2019年9月29日日曜日

9月書評の6





写真は姫路城のお堀ですぐそこにいたオオサオサギとおぼしき大きめの鳥。

西武ライオンズが優勝し、ラグビーワールドカップでは日本がアイルランドに勝ちとスポーツ花盛りの週。きょう日曜日はワールドカップバレー女子最終戦、バスケ女子アジアカップは中国との決勝に世界陸上。

暑い、涼しい、昨夜は久々に窓開けたまま寝た。日曜の昼間は暑くて久々にエアコン入れた。台風は17号と同じような、九州と朝鮮の間を通る感じでこないだより北よりか。去年は台風が何回も関西を直撃したが、年により辿るコースが似てくるのは興味深い。日本への影響が小さいよう祈ってます。

◼️フィリップ・K・ディック

「ペイチェック」


ディック50年代〜70年代の中短編集。ふむふむ。


表題作の中編「ペイチェック」が映画化されるにあたって2004年に編集・出版された本だとか。ディックはこれまで何冊か読んできたが、長編でないのは初めて。


電子機器の整備技術者のジェニングスは自家用小型ロケット・クルーザーの中で目を覚ます。レスリック建設で2年間仕事に従事した後、記憶を消される契約にサインしていたのだ。ところが巨額の報酬の代わりに渡されたのは針金、バスの代用硬貨、緑色の布ぎれ、コード・キー、チケットの半券、小包の預かり証、半かけのポーカーチップといったガラクタだった。しかも大金の代わりにこれらを受け取ることを、過去のジェニングス自身が望んだらしい。やがてジェニングスは公安警察に追われる身となるー。(ペイチェック)


表題作のほか「ナニー」「ジョンの世界」「たそがれの朝食」「小さな町」「父さんもどき」「傍観者」「自動工場」「パーキー・パットの日々」「待機員」「時間飛行士へのささやかな贈物」「まだ人間じゃない」

12篇を収録している。「パーキー・パットの日々」は過去の短編集の表題にもなっているようだ。中には入手困難な作品もあるとのこと。ファンの人は知っている篇もあるのだろうか。


ソ連と国際連合との戦争の破壊兵器「クロー」の開発を止めるべく過去へと旅立つ「ジョンの世界」など、地球上がなんらかのダメージを受けて、残った人類が機械に支配されていたり、原始的な生活を余儀なくされているものが数篇入っている。


また子守ロボットが肉弾相打つ格闘を始める「ナニー」、ジオラマと現実の世界が逆転する「小さな町」、平和な一家が爆弾によりパラレルワールドへワープする「たそがれの朝食」などいかにも短編らしい向きの作品も入っている。


「ペイチェック」はどれかというと異質で、ガラクタの使い途が徐々に分かってくるのがストーリーの読みどころ。SFではあるがサスペンス・エンタテインメントといった向きが強い。映画向きだろうな、と思う。


短編は特にうまく収めるのが著者に課せられたタスクのようなもので、ディックもそれにならい、ラスト投げっぱなし、というパターンは少ない。


ディックといえば、小説世界の構築もさることながら、途中で物語の主人公のアイデンティティをぐらつかせるような仕掛けが持ち味の一つと感じているが、中短編ではさすがになかった。


でも、時代らしいSFの傾向とディックのエッセンスに触れることができたと思う。読後、書評を書くべくこうやって振り返ると、それぞれの篇に、思ったより強い印象が残っているのに気がついた。興味深い。


◼️川端康成「新文章讀本」


「川端康成と美のコレクション展」で買いました。よい文章、優れた文章とは?


姫路で開催されている「川端康成と美のコレクション展」に行きました。市立美術館と市立文学館の2会場で展示があり、美術的にも文芸的にも満足の量。思った以上に良かった。後ほど詳述します。


川端康成は創作の傍ら、せっせと新作の小説を読み、文芸時評をしていた。文壇を批判する長老や批評家への不満があったと言われる。この本は戦後昭和25年に刊行したもの。


坪内逍遥「小説神髄」以来の近代小説における文体の研究、さらに文章についての考察が展開されている。文章のための本だけあって、平明できれいな文、語彙も豊富。内容は逆にゴツゴツした読み応えを感じる。


川端康成が良いとする文章を書く作家は?

まずは徳田秋声。「天衣無縫とも称すべき」

「その淡々たる筆致は、文章論を超えて、秋声氏の個性を感じさせる。これを技巧と言うならば、正に神業にも似る。」


文章の例として「爛」から引用されている。すっきりとかつ淡々としているな、という印象を受ける。


さらに、志賀直哉。ベタ誉めである。「殊に人間の心理描写を主観客観の統一した世界に映し出すことにおいて、志賀氏の右に出る作家はいないであろう。」


志賀の文章については「十分に推敲されながら、その苦心が苦心として感じられぬところに余韻の風格を保つ。」

「首尾一貫した味を、地味な艶を消した文章で表現することで志賀氏は新しい文章道をきり開いたともいえようか。」


引用は「城の崎にて」の鼠のくだり。「独立した完璧の文章」「名文」と。印象的なシーンであり、よく覚えている。難しい言葉はない。んーちょっと残酷。志賀直哉はあまり数読んでないけど興味が湧く。


