという感じだった。

山尾悠子の作品の読み方はジャリリの鑑賞に似ている。「飛ぶ孔雀」でも体験したけれども、舞台はどんな所なのか、時代はいつなのか、登場人物のキャラクターは、など考えるところがたくさんある。次々と不思議な設定、次々と変わる場面、断片的に多く出てくるキャラクター、そもそもの意味と進行の具合などに翻弄されまくる。

2冊を読んで思ったことは、壮大さを感じさせる世界、舞台設定やドラスティックに崩壊していく物語に迫力とどこか底深いものを感じる、ということだ。

気になる端麗で刹那的な表現が散りばめてあったり、色の対比を強調したり、高さ大きさだったり、邪悪の存在など数々の要素が詰め込まれていて、スケールの大きさを実感する。また短歌も詠む方のようで、言葉のリズム感も独特でこれもまた火花が散るようにチリチリと心を焦がす。最も長い100ページ超の「竈の秋」でそんな感覚を味わった。

言ってみれば長野まゆみの美少年小説をディストピア的に大きく転回させたような・・ちょっと違うかな。 

言葉と、知識。疱瘡神、というのは日本の伝説にもあるようだが、印象的だったのは「ギルガメシュ叙事詩」だったような。「冬眠者」もよく調べれば出てくるのだろうか。また、ドービッシュはドビュッシー、スフォルタスはシェイクスピアのフォルスタッフのアナグラムみたいだな、とか、ペグライトは鉱物っぽいとまたくすぐられたりもした。

ラストの短編の意味、また全編を貫いているであろうベースの世界観は分からないがきっとあるのかな。

「飛ぶ孔雀」に比べて和風モダンな色合いは少ないかと思う。

正直、ストーリーを飲み込めたかというとそれは分からない。ムリ。そういう読み物。

マンガ・アニメの「ブルーピリオド」に絵は言葉で伝わらないものが伝わる、といった意味合いの台詞があった。文学を言葉で説明するのかそうでないかは不毛な議論かも知れない。私的にも、分かってもらおうという努力は必要で、全てを丹念に言葉で追う作品にも名作はある、説明しなくてもいい、という簡単な割り切りにはやはりあまり賛成できない。

でも言葉で言葉以上のものを伝えることはできる。後は手法の問題だなと。

そんなことまで考えさせる山尾悠子は続けては読めないな。でもまたきっと手にするだろう。


◼️ 菱井十拳「羅刹ノ国 北九州怪談行」

犬鳴峠の探検を思い出す。福岡怪異譚考察ルポ。

たしか新聞の広告で見て興味を持っていた。私は同じ福岡でも北九州市より南の福岡市周辺エリア育ちなので、そこまで北九州エリアには詳しくない。でも市町名やおおよその地理は分かるから、あの頃は知らなかった地元の怪談が分かって面白かった。

また福岡市から近く、最強の最凶心霊スポットとしてそれはそれは有名な犬鳴峠を夜探検したことを思い出した。ホラー映画「犬鳴村」が公開されたことも作中で大いに話題に上っている。私も観た。

さて、内容は怪談ライターである著者とそのお仲間、怪談作家とオカルトマニアの男性、この3人を中心に不思議、怪異な話を調べていくうちに様々な現象に突き当たる、という書き物。

きっかけは怪談作家の職場の同僚、その友人である30代女性が、天狗礫と言われる現象に遭っているとの聞き込み話だった。その人、杉富さん(仮名)は、道を歩いていると、「ポイッ」というような感じで、行く手の足元に向けて小石が放り出される。周囲を見回しても誰もいない。

飛んできた石は黒い小ぶりの石で、表面に金泥か何かで文字が書かれていた跡があると。杉富さんの母親もその昔天狗礫のような体験をしており、その際巫女のような衣裳を着た壮年の女性を見たという。さらに後になって、自分は何かをずっと待っている気がする、と伝えてくる。調べていくうちに、明治期に爆発的に流行って、高額の神水販売が問題となりすぐに廃れた新興宗教の存在が浮かび上がるー。

まあ文調はノンキなテイストなので、そこまで迫った怖さはないが、なにせ短い怪談のオンパレードである。

戦国期の宗像氏にまつわる惨殺事件、いわゆる山田事件と菊姫伝説、「犬鳴村」の「コノ先、日本国憲法通用セズ」の看板が実在した話、戦時の防空壕避難者全滅に絡む幽霊、福岡市西区・糸島市あたりの「だいぐれん」伝説。著者たちが体験した犬鳴怪談。

伝承されている有名なもの、何かの由来から個人的に聞いた話、小ネタまでが詰まっている。その中に福岡県の地理と近代史が散りばめられていて興味深い。著者には先に出した「修羅の国 北九州怪談行」というのもあるらしく、つい読んでみたくなる。

