2019年6月30日日曜日

6月書評の7





ストロベリームーンは大きくて重たく見えた。
この土日、日本列島は南北方向2つの低気圧に挟まれる形で災害クラスの大雨が降る地域もあるとか。

日曜日は午前から昼にかけて強い雨が降ったが豪雨というほどではなく、午後にはやんだ。

午後は6月書評のまとめをして、ひさびさにのんびり過ごした。いつもなにかに追われているから、こんなに余裕があるのは久しぶりだった。

◼️オルハン・パムク「雪」上


トルコのノーベル賞作家パムクの代表作。突き刺さるような緊張感のある設定。トルコという国の現代。その中で主人公にはどこかのんびりとした雰囲気か感じられる。


オルハン・パムクは「私の名は赤」という時代ものを読んだ。細密画の絵師が殺され、犯人の捜索を命じられた男が、それぞれコードネームのようなものを持った容疑者に当たっていく。しかし一方、主人公はある美人と結婚したくてたまらない。テーマは文明の衝突だったと思う。


今回もボトムは似ているが、より現代的でトルコ社会の深い部分を掘っている。個人的には辺境の、国境に近い町が舞台、というのにも興味深さを感じる。


名のある詩人Kaは「共和国」紙の依頼で少女連続自殺の記事を書くためにトルコ東方、かつてのロシア国境(現在はアルメニア国境)に近いカルスへ赴く。トルコは宗教と公的生活を切り離す政策を取っており、少女たちは髪にスカーフを巻いて登校するのを咎められていた。


Kaはカルスで美しいイペキに首ったけになる。一方Kaの前にはイペキの元夫で市長候補のファタル、宗教指導の長老サアッディン師、カリスマ性のあるイスラム主義者"群青"らが次々と現れる。スカーフをかぶった女生徒に登校を禁じた教員養成校の校長がKaの目の前で撃たれ、やがて「革命」が勃発するー。


おおまかな前提は読みながら把握できるようにはなっている。政教分離政策を掲げるトルコでは、公共機関内での礼拝やスカーフの着用といった宗教行為が禁止されている。


国家が宗教を管理するという考えのもと、イスラム教の地位向上を訴えるイスラム主義者がいて、さらにクルド人の問題も絡む。


歴史があり、国の考え方があり、さらに個人での宗教の思いの深さの違いがあり、西欧化した生活をしている人々がいる。アイデンティティを確立しにくい風潮の中で、娘たちは年齢の離れた者との結婚を親が決めようとしたり、暴力を振るわれたりという環境にいる者もいる。


カルスの町で、その凝縮された相克が描かれ、Kaも詩を朗読した、劇場での公演中に兵士たちが発砲、警察はイスラム主義者たちを大量に逮捕、戦車も出動、外出禁止令が出される。


緊迫と動乱・・。騒然とした中Kaは詩想が訪れたと言っては詩を猛然と書き、イペキのことを想う。Kaに憧れた若者ネジプも射殺されたというのに、


"この街じゃイペキを説得するか、詩を書くことくらいしかやることがないや"


なんて思っちゃうのだ。なんとノホホンとしてるというか。上手いというのか、読んでて心に刻まれるような出来事が綴られるストーリーにおいてKaのこの態度はなぜか神秘的で美しかったりする。全編に降り続く雪の情景がそれを助長している。


終盤、登場人物の「革命」における立場が分かるような分からんような感慨を覚える中、下巻へ続くー。


◼️オルハン・パムク「雪」下


詩人Kaの純粋さが政治からの距離になっている。悲劇というにはあまりに現実の恋愛的ー。


ちょっとネタバレで。あらすじ長め。


詩人Kaは連続少女自殺の記事を書くためアルメニア国境近くのカルスという辺境の町に赴き、美女イペキに夢中になる。一方カルスでは、政教分離政策を推進する世俗主義者が軍や警察を動員してイスラム主義者に対する「革命」を実行、多くの血が流される。


下巻ではカリスマ的なイスラム主義者"群青"が当局に捕縛される。イペキの妹カディーフェは少女自殺の契機となった宗教的なスカーフ着用のシンボリックな存在で、"群青"の愛人だった。革命の首謀者、俳優のスナイ・ザイムはテレビ中継のある公演でカディーフェがスカーフを脱ぐ芝居をするなら"群青"を釈放すると、Kaを通じて持ちかける。一方かつてイペキも"群青"を愛していたと知らされたKaはショックを受ける。イペキと話し合い、ともにドイツへ脱出しようとするがー。


トルコは第一次世界大戦後、軍人ムスタファ・ケマルらはトルコ共和国を打ち建てる。オスマン朝の影響を排除しようとした共和国は、政教分離政策をとり、公共機関内での礼拝やスカーフの着用といった宗教行為が禁止された。しかし国民の大半がイスラム教徒のトルコでは不満も表面化し、時を経て穏健なイスラム主義系政党が台頭しているという。


トルコ国内の政治事情による混乱の中、様々な立場の人々に翻弄されるKaは、フランクフルトで一緒に暮らすことに同意してくれたイペキとの幸せをひたすら求める。しかし・・大きなうねりの中、物語は遠く虚しさを感じさせる悲劇性を帯びて終わる。


トルコでは政治的な小説は珍しくないが、パムクはこの小説で政治的メッセージを発しているわけではないとのこと。Kaの、少々子どもっぽく人間的なエゴ、また詩人として神秘性を帯びている存在感が小説の性格を表している、という解説には納得した。


ストーリーの大仰な仕掛けは文字面のまま芝居っ気たっぷり。芸術家であるKaは、詩想は自分の能力ではなく、外から降りてくるものであり、神の存在を感じている。


そして、おそらく年齢的にも幸せをつかめるラストチャンスであると、自分の悲壮な感性をひたすら信じている。しかし、悲劇のもと、一時はKaと幸せになれると信じたイペキの決断は事態に応じたものであり、かつ女としての恋愛感情に準じたもので分かりやすい。男としてはまあ、悲しく、Kaに同情してしまう。


著者が友人としてKaの足跡を辿っているという設定も遠い虚しさを強めている。


上下巻は、ふつう上巻で大いに盛り上げて、下巻でどう収めるか、というところに困難さがあると感じている。今作はちょっと冗長で大仰だなとも思ったけども、人間的虚しさが心に残ったことで、読んで良かったと思った。


男が最終的にズタボロにされるパトリス・ルコントや劇中ずっと雨が降っていた「凱旋門」など、いくつかの映画を思い出しながら読了した。



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2019年6月23日日曜日

6月書評の6





前回の写真は夕方から夜の間だけ咲く待宵草。花が白かったら月見草。今回は古代より和歌にも詠まれている山吹。色が美しい。

日曜日は三宮に行って、東急ハンズで息子の貯金箱買ったあと、トアウエストで絵葉書買おうと思ったら店が見つからず。朝の10時台にウロウロしてたからまだ開いてないのかも知れないし、儲かりそうにない商売、ひょっとして・・と心配までしてしまう。