また、川端は泉鏡花を好んで読んだという。こちらも絶賛している。

「泉鏡花氏ほど、豊富で変幻極まりない語彙を持っている作家は恐らく空前であり、且つまた絶後であろう。」

「偏した趣味性を持ちながら、しかも雅語、漢語、俗語などの広い範囲から言葉を集めて来て、それが悉く氏の趣味を色どる花となっているのは、特記すべきことではあるまいか。」


引用は「歌行燈」最後の一節。評は「天才の才華が、けんらんと咲き誇ると言えようか。」


泉鏡花は先日初めて読んで、読みにくいけど強い印象を残す作家さんだと感じた。川端の評価は、すごく高い。もっと読んでみようかな。


取り上げたのはほんの一部で、永井荷風、里見弴、武者小路実篤、菊池寛、宇野浩二、芥川龍之介、佐藤春夫他の作家、そして親友の横光利一らにも言及がある。太宰にもふれている。


先に挙げたちゃんと読んで評する態度もそうだが、この本には著者の真摯な姿勢が読み取れる。批評家を手厳しく批判した下りもある。体系化された研究書というわけではないが言わんとすることは伝わってくる。


谷崎潤一郎については、川端は谷崎をセンテンスが長く、少し説明的 であるとしながらも「空想の大胆な発展、滔々と流れる大河のような力などがある」とし、「姿の大きい文章家」としている。


谷崎は、一見して文章が長いが、しかし見事に整理されているから読みやすく、かつ美しいと、私も思ったことがある。


近代文壇を網羅した面もあり、多くの著作の文章が引用してあるからとみ見こう見、どれも読んでみたくなる。面白い!


書評最後に里見弴の言葉を。元来、文章の大事は「現し方にあるのではなく、現れるものにある。」

そうだよな、とまったく共感した。


さて、「川端康成と美のコレクション展」。自らも収集家であった川端は膨大な美術品を収蔵していた。池大雅、与謝蕪村の画など国宝に指定されているものから、親交のあった東山魁夷をはじめとする近代画家たちの絵画、北大路魯山人など陶芸家の茶器などなど。ピカソもあった。これが半端な数ではなく、もうお腹いっぱい。堪能した。


また安藤忠雄設計の南館、北館に分かれたモダンな文学館。こちらには夥しい書簡、川端自身やなんと良寛なぞの書、ノーベル賞の賞状、メダルもあり、手紙の中には、芥川賞を自分にくれと懇願した太宰治の有名なものもあった。


惹かれたのは弱冠15歳で川端と一時婚約した伊藤初代の別れの手紙の現物や写真。いまでいえば中学3年生か高校1年生。子鹿のような顔をした、どのクラスにもいる活発な女の子といったイメージだ。印象的だった。


実は人が少なくて、ブンガクはやっぱり人気がないのかーと実感したけれど、その分ゆっくり回れた。秋の姫路城とセットにするとなかなかいいお出掛けになると思います。別に主催者の回し者でもなんでもないんだけど、私的にはおススメです。

2019年9月23日月曜日

9月書評の5






九州と朝鮮半島の間を通ると予測されている台風17号。早くから三連休は大荒れと言われていた。先日の台風15号が房総半島に大きな被害をもたらしたこともあるのだろう。

動きと影響を見極めて、初日は姫路へ。「川端康成と美のコレクション展」を観に出掛けた。

芦屋で乗り換えて新快速座って1時間。かつてはエリア担当だったしよく行ったが久しぶりの姫路。駅の北側に見える姫路城まで歩いて20分。その東側にレンガ造りの美術館はあったが、人がいない。まさかお休み?土曜日に?と思いながら入ると当然営業中。ブンガクは人気ないのか〜と思いつつ、生協の会員証見せたら前売りプライスで入れた。

自らも収集家であった川端は膨大な美術品を収蔵していた。与謝蕪村の水墨画など国宝に指定されているものから、親交のあった東山魁夷をはじめとする近代画家たちの絵画、北大路魯山人など陶芸家の茶器などなど。ピカソもあった。これが半端な数ではなく、もうお腹いっぱい。堪能した。

で、姫路城を挟んで逆側にある文学館へ、しばしお堀端の整備された道をお散歩。涼しくていい散策だった。

文学館は安藤忠雄設計の南館、北館に分かれたモダンな建物。こちらには夥しい書簡、川端自身やなんと良寛なぞの書、ノーベル賞の賞状、メダルもあり、手紙の中には、芥川賞を自分にくれと懇願した太宰治の有名なものもあった。

惹かれたのは弱冠15歳で川端と一時婚約した伊藤初代の写真。いまでいえば中学3年生か高校1年生。子鹿のような顔をした、どのクラスにもいる活発な女の子といったイメージだ。印象的だった。

東山魁夷が書いた表紙絵などの絵はがきと「新文章読本」買って、文学館のカフェでナポリタンセット食べて帰る。幸福感に浸った1日だった。

◼️ソポクレス「オイディプス王」


ギリシア劇を極めるのも面白そうだ。^_^


ソフォクレス、エウリピデス、アイスキュロス。世界史で習いましたね。


シェイクスピアの新潮文庫ものを読み尽くして、残る選択肢はぶっとい全集かちくま文庫か。正直どちらもなあ、と思っていたところ図書館でギリシア悲劇が目に留まり、取り急ぎ借りてきた。