「犬鳴村」のもとは福岡市から東側の筑豊地方へ向かう位置にある犬鳴峠だ。上でも触れたが、ここは地元でも有名な心霊スポットで、夜行くとヘッドライトの当て方によって岩が長い髪の顔や不気味な猫に見える、とか、あのカーブミラーには幽霊が写るとか、細かい部分でまことしやかなウワサがあり、旧道のトンネルで車を停めて歩く、というのがスリルある遊びイベントになっていた。

私は遊びスケートが趣味で、年中営業している力丸スケート場というのがこの辺にあったのでよく通っていたから懐かしい。友人たち5〜6人で行った夜のトンネルも貴重な体験だったと思う笑。「犬鳴村」はテレビのオンエアを観たけれど、劇場で観ると怖かったのかな。

この本、作中で1つポイントになるのが小野不由美「残穢」に収録されている「北九州一の怪談」らしい。興味はあった。いい機会かもしれないので探してみよう。

1月書評の8

前回から画像は、久しぶりに真上をきれいに通過した「きぼう」。北のカシオペアから天空を通って、南東のオリオン座の中を通過、消える前にシリウスと大接近。満足の観測。

1月は13作品12冊。バラエティ豊かすぎるところが自分らしいなと笑^_^


◼️ 土田京子「楽典がスイスイ学べる本」

前半は音階、音の度数、長調、短調。後半は歴史や記号で読みやすい。


ショパンコンクールだったかほかのクラシック関連本だったかで楽典というものがあると聞きかじり買ってきた本。前半の音階や度数、長調、短調などは粘りが必要。スマホのピアノアプリで鳴らしながら一応やったけど、復習も必要だな。ここするかしないかで変わってくるんだなたぶんと。

少年の頃、ギターを少し演奏してて、その際にたくさんコードに触れたり音符を読んでみたりしたけども、音階は結局身につけなかった。この本を読んで、家にピアノあったのにやっときゃよかったといまさら思う。

ト音記号はG Clef、ヘ音記号はF Clef、ハ音記号はC Clef。全休符と2分休符は間違えやすい、付点とタイ、シャープとフラットでCisとCes、全音と半音、長音階に短音階。durの次はa moll。増2度、平行調。そもそもニガテな拍子。なぜ4分音符4つと2分音符2つで拍子が違う?単純拍子、複合拍子に混合拍子。5/4拍子でチャイコフスキー6番の第2楽章が出てきてるのがちょっと嬉しかったりして。アウフタクト、言葉は覚えるけど意味忘れた。

次は音程。長2度長3度完全4度完全5度長6度長7度。長があれば短もあるのがミュージック。オーギュメントインターバルにディミニッシュインターバル。楽典でも最もややこしいところだそうな。

近親調。属調・下属調にそれぞれの平行調、同主調。店長、いや転調の基礎になるとか。胃腸、いや移調。これをスラスラとやってみたい、究極の目標。

和音・和声、参りました。書き下すのもめっちゃ時間かかってます。全体の半分、ここまでがたぶん?いわゆる楽典、だと思う。

この後はクラシック音楽史。バロックがモンテヴェルディ、スカルラッティ、バッハさん、対位法全盛時代?

次がキラ星のようなウィーン古典派。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン。ソナタ形式が固まる。

続くロマン派。シューベルト、ショパン、シューマン、ブラームスはクララ・シューマンと歩んだ。リストほかほか。既存の価値に挑戦した異端児ワーグナー、フランスではドビュッシー、ラヴェルなどの印象派。ここまで。


そしてオーケストラの楽器に行って、そしてたくさんの楽語の説明。後半はスラスラと読める。

個人的には、チャイコフスキーの5番のスコアを買ってきたとき、第1楽章冒頭のクラリネットや第2楽章冒頭のホルンが管により記譜音と実音が違うのを知らず、かなり戸惑ったのを思い出した。

これはやっぱり復習が必要。音階も、和声もその努力に分かれ道がある。うーむ。どこかで特訓かな。いましないのが結果を示してるかも。

著者が一生懸命分かりやすく書こうとしているのは伝わる。あとはたぶん、音楽をなにかしら続けていく中で意味を理解する瞬間があるのかも、なんて思った。

1月書評の7

サッカー日本代表は生き残りを賭けたサウジアラビアとのホーム戦に2-0の完勝。これで勝ち点と得失点差は

1位サウジアラビア 19 +5
2位日本      18 +6
3位オーストラリア 15 +9

となった。残り2試合、サウジは中国とオーストラリア、日本はアウェーでオーストラリア、ホームでベトナム、オーストラリアはホームで日本、アウェイでサウジアラビア。

日本は5連勝、オーストラリアは直近の試合オマーンに引き分けてしまった。それでも次の直接対決に日本が負ければ、得失点差で順位は逆転される。しかも、少なくとも得失点差は4点の差がつく。