貯金箱喜んでくれた。ちょっとトリッキーで、透明プラスチックだけど外からお金が見えないキューブ型のもの。よかった。けどまだ探してみよう。

まだ夜は涼しいけれど、今週末は最低気温が25度くらいだとか。いよいよくるかなー。

◼️村上春樹「パン屋再襲撃」


前に読んだ「東京奇譚集」などで短編集には好感を持っていた。「ノルウェイの森」直前に出た短編集。んー若い色、って感じかな。


*「パン屋再襲撃」

wikiで見ると「パン屋襲撃」という作品もあるらしいが私は知らない。若い夫婦が夜中に猛烈な空腹感に襲われ、パン屋?を文字通り襲撃する。オマージュ的には味わえなかったがアニメのようなトンデモ成り行きで、なんで?という誰もが持つ疑問も計算でしょう。


*「象の消滅」

町で飼っていた象が忽然と消えた。ミステリ的に見ると魅力的なネタと進行だけれども、ミステリではない。ふーむ。


 *「ファミリー・アフェア」

下ネタを猛然と言い合う同居の兄妹。妹が結婚相手として考えている男に会ったずぼらな兄は・・これもオチのようなものはないが、どこか微笑ましい。


*「双子と沈んだ大陸」

たぶん「1973年のピンボール」で主人公が同居していた双子の姉妹を見かけた話。喪失感が主題なんだろうな、と思う。事務所の隣の歯医者の受付の、のののの、笠原メイが気さくでキュート。


*「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」


長いタイトルの一つ一つは劇中の平和な日曜日、電話からする風の音、メリル・ストリープの映画から想像している。家で日記をつけている男。ラストのガールフレンドとの会話がいいオチだなと。


*「ねじまき鳥と火曜日の女たち」


失業中の男、妻は働きに出ている。家でスパゲティーをゆでている最中、知らない女から変な電話がかかってくる。「十分間時間を欲しいの。」


これは夫婦関係の微妙さが主題のようでもあるが、男の社会的な意味、というのを考えているような気もする。本文中にあるように、女がらみの出来事が次から次へと起きた「出鱈目な一日」。前の作品と違ってあまり楽しいラストではない。


以前、舞城王太郎を読んだときにも感じたことだが、人はちょっとした出来事にも好きな曲を想い出したり、過去をフラッシュバックさせたり、変な印象を抱いたり、それこそ一瞬にして色々なことを考える。それを言葉にしたような向きもある。


それにしても、よくこんな設定と変わったストーリーを考えるもんだと妙に感心してしまった。なんてことない一日に、ちょっと普通ではないことが起きる。音楽や酒のテイストはいつもの感覚で、微妙に効く要素を撒いているようにも見えるが、あまり深く考えなくていいのかもしれない。なんというか、「小説らしい」遊びの心がある、とでもいう感想だ。


面白いか、と言われれば興味深くはある、というところかな。


◼️中条省平「世界一簡単なフランス語の本」


たしかに、すこーし分かるようになったかな。


かつてフランス映画をたくさん観ていながら、パリにも旅行に行きながら、そういえばフランス語そのものにはあまりにも関心がなかった。しかも映画も旅行もだいぶ前のことになっていたからもうホントに真っ白な紙、おろしたてのスポンジ状態、って微妙にいい方向に持ってったりして^_^


大学の第2外国語もドイツ語だったし、ともかくエクスキュゼモワとアンカルネシルブプレしか覚えてない状態で読み始めた。


まずは読みの基本。語尾の単独の子音とeは発音しない。eは音節の切れ目でも発音しない、uはユ、oueuもウ、aieiはエ、aueauはオ、oiはワ。


このへんは覚えやすいのでそれなりに例文読めるように。まあ読ませるための例文なんだけど、文法より前に読みというのは気分がいい構成。


mersi  beaucoupでメルスィ・ボク。

Europeはウロプ、通貨euroもウロ。

toilleteはトゥワレトゥ。


ふむふむ。あまり詳しく書くとだいぶ長くなる。


読みを長めにやった後、噂に聞く男性名詞、女性名詞、定冠詞、不定冠詞、部分冠詞、形容詞の男性形、女性形、動詞などへと入っていって最終的には過去形、未来形まで行くが、著者が言うようにフランス語は論理的な文法で、整理されている、という印象は受けた。なんというか、必要なことをギュッとつめてシンプルに書いてあるし。


シャーロックホームズにはペル=メル街というロンドンのストリート名がよく出てくるが、ペルは父、メルは母とわかりちょっと感動。知らんかった。


各章の最後に、出てきた文章が羅列してあって復習。出典のページを書いてあるのでやりやすかった。結構まじめに見直しました。


最後の方はやはりダダダっと詰め込み感があるんで、読んでる時は分かるんだけど覚えているかといえばついて行けず。はい。


ただコンプレックスというか、フランス語に対する特別感、敷居の高さはクリアできたかな、いやそりゃそう簡単なものではないだろうけど、いい勉強だった。


フランス語講座の本でも買ってみようかな。

6月書評の5




先週は王子公園の横尾忠則現代美術館へ。なかなかアヴァンギャルドで笑いがあって面白かった。今週末は明石焼きを食べながら先輩方と飲み会。土曜日は髪を切る。

うまく息も抜きながら、なんとかかんとか。

◼️アガサ・クリスティー

「そして誰もいなくなった」


ドキドキドキ。アガサの偉大さを改めて思い知る。


孤島の館に集められた男女10人。レコードによるそれぞれの罪の告発、通信・連絡の途絶、荒れた天候の中、歌詞通りのシチュエーションで人が1人ずつ死んでいくいわゆる見立て殺人、やがて残された者たちは互いに疑心暗鬼に陥る。次の犠牲者は誰か、どういう形で殺されるのか?