スフィンクスの難問を退け英雄としてテーバイの王位についたオイディプス。妃は前王の妃イオカステ。オイディプスのもとに民衆が疫病と飢饉で苦しい生活を訴え出る。アポロンの神託は、前王ライオスを殺した者を探し出して罰せよとのものだった。オイディプスは盲目の預言者テイレシアスを召し出し、犯人を尋ねるがテイレシアスは激高し「そなたが捜す犯人は、そなた自身だ」と言い捨てるー。


構成や登場人物、クライマックスなど、実にシェイクスピアによく似ているな、という感想。逆なんだろうな。ギリシア悲劇群が、その後に大きな影響を及ぼしたと一見して予想できる。


短い劇だけに謎の真相はあまり混み入ってないが、衝撃的ではある。紀元前429年ごろに執筆された劇作であることが驚きだった。王家を舞台とした物語はいつの世も、どんな国でも受け入れられやすい題材なのだろう。


また主要登場人物であるコロスと長老たちが舞い踊る歌も舞台を盛り上げる演出だ。舞台劇がこの時代からかなり芸術的に構築されていたんだと、自分の無知を思い知る^_^あーれー。


結末は「リア王」をも思い起こさせる。暗澹とした荒さが出ている。


「オイディプス王」は続きや、登場人物のその後の話があるようだ。心の隅をくすぐられた気分だし、時間をかけて読んでみようかな。また新しいジャンル開拓。


◼️「古今和歌集」


万葉集はそろそろ中級に進めるかと思うが古今和歌集はビギナーで。


905年、醍醐天皇に奏上された第一勅撰和歌集。撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑。


紀貫之が書いたと言われる「仮名序」。


「倭歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」で始まる文章はなかなか清冽で含むものが深いと感じる。


万葉集が成立したのは700年代末から800年代初頭とのことでこの100年の間の変遷に興味を持った。


心あてに折らばや折らむ初霜の

                    置きまとはせる白菊の花 

                                          凡河内躬恒


もし当てずっぽうに折るなら折ろうか。今年初めての霜が置いて、どれか分からないようにさせている菊の花よ。


万葉集には菊の歌は詠まれていない。大陸から輸入された花で、中華の、菊花を浮かべた酒を飲み長寿を寿ぐ宴が日本に定着したことから和歌の題材にも取り上げられているとのこと。


桜花ちりかひくもれ老いらくの

                 来むといふなる道まがふがに

                                                在原業平


桜花よ、散り乱れて目の前を曇らせてくれ。老いがやって来るだろうという道が見分けがつかなくなるように。


令和で筑紫花壇の梅花の宴が有名になったように、万葉集では梅の歌が多く、桜はあまり詠まれていないとか。それが古今和歌集になると一気に増えたそうである。


在原業平といえば


世の中に絶えて桜のなかりせば

          春の心はのどけからまし


も入っている。伊勢物語にもあったよね確か。


いくつか名歌を。


我が君は千世に八千世にさざれ石の

                  巌となりて苔の生すまで

                                   読み人知らず


国歌「君が代」の元になった歌。歌い継がれて詠み人知らずとなったらしい。思わず出会ってエウレカ。


天の原振り放け見れば春日なる

             三笠の山に出でし月かも

                                 阿倍仲麻呂


遣唐使として唐に渡り、玄宗皇帝に重用されてついに故国に帰れなかった阿倍仲麻呂が唐で詠んだ歌。仲麻呂は李白や王維とも親交があったとか。最近白楽天や杜甫の漢詩に触れた身としては感じるものがあった。


思いつつ寝ればや人の見えつらむ

             夢と知りせば覚めざらましを

                                          小野小町


あの人を思いながら寝るから、あの人が夢で見えたのだろうか。もし夢と知っていたのなら目覚めなかったのに。


人気の伝説的歌人、小野小町は「夢の恋歌」という印象が強いという。男性にはつれない感じもあるとか。有名な


花の色は移りにけりないたづらに

          わが身世にふるながめせしまに


も古今集。


ほか百人一首にも取られた著名な歌がいくつもあったが、古今集はやはりテクニカルで、えー正直貴族っぽい色合いが濃いな、と思う。万葉集に比べて歴史的な悲劇につながってないとこなんかも物足らなかったりして。


春日野の飛ぶ火の野守出でて見よ

                今幾日ありて若菜摘みてむ

                                  詠み人知らず


春日野の飛ぶ火のの番人よ。外に出て野原の様子を見てみろ。もう何日か経ったらきっと若菜を摘もう。


くらいワイルドなほうがいいかな。これも古今集です。


百人一首の記憶で、おーこの歌、という感動はあったが、雅な世界に浸るには、もう少し修行が必要そうだ。

2019年9月16日月曜日

9月書評の4




中秋の名月の翌々日の赤い月。夜景のすぐ上にウサギさんマークが浮かんでて異様な光景。月が球であることを思い起こす。

映画を観に行ったくらいであとは図書館に通いながらのんびり。午後は家でひたすらライオンズを応援してたし、夜はワールドカップバレーと忙しかった^_^ 

図書館のビルの地下に生協とチケット屋があって、いつもインスタントコーヒーを買うついでにチケット屋をのぞく。今回も発見があって、絶対行きたくなった。

そのうち報告します。でも来週の3連休は荒れるようだしねえ。台風来るなー。


◼️澤田ふじ子「天平大仏記」


壮大な大仏鋳造はやはり生々しい労働の結集だった。


澤田ふじ子氏は初読み。見かけて奈良ものだからと買ってみた。1980年の作品らしい。


時は730年代。聖武天皇の時代。新しい都・紫香楽宮では巨大な盧舎那仏が建立されようとしていた。奴婢の身分ながら造物工として高い技術を持つ天国(あまくに)と乳兄弟の当麻呂(たいまろ)は大仏造顕に従事するとになった。やがて、造仏に参加した奴婢は奴隷から解放するとの詔が出され、多くの労働奴婢が心の寄る辺にして作業に励む。一方で政治の実権を握る橘諸兄を追い落としたい藤原仲麻呂は造仏を進めつつ、都を平城に戻すための策謀を巡らすー。