どうひいき目にみてもサウジは次の中国戦で予選通過を決めるだろう。となると最終オーストラリア戦は消化試合。最終戦ではいろんなドラマが生まれるけれど、フツーに見てオーストラリア有利。日本は最終戦で6点以上取らなければならないハメになる。

次はアウェーで勝ったことのない(なかったっけ?)オーストラリア。調子は日本は↑、オーストラリアは↓。でもサッカーはどう転ぶか分からない。日本はぜひとも勝って本大会出場を決めてしまいたい。

がんばれよー、3月期待してるぞ。

◼️ 桑原水菜「遺跡発掘師は笑わない 
ほうらいの海翡翠」

盛りモリ。天才遺跡発掘師サイバラ・ムリョウ登場!古代への憧れからジェットコースターのような展開へ。奈良はいいなやっぱり。

桑原水菜は、以前アニメーションの歴史をまとめた本で初めて知って興味を持っていた。「炎の蜃気楼(ミラージュ)という歴史ものの大ヒット作があり、女子中心にファンが多く彼女らは「ミラネーゼ」と呼ばれたとか。

ラノベも好きだし、人の勧めもあってこの作品を満を持して読んでみた。遺跡発掘や鉱物の専門的な知識の説明がなかなか知的好奇心をくすぐる。鉱石が大好きだった石ッコ賢さんこと宮澤賢治が読んだらめっちゃ喜びそう。

ともかく、古墳の集中している奈良で遺跡発掘、知識の宝庫。独特の悠久な雰囲気を思い出し浸ったあとはジェットコースターのように速い展開へとつながる。動きは激しいし、壮大だしですっかり一気読み態勢だった。

アメリカで恐竜発掘をしていたところを奈良・上秦古墳の現場へと派遣されることになった若き発掘作業人、西原無量。21才の彼こそは「鬼の手(オーガ・ハンド)」を持つと言われる「宝物発掘師(トレジャー・デイガー)」だった。派遣元事務所から来たマネージャー役の永田萌絵とともに向かった現場で、無量は幼なじみの相良忍と再会する。文化庁の職員として来ていた忍と無量は幼少の頃仲が良く、悲しい出来事があって別れたままだった。

発掘が始まるとすぐに無量は緑色琥珀を掘り当てた。西原を指名して依頼した三村教授は「蓬莱の海翡翠だ!」と異常なくらいの悦びようを示す。しかしその夜、三村教授は研究室で何者かに刺殺される。萌絵が目にした研究室から出て来た人影、それは相良に似ていたー。


前半だけでも充分濃厚なミステリー、考古学的な説明と理論の組み立て。さらに後半ははるか南の島に飛ぶ。そして冒険、発見、逃避、解決、謎の説明へ。壮大で、盛り過ぎってなくらい盛り盛りだ。途中で何が最も大事なのか見失ったし。

読者を代表して物語に働きかけていく業界新人の萌絵もタダ者ではないし、萌絵の事務所は遺跡発掘全般に関する代理業のようなところで、その所長もひとクセあり、さらにスタイリッシュな女性ジャーナリストもおそらく今後の常連で出演するであろうことが匂う。

なんというか、ラノベと本格的な学問と現場のディテール、そこに大企業の思惑が絡んだ国際的な陰謀と、活劇、学問への憧れと南の島のロマンをぎゅーっと詰め込んで休ませない剛腕にはもはや敬意を感じてしまう。


まあその、やはりラノベなのでそこ簡単について行きますかーとか強引すぎる設定とか怒涛のような専門知識、設定と陰謀入り組みすぎ、とかには思うところもあるけれど、そこはそれ、流れに任せて楽しむべきでしょう。

タイトルに比してけっこうウエットなところもミソかなと。

私的には好きな奈良の風景を思い出し、古代ロマンに浸っていたりしたのでした。紹介されている大神神社は日本で最も古い神社とされていて、鳥居も大きさは確か日本一と書いてあったような。御神体は拝殿のすぐ後ろにある三輪山。登って降りて2時間くらい。ただし御神体なので、写真撮影不可、喉の渇きを癒すため以外の水分補給のみOKでほかは飲食不可。木々はこんもりとして、山頂付近は下生えも長いため外の景色がほとんど見えない状態だった神の山。