チョー有名な作品なので、あまり詳しい説明はいらないと思います。いわゆる本格ミステリの、多くの要素を含んだ元祖で決定版、という感じですね。


アガサは若い頃有名な作品をあらかた読んだのですがさすがにあまり詳細には覚えていません。もうちょっと先に読もうかなと思っている、「カササギ殺人事件」というのがアガサへのオマージュ的作品というので、この機会にぼつぼつ読み直してみようかと思っていたところ、本屋で目についたので買いました。


映画がリメイク上映された時に読んだ「オリエント急行の殺人」と同じことを思いました。それは、「読みやすく、熱中できて、面白い」というもの。


シンプルな文調でスラスラ読めます。いつのまにかどんどんとページをめくってます。そしてドキドキ感が持続する、後味もスッキリして感嘆する。まあ全部混ぜて要は面白いということ、と言われたらそうですが、私的には必ずしもすべて一致しないこともあります。


なによりこれだけ短い章立てで、スピーディかつ簡潔に話を進め、うん?と考えるところがほとんどない。興味を引く要素をムダなく散りばめズンズン展開していくというのは、けっこうな筆力だと思います。


「オリエント」と同じく関係者の数が多いにもかかわらず、それぞれのキャラ付けが明確で、物語の進行も整理されています。さらにドキドキ感を煽る盛り上げ方もハンパないですね。


もちろん現代の目で見れば、登場人物を島に集める手法はもう少し狡猾にできたかな、という気もする等々多少のツッコミどころはあるかと思います。


日本で新本格派の幕開けとなった綾辻行人「十角館の殺人」はまさにアガサのこの作品と同じ孤島に推理サークルの男女が集うという設定で、ラストに犯人がトリックを書いた手紙を海に流す部分はアガサと同じ。ただ「十角館」は元祖に比して動機の点で背骨を通しているとも感じられます。


しかしながらこうして再読してみると、物語の練度、完成度、なにより魔力とも言える引き込まれ感はやはり他に類を見ない新鮮な感覚を覚えます。


「オリエント」ではすべてが一つに向かっていた大技トリック、こちらではより大がかりでさらにギリギリの心理的な展開と、もう絶品で、ミステリを超えた芸術品ですね。


いや面白かった。


ちなみに栞、3枚必要でした。通常使用のほか、1枚は見立ての歌のページ、1枚は罪の告発のページです。何度も見返すのでー。


◼️「宇治拾遺物語」


羅刹女怖かった。古典説話らしい物語集。


ユーモラスといえばそう。鎌倉時代にまとめられた説話集。


今昔物語もそうだが、きっちりとしたオチがつけてあるわけでもなく、訓示めいた結末もあるがどうにも割り切れない感がするものも多い。


解説もやや懐疑的な文調になっており、中心となっている登場人物、ストーリーの背景や他の古典とのつながり、考え方のもとになっている思想などに割かれている。


第一話は恋多き女、和泉式部のもとに通う好色な僧・道命阿闍梨の不思議な話。和泉式部のところで夜中に法華経を読んでいると聞いていた翁がありがたがる。いわく、身を清めて読むと高位の神仏が来て聞くので私なぞは近づけないが今夜は行水もならさずに読んだので私も近付けた、とのこと。教訓として身の潔斎は大事である、でおしまい。最初から結末にうーんと考えてしまうが、読経の名手として名高い道命と恋と歌で有名人の和泉式部、つかみはOKという感じか。


第三話は昔話の「こぶとりじいさん」そのままのお話。たぬきに化かされる話もあり、民話風の話もいくつか。


第四話は伴大納言、伴善男が都の東寺と西寺を股にかけて仁王立ちする夢を見て妻に言う。あとで郡司に出世はするだろうがつまらない者に夢を語ったから、罪せられるだろう」と告げられる。


マンガ「応天の門」に出てきてたから、おう、伴善男だ、と思ったらこの集に応天門を焼いた変の話もあるそうで、説話界では悪い方で有名な人だったんだなと。マンガでもそういうイメージだったけど。


第二十五話「鼻の長い僧の話」は今昔物語集にもあって芥川龍之介の「鼻」のもとになった話。同じ話が今昔にあったり、題材がほかの説話集にあるということは珍しくないようだ。第二十八話「袴垂が(藤原)保昌に会った話」第百二十五話「(藤原)保輔が盗人だった話」は永井路子さんの短編に題材があったような。 人気のある説話、というのがあって、現代にまで連なっている。悠久さに少し感じ入る。


中国やインドの話もあって、「僧伽多が羅刹の国に行った話」はインドの僧伽多が商人の一行とともに美女ばかりで男の姿が見えない島に流れ着いた。それぞれ島の女性を妻として棲むことになったが、実は女たちは人食い鬼だった。正体を知って命からがら逃れたと思いきや、僧伽多の家へかつて妻としていた羅刹女がやってきた、というもの。怪談の類の話もいくつか入っている。


個人的には旅の僧が、新しい仏が出現し神仏がお集まりになる、とのお告げを聞いて見に行く「出家の価値の話」の舞台が筑紫の武蔵寺というのが興味深かった。大化元年、645年創建とも伝えられる寺で、藤原鎌足の子孫虎麿が創建にかかわったとか。


先日帰福した時、そういえば令和最初の日、JR二日市駅で太宰府名物の梅ヶ枝餅を買う列に並んでいた時、看板に出ていた武蔵寺と虎麿の伝説を読んだなと思い出した。


ビギナーズクラシックは読みやすくてありがたい。たくさんあるから、まだまだ楽しめそうだ。

2019年6月15日土曜日

6月書評の4




泊で東京出張。麻布十番で美味いもの食べて入社以来の同期とたくさん話をして、駅近くの快適なホテルに泊まる。本も薄いの2冊行き帰りの新幹線で読破。ムリのない旅程は楽しいな。東京涼しかったし。前はこの時期に大学野球選手権があって、毎年決まって雨だわ、ムシムシして汗だくになるわだったのに今年は涼しく汗もほとんどかかず。いいねえ。

◼️椹野道流

「最後の晩ごはん  師匠と弟子のオムライス」


ライス系、好きです。読んでて腹がへりました。


シリーズ5巻め。これまで順番を気にせずバラで読んできましたがこれで8巻めまでは全部読んだはず。ようやく埋まってスッキリ。


主人公の五十嵐海里はもと芸能人。何もしていないのに女優とのスキャンダルで芸能界を追放される。神戸の実家でも冷たく扱われる。自暴自棄になっていたところを芦屋市で「晩めし屋」の店主夏神に拾われ、住み込みで料理の修行をすることに。霊感のある海里には店に来る幽霊が見える。眼鏡の付喪神で英国紳士に化けるロイドが仲間に加わり、幽霊の心残りを解消して成仏させてやるため奔走する。


こう書くとやはりいかにもライトノベル。店のある地元芦屋市をはじめとして関西の土地柄が描かれるご当地ラノベですね。


今回はタイトルから想像しうるストレートな内容です。


夏神の師匠、洋食屋の船倉が寄る年波と店舗建物の売却のため、店をたたむことに。駆けつけた夏神と海里に、船倉はハヤシライスをふるまい、海里には夏神のことを頼む。かつて夏神にも荒れていた時期があり船倉に拾われたのだった。5日後、船倉が病死しているのが見つかった。海里たちは身寄りのない船倉の葬儀を済ませ、店の片付けに向かう。そこにはコック服を身につけた船倉の幽霊がいたー。