ダイナミックな造仏プロジェクトを追いつつ、黒い政争を追いつつ、それが生命身体への危険を賭して作業にあたる天国らにどういう影響を与えるか、を描いている。


いわゆる大化の改新により実権を握った中大兄皇子・藤原鎌足サイドは、壬申の乱では敗者となる。しかし藤原氏は傑物である藤原不比等の活躍・暗躍で徐々に勢力を伸張させる。やがて、長屋王謀殺により不比等の娘・安宿媛が聖武天皇の皇后となる。これが光明皇后で、藤原仲麻呂と組み、実質的に大仏造営を推進した、と物語では読める。


奈良の大仏は人生で1回は見といたほうがいいと思ってるが、確かにあの立派な像を造るには相当の人力と手間が必要だっただろう。


澤田ふじ子氏は、史料をよく調べて、造る手順も解析している。それなりに興味深かった。


んだが、この長さと構成では全てが中途半端だな、と思った。


奴婢の悲惨さは、実感をもって悟れないし、権力構造もどうも一歩引いている感じで、仲麻呂しか登場しないし、工事のダイナミックさを説くには表現が足りない。作業の手順と当時の状況を整理して、陰謀は通り一遍、感情的な部分は少し突っ込みが必要かなと。うーむ。


ただ、奴婢というのはリアルを感じさせる題材ではある。


ちょっと辛めのレビューになっちまいましたね。たまにはお許しください。


奈良、次は東大寺の観ていないとこかなと考えているが、早く行かなきゃいつまでも行かないな。近鉄乗って行ってこよ。


◼️井上ひさし「イーハトーボの劇列車」


宮沢賢治への愛あふれる戯曲。久々にこの世界観にふれて満足。


1980年に上演された芝居である。井上ひさし氏は小学生の頃から宮沢賢治が大好きだったそうで、もうその愛といったら、読んでよく分かった^_^


登場人物は宮沢賢治とその父母、もちろん妹とし子、それに「山男の四月」ほかの西根山の山男、「なめとこ山の熊撃ち」の淵沢小十郎の弟、銀河鉄道の夜の車掌、風の又三郎らしき少年、「グスコーブドリの伝記」のブドリの妹ネリなどなど、賢治好きには垂涎もの。


しかしドラマの内容は、そんなに甘いものではなかった。


農民たちによる「序景」では「きれいにすきとおった風をたべ」「桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」という「注文の多い料理店」の有名な序の言葉が出てきて宮沢賢治のイメージを強く印象付ける。


序盤は賢治と母・イチが、東京で病に伏したとし子の所へ向かう列車。賢治は座る位置について得意の科学知識を披露するがイチにあっさり論破される。コミカルである。この物語の中で賢治は絶対的なヒーローではない。


次はとし子の病室で相部屋のケイ子とその兄・第一郎というブルジョワ兄妹との会話。賢治は第一郎から「経済的、政治的に父にかなわないから、宗教的に対立して対等に戦うべく法華宗に入信したんだろう」と指摘される。また菜食主義だった賢治は「生き物は食わないほうが」と第一郎と意見を戦わせる。


この場面はやはり戯曲っぽくおかしみのあるセリフ回しではありながら、賢治はなかなか痛い所を衝かれる。また生き物を食わない、なぜか、という主張も、相手が決して気持ち良い人物ではない第一郎が相手だとはいえ筋が通っていそうで、しかし独りよがりに見える部分もある。とし子への思いや賢治の立ち位置もさりげなく説明されている。


その後も上京して説得にあたる父・政治郎にやり込められたり、自分を尾行・監視している花巻署の刑事に「あんたは百姓なんかじゃない」と激されたり、けっこう散々な宮沢賢治。


巻末の解説にもあるように、宮沢賢治が好きな人は、その魅力が強いゆえに他の詩人・作家と違う「特別な作家」と思いがちなのかも知れない。私にもそういうところはある。


同時に、宮沢賢治には危うさがある。最近直木賞を取った「銀河鉄道の父」という作品があった。質屋として成功し町の名士でもあった賢治の父は純粋な賢治との対立軸として語られがちだが、親からすると、こんなに大変な息子もなかったろうと思う。


石が異常に好きだったり、妙な科学の知識を持ったり宗教にはまったり、売れない本を書いたり、自分で稼げなくて身体が弱い。この劇にもあるが、模造宝石で儲ける、というアイディアも持ってたらしいが陽の目を見ることはなかったし。


私は宮沢賢治が持つその危うさもまた宮沢賢治の魅力であると思うし、人間ぽくて良いと思っている。


んで、井上ひさし氏は賢治を愛するがゆえにその世界観の中を自由に泳ぎ、楽しみつつ、もう一つの魅力である危うさをも表現してみせたのではないかと考えてしまう。まあ理想的なばかりでは劇にならないということもあるのかなとは思うけども。