大神神社を訪れて、御神体にも登り、山の辺の道を少しだが歩いたのが懐かしい。高松塚古墳や天武天皇・持統天皇陵ほかほかの飛鳥も独特な雰囲気を思い出す。大阪府だけども聖徳太子のお墓も推古天皇陵も行ってきた。おそらくこの物語の前半の舞台であり、卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳は実はまだ行ってないし橿原考古学研究所、かしこうけんも訪れてみたいかな。

すでに多くのシリーズが現在に至るまで続いている。第2作の舞台は出雲。全部図書館にあるみたいだし、楽しみだ。


◼️ ジャン・ジャンジェ
「ル・コルビュジエ 終わりなき挑戦の日々」

「住宅とは住むための機械である」
モダニズム建築の巨匠。前時代へのアンチテーゼがほの見える。

よく話す友人に一級建築士さんがいて、ここ2年くらい関西に多いヴォーリズ設計の建築の話をしたり、近くにあるフランク・ロイド・ライト設計の邸宅を一緒に観に行ったりしている。ライトの建築は折よく全国ネット番組で取り上げられたりして、ちょうど訪ねた頃気分が盛り上がった。

大阪、神戸はモダン建築が多いところ。興味が出てきて、ライト、ミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築の3大巨匠の一角とされるル・コルビュジエの本を読んでみようと借りてきた。

この本の表紙、フランスはロンシャンの礼拝堂、一見してデザイン的、前衛的、オシャレに見えてめっちゃ惹かれるものがある。しかし、読む限り、コルビュジエはある意味チョー機能重視の人でもあったー。

1887年スイスで生まれフランス国籍を取り1965年に没した方である。

画家でもあり、多くの絵を残した。シロウトには分類の理解が難しいが、キュビズムから一歩進めたと主張するピュリスム(純粋主義)を標榜していた。この本にも多く掲載されている。色使いにしても対象物にしてもなるほど近代と現代のはざまのような感じだ。

さて、メインの建築では、四角い箱のようなシンプルでなおかつさまざまな工夫がなされた建物を造っている。これは表紙のロンシャンの礼拝堂のようなものとは別のトンガリ方をしている。

コンクリート打ちっぱなし、構造ではピロティを多用し、同じユニットの同型住宅からなる大規模住宅、例えば23の異なるタイプからなる337戸が入った「ユニテ・ダビタシオン」などを造った。全体は四角いが、ブリーズ・ソレイユ、屋根付きバルコニーのような日除け設備を取り付けるなど光と熱に対する多くの工夫をしている。1戸にはなんと3階まである形をとっている。

コルビュジエが唱えた「近代建築の5原則」は
ピロティ、屋上庭園、自由な平面構成、水平連続窓、フリーファサードで自由と実用性とを重視している。

両親のため故郷に造ったジャンヌレ邸はまだオシャレな感じ。しかし代表作とされるサヴォワ邸などは脚で持ち上げた長方形の立方体型。屋上テラス、サンルーム、室内スロープなど内部は機能的でやっぱり洒脱。観に行きたくなる。

ル・コルビュジエの有名な言葉に

「住宅とは住むための機械である」

というものがある。これは自宅、自分の家というものは、住む人が要求する肉体的快楽であったり利便性であったり、人間に必要不可欠な静けさを提供するものであるべき、という思想のようだ。ふむふむ。


一方で特に目を引いたのは、家具に関して、シンプル化を強烈に主張していること。

「装飾は雑多な色を塗りたくったもので、未開人の快い気晴らしである」

「民衆が教養を高めれば、装飾は姿を消す」

まあここまで言わんでもと正直思ったりする。ライトやヴォーリズの著書でも、古い造り方を廃し、機能的、実用的、現代的に造るべき、という思想は伺える。これら近代の建築家はほんの前時代のエコール・ド・パリ、アール・ヌーヴォーや伝統的な建て方、ごてごてした装飾をつけた家具や設備などを一気に刷新する意欲に、やや過剰なくらい突き動かされているようだ。


日本では、国立西洋美術館がコルビュジエの建築作品で、世界遺産でもある。4月上旬まで休館とのことで、先の楽しみが増えた。

コルビュジェは都市計画もたくさん立案したが、あまりに前衛的で当時の政府には認められなかったものが多い。情熱はまことに激しく自分の思想を伝えるために旺盛に執筆、多くの著作物を遺してもいる。


この本、厚くはなく、ライトやヴォーリズの著作もすらすら読めたし写真も多いし、今回も早く読めるかなと思ったら意外に難しく時間がかかった。本人が書いたライトらに比べ、伝記的な本書は観念的なことが多いのかスッスッと頭に入ってこなかった。

岩波文庫の「伽藍が白かったとき」や「建築をめざして」あたりはそれでも読んでみたいかな。ちょっと難しそうだな。

建築いいね。少しずつ、観に行って、読もうかな。