海里たちは船倉の店で最終営業をすることにします。店で過ごした日々には夏神の過去の傷と、師匠の懐の深さで癒された軌跡がありました。海里と似た境遇だったわけです。


今風の若者・海里と含蓄のあるようでとぼけた味のロイド。いつもにぎにぎしい面々でほんわかな話は進みます。


ハヤシライス、オムレツライス、そして夏神が最後に繰り出す謎のごはんもの料理と、ライス系好きにはなかなかたまりません。読みながら腹が鳴りました。


重めの読書の後には料理系ラノベが一番。


◼️深沢七郎「楢山節考」


心に迫る、突き抜けた物語。カンヌのパルム・ドールで覚えていた。


姥捨、棄老伝説をもとにして作られた話。作者が山梨の出身地近くとしている山村が舞台。


69歳のおりん。息子の辰平には4人の子がいて、一番小さい子はまだ幼い。昨年妻を亡くしていた辰平のもとには向こう村で亭主に死なれたばかりの玉やんが嫁入りし、おりんは満足する。16歳の孫のけさ吉が大喰らいの松やんという娘を身ごもらせ、また家族が増えることになったー。


村には70になったら「楢山まいり」といって親を山深くに捨ててくるしきたりがあった。おりんはだいぶ前から楢山まいりに行く気構えをしていた。山へ行って坐る筵を3年も前から用意し、儀式の振舞酒の準備も終え、気がかりだった息子の後添いも決まった。辰平や玉やんは先延ばしにしたかったが、おりんは年の瀬のある日、山に行くことを辰平に告げる。


「楢山節考」は60ページほどの物語である。

食べ物が少ない村のさまざまなしきたり、風習が短いながらも重厚に描かれ、目を背けたくなる、突き刺さるような村の事件やおりんの行動が物語のベースを強めている。


クライマックス、辰平が背板におりんを載せ、山へ行って帰る場面。山へ入ったら物を云わないこと、山から帰る時は必ずうしろをふり向かぬこと、という掟に従い、おりんは話をすることなく、すべて動作で辰平にシンプルな意図を伝える。道中に描かれる残酷で不気味な環境の中、沈黙のその動作と雪の美しさ、雪の意味が浮かび上がる。


もうダメですね。たまりません。


この作品は1956年の第1回中央公論新人賞受賞作となり、ショッキングな小説として文壇に登場した。辛口で鳴る正宗白鳥も


「人生永遠の書として心読した」


とまで評している。深沢七郎氏は本職はギタリストであって、楽屋で小説を書いていたとか。


甲州弁の物語は説明っぽさがなくそれでいてそのものが持つ雰囲気と事情をエピソードで見事に表している。成り行きも、文章表現や登場人物のさりげなさ、感情の発露もとても精度が高いと思う。著者はおりんの人物造形にはキリストと釈迦の両方を入れたとか。



1983年に今村昌平監督で映画化されたものがカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを獲得した。私は若い頃ヨーロッパ・アジアの映画好きで、映画関連の本もよく読んだ。その中でカンヌの最高賞作品として覚えていた。確かに映画向きの話だろう。


高齢の親がいたり亡くしてしまったりという世代にはかなり心に迫る物語。名作の一つだろう。

6月書評の3





近畿梅雨入りせず・・のはず。そのおかげでまだ朝晩湿度が低くて涼しい。ぜひこのままひと夏・・と本気で考えてしまう。数年前に雨がちで涼しいまま終わった夏がたしかあった。

相変わらず、読書生活や筋トレその他で毎日忙しくしているが、出かけたり、映画に行ったりということをしなくなっている。母が亡くなってからそのへんやる気がわかない、というのを言いわけにしている。はー、でも半分ホント。しばらくシコるでしょう。

◼️安岡孝司「企業不正の研究」


お勉強と興味。


東芝をはじめ神戸製鋼、三菱自動車など世間を騒がせた最近の不正事例をもとになぜリスクマネジメントが機能しなかったのかをひもとく。前段が事例究、後半は事例をもとにガバナンスとリスクマネジメントの在り方を考える。


経営者および側近の者が不正を分かって実行している場合は、会社の取り組みとしてのリスクマネジメントは効用を発揮できない。そういったケースへの対策を主に探っている本だと思っていい。


個人の考えではあるが、日本社会は社外取締役、社外監査役の機能充実を謳う。しかし、プロフェッショナルは少ない。日本独特の監査役制度を含め、どうもこのへん、この手の本を読むたびに毎回すっきりしない。それと、監査部に技術、財務の経験者がいないマイナス点はもっと強調すべし(笑)。実際に大きな不正のディフェンスをできていない面もあるんだから。



動物園を例にリスクマネジメントと企業価値について考えてみましょう。

動物園の園長には次の4つの選択肢があります。


①動物舎の掃除を12回にする

②檻を修理する

③通路に屋根を取り付ける

④利益重視で何もしない


(どれか1つだけ実行するとすれば)どれが正しい選択でしょうか?


この例題はたびたび登場、少しずつ見解が明かされる。


どの選択肢がどのステークホルダー(利害関係者)のためとなるか、ということやリスク評価として、その施策は何のリスクを低減するのか、どういった効果があるのか、などなど複数の観点から分析する。内容の納得度は人それぞれだろうが、興味を引くのは確かかも。


経営理念と事業リスクの関連付けはちょっとした新局面で勉強になった。最新の事例はたまに研究しなきゃね。この分野の研究が盛んになり、不正検知の精度が高まるため、まだまだ不正、不祥事は出てくると個人的に予感している。


まだまだ修行中。


◼️川端康成「美しさと哀しみと」


京都を舞台にした恋愛感情の交錯。美しい、と思う。映画的。


以前読んだ「京都文学散歩」でたぶん紹介されていた。川端で京都といえば「古都」だがこちらもまた醸し出される趣が違って、より物語になじんでいるように見える。


妻子持ちの小説家・大木は、かつて17歳だった音子との間に子供ができ死産、音子は自殺未遂、精神病院にも入る。大木は音子とのことを小説として書き、彼の代表作との評価を受けていた。


そして今、画家として立ち京都に暮らしている40歳の音子と除夜の鐘を聞こうと思い立った大木は特急で京都に降り立つ。そして大木の前に、音子のもとにいる弟子、美貌のけい子が迎えに現れたー。


数十年が経っても想い合っている大木と音子。2人の間に壁を残したまま周囲が動く。大木の妻文子、けい子に魅力を感じる大木の息子の学者太一郎、そして音子と同性愛のような関係にあり破滅的なけい子。大木と音子は大晦日に会うが、次の邂逅は大事の起きたラストだけだ。


冬の嵐山、5月の鞍馬の満月祭、鴨川の床など季節の京都の風景が散らされる中での葛藤。けい子は北鎌倉に大木を訪ねて2人で江ノ島のホテルに入る。また太一郎をも誘惑し、音子には復讐と宣言する。けい子を中心に官能的な場面も展開される。