ラストは軽く暗澹とした現実的なイメージではある。理想に挑戦しようとしたが批判を浴び、簡単に動かせない現世を醸し出しているのか。


シャーロッキアンがパスティーシュ、パロディを愛するのと同様、やはり人柄が見える宮沢賢治の造形は興味深い。「イーハトーブ探偵」も続編出ないかな。

2019年9月14日土曜日

9月書評の3




バスのターミナル駅の100円自販機にあるので、私と息子の間ではこのキレートレモンは定番である。たまにかぶるのでこうやって識別記号が必要になる。

3連休初日、頚椎症は、深刻ではないがまだ左腕に痺れが出ているのでまだリハビリ中。もう3ヶ月めだ。

で、リハビリ終わりではたと気づいた。エリアのショッピングモールのシネコン、きょうが割引デー!すぐ行ける距離。

電車降りてせかせかと映画館行ってチケット買う。「人間失格  太宰治と3人の女たち」封切日初回。いまは事前予約が出来るからか自販機にも人は少ない。ありがたい。買った時はまだ空席がだいぶあって、この文学映画もさすがに人少ないかー、と座ったら始まる頃には満席だった。正月の北原白秋とおんなじ。1人で来ている人多かった。

蜷川実花監督だから、たぶん色を散らして、光を工夫して、幻想的な感じにするんだろうなと思ってたらその通りだった。

でもね、やたらと酒場で、太宰が取り巻きに大きな声で宣言したり自慢したりって、なぜか文学映画ではよくあるけど、かなりイメージ違うなあ。

もひとつ。女性はそれなりだったけど、どうもストーリーの演出がベタだったかな。全体的に。二階堂ふみ脱ぎすぎだし。もう少し新しいものが観たかった。

帰ってきて午後はライオンズ。いまマジックが出ているホークスとゲーム差なしの2位。負ければ後退、勝ってホークスが負ければこちらにマジックが点灯する。

森の2ランと山川のソロでリードして、今井が6回を1失点。平良海馬、平井、増田で勝ちと思ったら9回同点に。良い投手を順に投入していたから10回の國場翼は危険だなと感じていた。しかし國場はマリーンズのクリンナップを3者凡退。そのウラ、1アウトから中村フォアボール。メヒアはフラフラと上がったセンターフライ。ところが下がっていたセンターがチャージするも及ばず、しかも目測を誤り、逸らす。ラッキーなサヨナラ。

相手センターのミス、なのだが、なぜか泣ける勝ちだった。

◼️泉鏡花「歌行燈・高野聖」


ふむふむ。慣れが必要だ。「高野聖」に見る純粋な美しさ。


幻想小説の部類に入る、と読みかじり、興味を持っていた。「高野聖」はたしかに仙骨を帯びている。どこか打たれるものがあった。


ところは飛騨、蛇やヒルが棲まう山道を抜けて、僧は1軒の山家に宿を求める。足腰立たない亭主と姿の佳い女房が住む家で、妻は僧を清らかな流れの滝に案内するー。


米を研いだ婦人は自らも水に入り自分も衣を取り、月明かりの中、僧の身体を洗う。その晩、女は私のそばにいて欲しい、と告げる。


帰りに近くの親父が連れた馬が暴れるところ

に遭った2人。女は衣を脱ぎ、馬に肌を触れるようにしてなだめる。


まあよく知られた話だから筋を書いてもいいかと思う。結局2人に身体の関係はなく、僧は女を振り切って出立する。道の途中で男女のように見える女夫滝を見ながら、やっぱ残ればよかったかな、惜しいことしたかな、と思っていると、あの馬を連れていた近くの親父が通りかかってネタバラシをしてくれる。


まず山家へ辿り着くまでの怪奇の前振りがあって、だから余計に婦人の態度と美しさがみずみずしく見える。


そして一つのクライマックスの滝の水浴み。月の光と水飛沫、芳醇な婦人の身体がその中に映える。


妖しさ、なまめかしさはムンムンだが、だからなのか、ここは僧の純一さと相まって、女が美しく清らかなイメージを持って、浮かぶ映像以上に何かを訴えかける。


で、馬のエピソードと、僧の後悔の人間らしさ、そしてあまりにも鮮やかなオチ。


全ては表現できないが、さまざまな要素が繋がってこの物語を一つの佳作に仕立て上げている。


この本には「高野聖」のほか、「女客」「国貞えがく」「売色鴨南蛮」「歌行燈」が収められているが、実はいずれも読みにくかった。


現代小説と違って説明のない、散文的で時に謡曲調でもある文章。いま誰が主語で、どんなシチュエーションかがとても分かりにくい。読み飛ばしながらだいたいこんな感じかと想像力を働かせるしかない。


一方の名作とされている「歌行燈」も同様で、弥次さん喜多さんを材料に取り、舞を中心に2つの場面が同時進行、というのはなんとなく分かるが、文章よりも映画にしたほうが分かるかも。


でも不思議なことに読後にはなんとなく芸術作品を通過したような気がして、本書の解説のように熱く語りたい気分が湧く。ふうむ。


泉鏡花が好きな「お化け」をあえて外した作品集、というのが少し残念かな。「女客」も人間ぽくてよかった。全体的には世間に翻弄されひどく扱われる女性を描くのがモチーフとも思われる。