大木の接触とけい子の動きに、音子はまた自分を見つめ直し、母、失った子、妖精のように現れたけい子などへ想いを馳せ、「稚児太子図」のような絵を描こうと決意する。


芸術家気質、折々に挿入される絵、親子の情に時代・・複雑な背景に様々なものから織り成される想いの糸。けい子の突飛な行動が物語をひっぱる形たが、中身はしっとりとして芳醇、人の想いは現代でも充分通ずるものがある。


けい子の行動は、生来の性格もあるし、師匠と弟子を超えた愛の感情の発露とも見える。また自分が女としてどう生きるか、ということに挑戦しているようにも見える。私は、音子を画家たらしめている部分、哀しい人生経験への羨望と憧憬があって、自分もそうでありたく飛び込んでしまうという芸術家気質もあるのだろうかと考えてしまった。また生きる手ごたえを得たい足掻きにも感じる。


手法は、最初にビジュアルで想像させる象徴的なシーンを入れる手法、また章に1つは気を引く動きを入れる、日本の美を意識して小道具を出す、という、川端イズムだな、というのを踏襲している。「古都」と同時期に書かれた、ということもあって、よく似ているし、隠れた姉妹ネタがちらっと出た時はそこまで似せるか、と思ったが、今回は大技ではなかった。


「古都」が刹那的な名作なのに比べて、こちらは大衆感あふれるというか土曜ワイド劇場チックというか、そんな劇画のような話。ただ、美しさがよく出ている。「古都」よりも物語に現れる美をじっくりと見せていると思う。主人公の音子にも、けい子という比較対象があるからか、はかなげな美を感じてしまう。


まあラストはもひとつかな。

でも川端の美しさ、心の中に住む、という恋愛感情の強さ、普遍性をしみじみ味わう作品。映画向きかもな、と思った。

2019年6月9日日曜日

6月書評の2




母親が住んでいたコーポの解約をするときに、書類に名前のある保証人の連絡が必要とのことで不動産屋に電話した。もっと法的になにかあるのかと思ったが、あっさり終わってあとは地元の兄弟に任せる。寂しいな。もう初盆の用意もせねば。

昨夜は風があって寒かった。天気予報では晴れて過ごしやすい、と言ってたので七分袖のオレンジのシャツに紺に犬のポートレイトの入ったTシャツ、ジーンズにスタンスミス履いて神戸ハーバーランドへ。ここのところ狭いエリアばかり回ってたし少々クサクサしてたし。やっぱ神戸の港とポートタワー、海洋博物館の眺めはホッとする。帰りはポートタワーの横を通って元町商店街に戻りテクテク歩いて帰った。元町商店街も、この30年近く変わってないものもたくさんあり、昔なじみとしてはだいぶ楽しめる。ブックオフで太宰とラノベととりぱんを買って帰る。早起きしたからいつものバスに乗れた。商店街も屋根があるからたいして陽には当たってないが、暑かった。風が気持ちいい初夏ー。

◼️永井路子「噂の皇子」

渋く面白い歴史のスポットに光を当てた、興味深い短編集。


表題作のほか、和泉式部が中心の「桜子日記」、国守の横暴と不思議な話を描いた「王朝無頼」、平将門伝説「風の僧」、源頼政と以仁王の変の話「双頭の鵼(ぬえ)」、なんと義経は2人いた!「二人の義経」、関白の子の女漁りに事件が、の「六条夜霧」、歴史に名を残す藤原佐理(すけまさ)のなんとも笑える行状「離洛の人」が収録されている。


「噂の皇人」は三条帝と藤原道長との権謀術数の争いがメイン。左大臣で時の権力者藤原道長は視力が落ちた老帝、三条帝に早く退位してもらい、先帝である一条帝と道長の娘、彰子の子、東宮の敦成を帝位につけたい。三条帝は官僚に手を回すなどして自分を愚弄し続ける道長の思い通りにはしたくない。


そこに、妙な噂の立つ三条帝と娍子の第一皇子、式部卿宮敦明がからむ。道長に押される三条帝・敦明親子の取った手とは。


これまで読んで来た近江・奈良ではなく藤原氏が栄華を極めた平安の話。あまり詳しくないだけに面白かった。


次の和泉式部ものは、お付きの桜子目線。恋多き女として有名な和泉式部、恋の遍歴のドラマ。


藤原兼家の長男・道隆はいったん権力を握ったものの志半ばで亡くなり、三男道長が権力を得る。道隆の娘が一条帝の皇后・定子で女官が清少納言、さきに出てきた彰子の女官が紫式部で2人がライバルだったのは有名な話。そして和泉式部もまた彰子の女官で紫と同僚だった。和泉は紫から、「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と評されたとか。


この話、ちょっとエロいな、と思った。この短編集中の白眉の出来だった。


坂東の王、平将門には興味があったし、義経はへえーという話。


歴史好きのツボを突いてくる題材と、もうひとつ。著名な歌人だった源頼政が難しい源平対立の時代をできるだけ争わず生き延びる天才だったり、藤原俊成、小野道風と並び日本の三蹟、文字の美しさで有名な藤原佐理がどうにも失敗の多い人で、その美しい文字は謝文、失策を詫びるための書簡ばかりに残されていたりする。和泉式部だってその才能は明らか。そういう話を集めているところにも面白みがある。


1966年から86年にものされた作品を集めたもの。でも全然古さを感じない。若き日の永井氏の筆致には色気も感じる。


まだまだ読みたい作家さん。


◼️ルイス・サッカー「穴」


不思議なことに、あの人っぽいな、と思ってしまった。少年ファンタジー。穴掘りの目的は・・?


こちらでの好意的な書評で、心に積ん読してました。全米350万部のベストセラー。弱気で運の悪い少年が、友情を理由にワイルドな冒険を経て報われる、というストーリー立て。


いつもデブと馬鹿にされてきた運の悪い少年スタンリーは、有名なプロ野球選手が寄付したシューズを盗んだ濡れ衣で更生施設に送られます。そこは炎熱の、湖が干からびた大地にあり、直径深さともに1.5mの穴を毎日1つ掘るという労働が課せられていました。どうも女性のおっかない所長が穴を掘らせるのは、なにかの目的があるようです。ある時、同じ班のゼロが脱走、彼に読み書きを教えていたスタンリーはゼロを追いかけますー。


理不尽な、ひどい大人たち、個性的な同じ班の少年たち、灼熱の大地にキツい労働。過酷な環境の中で成長するスタンリー。脱走と冒険、物語には100年以上前の不思議な寓話が挿入されます。やがて現代とつながって穴の秘密が明らかに。そしてスタンリーたちは?


最初のほう、スタンリーの罪や所長の設定にムリがあるなあ、とか思いながら読み進めました。ただ、少年たちの序列や親切そうな大人の裏の顔などはいかにもありそうだし、過酷な環境の現実に、こちらも追い詰められるような気がしてきます。ざっと見ればかなりファンタジックな要素が多いのですが、その実マイナスの下敷きはリアルっぽくて厳しい。


ガラガラヘビやタランチュラ、そして絶対王者黄斑トカゲは怖い生物ながらどこかコミカル。苦しみとピンチを経た後の結末にはスカッとします。定番の流れではありますが、そこに至るまでの苛烈な環境、不思議さ、またほのかな友情が効いてきます。やり込められる所長と手下の男2人には、「101匹わんちゃん」の魔女と手下を思い出しました。


読後の充実感もなかなか。私の場合、ゼローニばあさんって誰だったっけ、とちょっと考えちゃいましたが、仕込まれた材料が上手に溶け合ってどこか重みすら感じさせる作品だと思います。


さて、「あの人」。ひっぱりましたがハルキというわけではなく、実はポール・オースターに似てるな、と思っちゃったのです。理由はとても難しい。現実と寓話の間的な風合い、とでもいうか、そのアメリカンな雰囲気なのか・・。


エピローグは短く、スタンリーやゼロのその後は少ししか書いてありません。続編やスピンオフ作品に入っているようです。んー探したくなりますね。


スラスラ読めて良い読書だったと思います。何回も繰り返し出てきて微笑ましいこのフレーズで締めることとします。


「あんぽんたんのへっぽこりんの豚泥棒のひいじいさんめ!」

6月書評の1




先週から半袖上着なしにしている。夜も少しずつ気温と湿度が上がってきてエアコンのドライを寝る最初だけかけたりする。かと思うと寒かったりして。なんとも、だ

◼️斎藤茂吉「万葉秀歌 下」


東歌の面白さを味わい、防人の歌の哀しさを感じる。


新元号が決まった時に読んだ上に続き、下も入手。相変わらず読むのに時間がかかる。万葉集の巻八から巻二十までの選抜。巻八こそ聞く人の名前が多いが巻九から巻十三までは柿本人麻呂集か作者不詳の歌。巻十四は東歌。その後は編纂者とも言われる大伴家持の歌が8割、そして最終巻二十にはまた東歌、そして防人の歌が入っている。


上の時ほど登場人物への思い入れがあるわけではなかったかな。気になったものをいくつか。


夕されば小倉の山に鳴く鹿は

今夜は鳴かず寝宿(いね)にけらしも

                                          舒明天皇


舒明天皇は推古天皇の次で、天智天皇、天武天皇のお父さん。ちなみに皇后は2人を産んだ皇極天皇。飛鳥岡本宮に居たという。やはり奈良といえば鹿。ストレートに風景と余韻を感じさせる。こう詠むと、夕暮れに鹿の声が響き渡るさまと、静かで透き通ったような雰囲気の両方を想起させる。


沫雪あわゆきのほどろほどろに零り重けば

平城の京師し念ほゆるかも          大伴旅人


大伴旅人が筑紫太宰府に居て雪の降る日に京に想いを馳せた歌。降っても消えやすいあわゆき、ほどろほどろは語感もいい。


吾背子と二人見ませば幾許かいくばくか

この零る雪のうれしからまし      光明皇后


もうひとつ雪。藤原不比等の娘で聖武天皇のおきさき、光明皇后(藤皇后)はその名の通り光り輝くイメージもあるが、立后の際の長屋王謀殺、また夫の迷走による懊悩という負のイメージもつきまとう。これは聖武に奉られた歌。


筑波嶺に雪かも降らる否(いな)をかも

愛しき児ろが布乾さるかも     東歌


東歌をじっくり鑑賞するのは初めて。一見して「かも」が3つも出てきて、「降らる」「乾さる(ほさる)は訛った言葉だという。民謡風のものが多いとか。

山が白く見えるのは筑波山にもう雪が降ったのかしら、いやそうでもなかろう、可愛らしい娘が白い布を干しているのだろう、という内容で、否をかも、は他にも使用例があるらしいが、短い歌に盛り込んで中身を豊富にし、さらに、かも、で調子を整えているのに感嘆した。東歌は面白いものも多く、


上毛野(かみつけぬ)

安蘇(あそ)の真麻(まそ)むら掻き抱き   

寝れど飽かぬを何どか(などか)吾(あ)がせむ


など、ゴツゴツしたものが多い。この歌は麻の束を抱き抱えるように可愛いお前を抱いて寝たが飽きるということがない、どうしたらいいのか、と直接的ではあるが、前の歌と同じく、邪気は感じない。


大伴家持の歌はどこか大陸風だったり、新羅使の対馬の歌があったり、有名な「天の火もがも」、橘諸兄や元正天皇の詠歌という永井路子「美貌の女帝」「裸足の皇女」に関連するものがあったり、「海行かば」って万葉集か、来てたんだと驚いたり色々と刺激もあった。「雨月物語」にもちらっと出てきた真間の手児名の話に似ているという桜子伝説の歌も心に残った。


最後に防人の歌。関東から筑紫へ派遣される事が決まった人たちや妻の歌である。


大君の命かしこみ磯に触り

海原わたる父母を置きて   防人


大君の命かしこみ出で来れば

我ぬ取り着きていひし子なはも   防人


防人に行くは誰が夫と問ふ人を

見るが羨しさ物思ひもせず   防人の妻


万葉集は圧倒的に恋の歌が多いし防人の歌にも妻のことが目立つ。ただ斎藤茂吉によれば防人の歌には父母のことを云ったものが多いとか。また2つめ3つめのように庶民的で生々しい表現も多い。3つめは教科書で習った歌ですね。


この万葉秀歌を読むにあたり、心に残った歌や言葉、傾向はいちいち書き抜いておいたのだが、とても全ては紹介できなかった。上下巻を通じ歌をつぶさに見ていくことで全体的な傾向をつかめたかなと思う。この時代はやはり好みだな、と再確認した。


◼️アントニア・スーザン・バイアット

「マティス・ストーリーズ」


いやー、気持ちいいくらい、マティスをぶちかましてくれてます。興味深い短編集。


美術に体系的な知識を持てないとはいえ、ピカソ、印象派、日本画など絵画は好きだ。いまのフェイバリットはマティス。明るい色の細かい組み合わせの美にハマってしまった。マティスといえば、切り絵とか、裸の男が輪になっている奇妙な絵「ダンス」とか、夫人の顔を変な色で塗りたくった絵が前面に出て、フォービズムの画家、おしまい、的な扱いが多いと思う。


でもマティスの作品をつぶさに見ていくと、圧倒的なくらい色彩の組合わせが強調されているものがとても多い。顔を変な色で塗った作品がむしろ希少だ。明るい原色に近い色の並びのセンスはすごいと思う。


マティスで検索してて行き当たった本。1990年代のイギリスのベストセラーだそう。


**「薔薇色のヌード」は横たわる裸婦をピンク色の色調で表した、デフォルメの仕方がややピカソっぽくも見えるマティスの同タイトルの作品をモチーフにした物語。


マティスの「薔薇色のヌード」が飾られているのを気に入り、美容室の常連となった女性言語学者のスザンナ。密かに自身の老いを気にしている。店主のルシアン、妻子持ちでさらに若い愛人もいるイケメンの、恋愛のグチを聞いてあげるのがいつものこと。しかしある日店に行ってみると流行のくすんだ色調に改装されていた。さらにいくつかの細かい出来事にストレスが昇華したスザンナは爆発する!