不思議な本だった。


◼️皆川博子「鎖と罠」


狂気と大衆的面白さ。興味深い。


皆川博子は「開かせていただき光栄です」「蝶」しか読んでいないが、ファンも多そうで関心を持っている。なんか「本読みが好きな作家!」というイメージだ。そういう作家さんっていますよね。


この本はごく初期の作品集でデビュー間もない1974年から78年に発表されたもの。


「水底の祭り」「雄鹿の首」「紅い弔旗」「鏡の国への招待」「鎖と罠」「まどろみの檻」「疫病船」「風狩り人」「聖夜」「反聖域」の10編を収録。各篇だいたい20ページから50ページくらいの長さでサクサクと読める。


狂気や幻想を志向していた皆川氏だが、当時サスペンスやリアリズムを求められて書き上げたものだそうだ。男性読者中心の雑誌掲載もので、たしかにオッサンを楽しませるような内容が多分に盛り込まれていると感じる。


男女のセックス欲、乱れた関係性とか、夫婦間の溝、年齢とともに女の心に兆す感情、親戚との関係、離婚に子連れ再婚、そしてギラギラした男、自覚的に感情を抑え微笑む女、などいかにもあるよな〜!と思わせる設定やキャラあたり。


時代らしく戦争の頃の火種を交えているものが多い。どうしようもなく人間に宿る葛藤と狂気。ストーリーの持って行き方に心を砕いて、また表現にも筆力を尽くしているのがほの見える。ちょっと冷めたような文調も特徴的。


実はちょっとサスペンスの色合いに、ひと昔前のドラマを見ているような古さも感じてしまった。ただその一方で皆川氏が大衆小説の中で自分の色をどう出しているのかと考えながら読むのはなかなか楽しかった。


皆川氏の作品、本読みが好きなその魅力とは何なのか。自分が分かっていくのを愉しみに、また読みたい。

2019年9月8日日曜日

9月書評の2




先日夏休みの宿題追い込み中の息子が深夜「桃むいて」と。色合いもきれいだし、むいたら美味そうだし。むいたそばから全部食べたんで父は一つも食べらんなかった。

だいたい土曜日は頚椎ヘルニアのリハビリに行くか、皮膚科に行って息子の薬をもらう。皮膚科は待ち時間長いのであまり別用は入れないが、今回は終わりが早かったから急遽床屋に行った。日曜の分の用がなくなったから、のんびり。朝一番で図書館に行き借りる本を選んで、手持ちのものをゆっくり読む。私はホールのようなところに並べてある椅子で読んでいる。

すいててしかも大きな窓があるからだが、圧倒的に別の図書館内のソファや椅子は混んでて、ホールは天国的。なぜだろ。暑い日は図書館に限ります。

んで多少の買い物をして焦ることなくいつもより少し早いバスで帰る。時間重視なら遠くからバスを使うことはしないが、同じ金額で読書の時間が確保できるから始発駅から40分くらいかけて地元のバス停まで帰ることもある。きょうはそのパターン。

それにしても暑かった。ビロウな話で恐縮だが、年老いた方の犬が鼻が悪く、足腰も弱っててトイレシートまで行かず放尿するので、一緒に寝てる私は毎夜おしっこ&鼻水まみれ。何回も石けんで手を洗う。暑さもあるし、寝不足にならないようにせないかん。こんな程度でヒーヒー言わないように。

今回漢詩の本を読んだけど、文学だけでもあまりに勉強してないことが多すぎて気が遠くなる。李白も陶淵明も読みたい、古今和歌集、新古今和歌集も味わいたい、文豪ものも読んでない、世界文学も、書道の本も、茶道の本も、絵画の本もぜんぜん。もう少し早く勉強始めればよかったって気になっちゃったぜよ。

◼️「杜甫100選」


「国破山河在」におお〜!


なんつっても「国破れて山河あり」ですね。また深く有名な史実の背景があるからなおさら輝きを増す感覚。


源氏物語に影響を与えたものとして白氏文集がある、とのことから先日白楽天の漢詩を読み、今回はもう少し前、盛唐の杜甫にふれてみました。「春望」を改めて学ぶつもりで。


国破山河在   国破れて山河あり

城春草木深   城春にして草木深し

感時花濺涙   時に感じては花にも涙をそそぎ

恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火三月連    烽火三月に連なり

家書万金抵    家書万金に抵(あ)たる

白頭搔更短    白頭搔けば更に短く

渾欲不勝簪   渾(す)べて簪に勝(た)えざらんと      

                  欲す


国都長安の町は賊軍のために破壊され、あとには山と川が昔のままにある。

荒れはてた町にも春がやってきて草や木が深々と生い茂った。

この戦乱のなげかわしい時節を思うと、花を見ても涙が落ち、

家族との別れを悲しんでは、鳥の声にも心が痛む。

戦いののろしは三か月もの長い間続き、

家族からの手紙はなかなか来ないので、万金にも値するほど貴重だ。

心痛のため、白髪はかけばかくほど短くなり、

まったく髪をとめるピンもさせなくなりそうだ。


杜甫は唐の玄宗皇帝即位の年、712年に生まれました。同じ盛唐時の李白より11歳年下で、李白は「詩仙」杜甫は「詩聖」と称され、行動を共にした時期もありました。また「李絶杜律」と言われるように李白は絶句(四句までのもの)、杜甫は律詩(八句のもの)を得意としたとのこと。「春望」も律詩ですな。