短編小説らしい展開で、様々なものが意識されていると思う。なにより、色彩と無秩序の美。その表現は長くて具体的。例えばこんな風に。


「ピカピカ輝く破片が散らばっている。甘い香りを放つ液体が流れ、静脈のような青いのや染料のように深紅色のクリーム軟膏が水たまりになっている。深紅色の縞色のムースや、オレンジ色がかった赤褐色やコバルト色や銅色の奇妙に濃い液体が、あちこちにこぼれていた。」


明らかにマティスの色彩に入り込んでいる。こういった文章が多く連ねられ、とにかく色に関する描写が読む人の感覚をちくちくと刺激する。


行動自体の動機はより人間的で、インテリを主人公に設定していることが効いている。オチもうまく、ホワッとして安心するが、皮肉が入っているようで、考えさせる。


次の「芸術作品」はストーリー的にもどんでん返しがあり、よりマティスの色と混沌を強く意識し、見事などんでん返しもある。人間的な生活、成長も敷かれていて収録されている3つのクライマックスとなる話だろうと思う。


2人子供の母、デビーは女性誌のデザイン編集者。夫のロビンは愛玩物にこだわる売れない画家で家計はデビーが支えている。頼りになるミセス・ブラウンは余った布や毛糸で色んなものを作ってしまう家政婦。ロビンとミセス・ブラウンはよくいさかいを起こし、マティスの信奉者ロビンは時に色彩論をぶつ。デビーはロビンに個展を開かせようと、つてでギャラリーの女性を紹介するが・・という筋。


全体にシニカルな分かりやすい物語性があり、さらにどんでん返しの後の、展示会の表現には圧倒される。モチーフのマティス作品は個人蔵であまり表に出ないという「沈黙の棲む家」。


3つめ「氷の部屋」は、芸術博士の独身の女性の元に女子学生からの告発状が届く。自分の博士課程の論文、創作を批判された学生は、審査する立場の客員教授にセクハラを受けたと強く訴え、博士はもと高名な評論家であるこの客員教授と直談判する、という話。場所のレストランの環境が心理的に作用するように描いてあるが、前の2つよりは毛色が違って劇的な展開はない。うーん、大人しく閉まったという感じである。こちらのモチーフは「黒いドア」。それぞれの短編の絵はすべて表情のない女性が登場している。


色んな要素を込めて、上手に落としているという印象で現代チックでもある。そのバランスの構築にはなかなか唸った。こりゃ面白い!というほどではないけれど、映画でもなんでも、色を意識すると作品がガラッと変わって見えたりする。それを強烈に意識させられる物語集だと言える。


めっちゃ興味深かった。1人の画家でも作品群をじっくりと見ていくとイメージも変わる。もっと他の画家さんも研究してみようかな。


マティス展心待ち中。

2019年6月1日土曜日

5月書評の8


今月は、17作品17冊。数を稼いだ感じである。
最高気温は25度から30度ちかく。日により上下あり。朝は少し肌寒いけど、10時半には、少し歩くと汗をかく。

写真は川沿いに咲いている夾竹桃、キョウチクトウだが、強い毒性がある。これもびっくり。
アプリの種類判別が信用できず、自分で調べてるからすこしずつ詳しくなる。

あーでも家で陽射しを避け、風通しを良くするととても過ごしやすい。半袖短パンで、寒くなく、暑くもない。うたた寝を誘う気持ち良さだ。

5月は四十九日があって、令和が始まった。もう大昔のようだなあ。

◼️川端康成「川のある下町の話」


ノーベル賞作家に僭越かもだが、うまい、と思った。


1953年の作品。戦後の名作と言われた「山の音」と「古都」との間の数多い著作のうちの1つ。個人的には新感覚派と呼ばれた戦前の「伊豆の踊り子」「浅草紅団」よりも戦後の作品の方が落ち着いてて好きな方。


医師の伯父の援助で大学を出てインターンをしている、国家試験前の栗田義三は、増水した川に流された幼子を助け、その姉のふさ子の瞳の輝きに強く惹かれる。やがて幼子が流感で亡くなった時、見とったのは義三だった。同じインターンの才媛・民子、伯父の娘で従兄妹の桃子も義三に想いを寄せていたが、彼の心がふさ子にあることを知っていた。ふさ子が住まう長屋は義三の伯父が新しい病院を建設する予定地にあり、立ち退き料を貰ったふさ子は勤めていたパチンコ屋に住み込みで働くことになる。


川端康成が恋愛ドラマを描く時にはどこかに運命的なエッセンスが入ることがある。「山の音」で息子の美しい嫁を可愛がる中年の男が昔憧れていたお姉さんを義娘に投影している。また「千羽鶴」では父の元愛人と関係を持ち、その娘とも惹かれ合う。これらは川端が「日本史上最高の物語」という「源氏物語」の影響があるのかも、と思ったりする。


今回は若者らしい直情的な愛。しかしどこか源氏物語的な色合いが見え隠れする。インテリで裕福なインターンの民子、やはり裕福で、活発で可愛らしい性格の桃子と、貧困に喘ぎ肉親を失う、か弱いふさ子の対比が際立つ。不幸がふさ子に集中し過ぎていてバランスの悪さ、メロドラマ性が強すぎる感も正直あると思う。


義三に想いを寄せつつ彼の幸せを願う民子と桃子、あえかなふさ子、そのキャラの作り方にうまいなあ、と感じた。2人が女性として義三に接近するエピソードも織り込んであり、民子には同僚として好感より進んだ感情を持ち、桃子の父には金銭的援助を受け、桃子の両親が結婚を望んでいるという伏線も張り恋愛物語を分かりやすく複雑化している。また物語を動かすタイミングと仕掛け、細かい伏線も絶妙かなと。


さらに女性の美ー。「古都」の儚げな千重子、「山の音」の義父に甘える若嫁の菊子、「千羽鶴」の屈託のない令嬢ゆき子と、それぞれどういう美しさだろう、女優でいえば誰のようなんだろうといろいろ想像してしまう。今回ふさ子の「まつ毛の長い目の火のような光り」はどんな眼のことなんだろう、と考えてしまった。