科挙に合格せず、就職もうまくいかなかった杜甫は755年、44歳にしてやっと宮廷の武器庫の係長職を得ます。ところがその1か月後に安史の大乱が発生、長安の都は反乱軍に占拠・破壊され、杜甫は長い間捕らわれの身となる。「春望」は幽閉2年目の作品とか。殺すつもりならそんなに留め置かないだろうけど、それにしても長い。月日の流れを考え、虚しさも募るのは無理もありません。


安史の乱で玄宗皇帝は蜀へ逃れます。しかし護衛の兵に反乱が発生。宰相楊国忠は安禄山の挙兵を招いた責任を問われ4人の息子とともに殺害され、また楊貴妃も皇帝を惑わせたとして断罪されました。玄宗はやむなく楊貴妃の命を奪います。


安史の乱は中華の歴史では非常に大きなトピックの一つで、直接に影響を受けた者として謳い上げたこの作品は簡潔にして生々しさ、虚しさ、悲しさばかりでなく悠久さをも感じさせます。


最初に読んだものは印象が強いのかもしれませんが、白楽天はナイーブで繊細だったような憶えがあります。対して杜甫のイメージは、そのドラマチックな歴史のただ中にいたからか、ひき比べてみると少しくエピック、壮大さがあり、なおかつ律詩で対句を多用するなどきっちりして技巧的な感じがします。


杜甫も白楽天にもあったように不遇や老いなどの嘆きも多く盛り込まれています。でも個人的にはやはり描写に気が行きますね。


野径雲倶黒   野径雲は倶(とも)に黒く

江船火独明   江船 火は独り明らかなり

暁看紅湿処  暁に紅のうるおえる処を看れば

花重錦官城   花は錦官城に重からん


野の小道もたれこめる雲と同じように真っ黒であり

川に浮かぶ船のいさり火だけが明るく見える。

夜明け方に、赤い湿ったところを見ると

それは錦官城に花がしっとりぬれて咲いている姿なのだ。


「春夜喜雨」の後半。「錦官城」は四川省成都の別称です。家族を連れて長い流浪の果てに辿り着いた成都では親戚や知人が暖かく迎えてくれ、杜甫は草堂を建て、数年間やすらぎの時を過ごします。夜闇の中の赤い点、明け方の花の赤。テクニカルで余裕が感じられます。



星垂平野闊  星垂れて平野ひろく

月湧大江流  月湧いて大江流る


星は広々とした平野に光を垂れるように輝き、月影は水面に湧いて、波を輝かせながら長江は流れる。


「旅夜書懐」の三句、四句。律詩の頷聯の部分は著名な作品のことに優れた部分だそうです。満天の星が「垂れる」と表し、降ってきそうな全天の星屑たちと、どこまでも続くような遠景を想像しました。そこに壮大な長江の輝きと動き。解説にあるように人間の小ささをも感じそうです。


今回は地図が辿りやすくて良かったです。歴史的背景も興味深いし。次は杜甫に比べ即興的、豪放で仙骨を帯びるという李白かな。それぞれ特徴があって、地図眺めて、詩を見て韻や対句に気をつけ、訳を見て解説読んでと勉強みたいな感じでした。高校の時もこれくらい熱心にやっとけばよかった。


◼️白川紺子「後宮の烏  3」


杜甫の後に読んだら、なじみがよかった。期せずして中華シリーズ。


皇帝に妻として仕えず、後宮で冬の王として秘かに君臨する烏妃・寿雪。梟の宵月を退けてから束の間、また寿雪の命を狙う動きが・・。


若い鶴妃の侍女・紀泉女が幽鬼のことで寿説に相談してくる。不逞の輩に襲われた際、泉を守り死んだ許婚らしいのだが、寿雪は不穏な呪いを感じ取る。鶴妃は寿雪と年の変わらぬ少女で、賀州の豪族の娘。賀州では、八真教という新興宗教が流行っているというー。


烏妃は宵月が霧散してしまったことで、自分もそのような存在かと悩む。一方で傍若無人な淡海というボディーガードの新キャラ登場。また増えた。


賀州豪族を巡る策謀の巻末で明らかに寿雪へ向けた呪いが差し向けられる。寿雪は呪いを返すが、直接の接触はない。


これまでのキャラの生い立ちをじっくりと語ったり、皇帝・高峻らが対処した策謀との戦いを描いたりと、仕込みの巻とも思われる。この世界や国、宮廷の地図も付き、なにやらホントに「守り人」シリーズっぽくなってきた^_^


美青年たちの活躍、また寿雪が食べるスイーツも注目点。


余談だが、帰りのバスに息子と乗ってると、最近野崎まど原作のアニメの宣伝が流れる。野崎まどは一作読んで好印象を持ったんで、観に行こうかな、というと息子は


「だってラノベじゃん」

「父はラノベも好きでよく読むぞ」

「えーうそー!イメージ崩れた」


本読みということは当然知ってるが、そんなに小難しい本ばかり読んでると思ってたのかいな。子供の視点は面白い。

2019年9月7日土曜日

9月書評の1




写真は地を這う種類の百日紅サルスベリ。
暑さが復活して昼も夜もムワッとしている。
きょうは35度超えたって。大阪全国一だったって。まあ高気圧に覆われてるから台風15号も関東に行くんだけど。

木曜日はサッカー代表パラグアイ戦のあとバスケットのワールドカップアメリカ戦。筋トレにハイキュー!39巻と忙しかった。

毎度高校の男女バスケ部同級生のグループでメッセしながら観るのが面白い。次のWCは4年後沖縄だそうで、皆で観に行こうと盛り上がっている。金曜日はドラえもん2時間スペシャルとコナンの映画で息子が忙しかった。

あと1週間したら涼しくなるとか。どんなんかね。髪を短くしてサイド後ろを刈り上げた。いちおうソフトモヒカン。

◼️坂東眞砂子「蛇鏡」


奈良を舞台にしたホラー。独特の雰囲気を想像してしまうな。


永尾玲は、婚約者の大宮広樹とともに帰った奈良・田原本の実家の蔵で蛇の紋様が入った古い鏡を見つける。かつて結婚を控えた玲の異母姉・綾は蔵で首を吊った。そして玲は綾の実母・多黄子もまた娘と同様に自死したことを知る。2人が死んだのは蛇神を鎮める地元神社の祭り「みぃさんの日」だったー。


坂東眞砂子は奈良女子大卒。「山妣」で直木賞を受賞している。「死国」など伝奇小説で売り出し、この「蛇鏡」も直木賞候補作となった。


私的なイメージはスケールが大きく、男女の機微をつぶさに描いて、怪しくかつエロでもある、という感じ。奈良と融合すると、どうなるのか?


結婚を控えた玲は人生経験もある20代後半の自立した女性、適度にわがまま、広樹を追いかける恋愛をして、結婚にこぎつけた背景を持つ。実家に戻り、若い頃の恋心がうずく。


舞台の奈良は、言わずと知れた古代の都。京都というと宮廷の歴史が絡む派手な設定が思い浮かぶが、奈良さん古墳も多く、悠久を映像にしたような土地柄で、鄙びた雰囲気がある。今回は大物主大神の蛇伝説も絡めてあり、歴史が古いだけに大上段に振りかぶれる。その一方で日本の地方風味も出せる。夏、祭り、お盆がよく似合う感じ。


玲の実家の女に絡む忌まわしい出来事、そこに働く超自然的な力。


古い町、古い家で人知を超える怪しい力に引っ張られながら、玲も綾の幻影を追うような行動を取る。しかし、ホラーチックなばかりではなくいかにもありそうな過ちと玲というその時代を代表する妙齢の女性を媒体として、恋愛、結婚というものを掘り下げようとしている面を持つ。ここは意外に強く打ち出している感がある。


全体的な感想は、うーん、自殺した多黄子、綾の、それぞれ女としての情がも少し欲しかったかな。大上段なところは大上段に過ぎなかった気もするし。


ただ、古き奈良が持つ魅力、魔力と伝説、そして現代の恋愛事情のミックスを細部にわたって試みていて、たしかに興味深かった。


やっぱ坂東眞砂子は、怪しくて女で、エロい中にスケール感がある。その特徴は好ましいと思う。


◼️川端康成「日も月も」


死す者と、残された者。心の成り行きとうつろい、したたかさ。


京都、本阿弥光悦ゆかりの光悦寺。年に1回催される大規模なお茶会、光悦会から物語は始まる。


京都を舞台にした小説の紹介本に載っていて、いつか読みたいと思っていた作品。図書館の書庫から出してもらった実物は昭和44年の出版でさすがに年季が入っていた。言葉も旧仮名遣いが多かった。主な進行は東京と鎌倉。


でも、1ページの字数は少なく、物語もコンパクトで、読みやすく良い印象を残した。しおり絵はがきは、川端に京都を描くことを勧められるなど親交があった東山魁夷「月篁」にした。


さて、物語の背景は複雑である。1952年〜1953年の執筆で戦後まもなくの世情がベース。


朝井松子は高谷宗広と結ばれたが、宗広は松子を捨て巻子と結婚した。松子の父は先妻との間の息子たちに戦死され、今は松子と2人暮らし。後妻で松子の実母・道子は長男敬助の親友、紺野に走り家を出て行った。松子は光悦会で宗広の弟・幸二に宗広が喀血して入院したことを知らされ、見舞いに向かう。


巻子との夫婦関係がうまく行っておらず病に苦しむ宗広は松子に救いを求める。松子は宗広を冷たくあしらうが、彼との恋愛の残滓に苦しむ。やがて父が急死、宗広も死に、紺野と別れた母と住むことになった松子は、転居を決意するー。


「美しさと哀しみと」でも同じ感想を持ったが、恋に破れた女の思い乱れる心情をしっとりと描く川端の筆致には感じ入る。今回はとにもかくにも明るい光が感じられて終わり、感情も設定も複雑な中、読後感が良かった。


ほどほどに波もあり、男女と世間と、また若い男と女、老いた男と女。


お茶道具には非常に詳しい川端の碩学なところが披露されている。これだけ書かれるとちょっと茶器にも興味が湧く。


戦後まもなくの風情、死と生と男女。物語に微妙な黒さがあり、キーポイントとなる光景、ものもうまく作用している。人の人生は決して穏やかではない。老いと喪失感。若い妻とのびやかに隠棲する父の友人木崎も効いているなあ、と思う。


宗広が松子を捨てた理由がちょっと突飛かもしれないし、時代感覚のずれがあるやもしれない。


名作には連なってない。でも落ち着いて川端らしいいい作品だった。久しぶりに図書館へ返したくなくなった。チョー個人的ではありますが、大声で。


こんな佳作が絶版だったとしたら、なんてもったいない!



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