ラストは切り方が簡便すぎるかな、とも思うし、全体に他作品で感じたような奥深く醸し出されるもの、は感じなかったが、戦後日本の庶民的な姿を絡めて描いたメロドラマ、悪くはなかったと思う。


引き続き川端シンドローム。


◼️土屋健

「海洋生命5億年史 サメ帝国の逆襲」


陸上は恐竜、では海中は?ワクワクしっぱなしの古生物学史。大絶滅が何回もあったとは目からウロコだった。


恐竜絶滅に関してはやはり興味が湧いたし、本も読んでNHKの番組も観た。海の中、海洋生物に関しては、たまにマンガに出てくるのを見る程度でまったくと言っていいほど知らなかった。恐竜の番組に、恐竜が移動する際の渡渉で水中の巨大肉食生物に食べられるという描写があって、気になっていた。その謎に答えをくれた本。


古生代、約5億年前のカンブリア紀に現れた史上最初の覇者、エビっぽい捕食者、全長1mのアノマロカリス。続くオルドビス紀には三角形の殻にタコっぽい触手を持った611mの巨大生物、カメロケラスがいて、その次のシルル紀、デボン紀に繁栄した、大きなハサミをもちサソリに似た全長2mのアクチラムス。デボン紀には勇猛なイメージの大型甲冑魚、古生代最大、最強のダンクルオステウスらが出て覇権は魚類が把握する。サメ、やがて陸上にも上がる四肢のある脊椎動物や水棲爬虫類も古生代末期に出現する。


いやー怖いけどホントに胸が高鳴る光景を想像してしまう。形状もSFチック。


しかし古生代から中生代、約25000万年前くらいの時期、70パーセント未満の生物がいなくなった恐竜絶滅よりもさらに大規模で、全生物の81パーセントとも言われる数が姿を消す大量絶滅が起きる。何が原因かは不明だという。


正直びっくり。大量絶滅は複数回起きていたというのも驚いた。恐竜絶滅こそが古代生物学史上最大の大事件だと思っていた。


続く中生代、地上は恐竜、海中は魚竜。タラットアルコンは全長8.6mでワニの顔に魚のボディで迫力満点。これが恐竜をも食べてたんだろうか。そしてドラえもんのピー助、フタバスズキリュウの仲間のクビナガリュウ類が大繁栄する。


さらに魚竜類が衰退、絶滅した時期に大型のサメ、クレトキシリナが出現する。さらにさらにモササウルス類。魚竜、クビナガリュウと並び中生代の三大海生爬虫類と呼ばれるらしい。プログナソドン、ティロサウルスは全長10mを超え、高速で泳ぎ回り魚、ウミガメ、アンモナイトをバリバリ食べていた。形は魚竜よりもどっしりとしてジュゴンのような感じ。顔はやはりワニのよう。イルカのような形の種類もいるようだ。1700年代後半、のオランダ・マーストリヒトで見つかったモササウルス初の化石は「マーストリヒトの大怪獣」として有名になり侵攻したナポレオン軍がパリへ持ち帰ったとか。


やがて恐竜を滅ぼした小惑星衝突が地球を襲う。この時点で6600万年前。新生代になると全長20mを超えるクジラが誕生した。最初の方のバシロサウルスはまだ顔がワニ。ハクジラ類はすごく獰猛そう。歯の1本が36センチもあり、伝説の怪物の名を持つリヴィアタンはこの時代のトッププレデターだった。


中生代末期の大量絶滅を生き延びたサメ類にも超大型種のメガロドンが誕生した。獲物を噛む力はホホジロザメのなんと10倍。しかしこの新しい超大型種は260万年前には姿を消していく。原因は分かっていない。


ここから現代へと繋がるようなのだが、ここまででもずいぶんとエキサイティングで怖くて面白い。顔形も多くは凶暴そうに描かれている。化石にはこれらプレデター的生物に噛まれた後が見つかっているそうだ。


時代の流れに沿って海洋生物を見ていくのはとても面白かった。ワクワク感でハンパなく満足した。



◼️三島由紀夫「永すぎた春」


明るい小説。バランスを取る重りか。


エゴイスティックな名作「金閣寺」と並行して連載され、ベストセラーとなった作品。東大の裕福な家の息子と古本屋のマドンナの、山あり谷ありの婚約生活。「永すぎた春」という言葉は流行語になったとか。


東大法学部の学生、宝部郁雄は大学の近くの古本屋、雪重堂の娘木田百子と婚約する。郁雄の父が結婚は大学を卒業してから、と主張したため、婚約期間は13ヶ月の永きにわたることとなった。郁雄の試験中、フィアンセに会えない百子は本の振り市に出かけ、いとこの一哉と会う。帰り道、郁雄の家に行ってみようとした百子に一哉がついてきて、窓から2人を見かけた郁雄は嫉妬で激昂する。


1月から12月に章が分かれている。上のエピソードの一哉は事件を起こし、邦雄と百子の結婚に暗雲が漂う。他にも、郁雄がつた子という年上の女に誘惑され部屋まで行ったりとか、そのつた子の恋人で邦雄の友人の吉沢が百子を誘ったりだとか、2人の間にはそういう類の波が立つ。百子の兄で文学青年の東一郎は入院先の病院の看護婦・浅香と恋に落ちこれまた婚約する。このことは後に災厄となる。


なにより存在感のある、いかにも裕福なおばさま的な感情と行動が物語を動かしていく。東一郎の婚約者、浅香の母親の底の浅い陰謀など、邦雄と百子の「敵」がはっきりしている構成となっている。


婚約期間が長すぎたゆえに事件も起き、また当人たちの心にも邪魔な想念が湧く、といった幸福であるがゆえの不幸を逆説的に描く、という形らしいが、基本は若い2人の青春物語であり、明るく分かりやすい大衆小説だと思う。頭がよく回って活発、邦雄を愛する百子のキャラクターが伸びやかで純粋でヒロインとして好感が持てる。ただやや平板でクセがなさすぎるかな。


名作「金閣寺」と同時期掲載された作品で、片やエゴイスティックな男を主人公とし、人間を描いた本格小説、こちらはメロドラマというか、朝の連続テレビ小説的とでもいう感じ。ただ、どちらにもクセのある大学の友人が大事な役どころを果たすところは同じだったりする。


つぶさには分からないが、この同時並行連載自体が三島由紀夫の仕掛けだったんじゃないのかな、なんて考えた。




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5月書評の8

5月書評の7




最近花の写真を撮っては画像で花の名前を教えてくれるアプリで遊んでいる。精度は悪いな。画像のマッチングは難しい。前回がスイカズラ、その前がたぶんノイバラ。今回はオオキンケイギク。実はいま個人が栽培してはいけない。これは自生と思われるもの。生育力が非常に強く、ほかの植物の名前が育つ環境を奪ってしまうため、駆除対象ともなっているとか。

たしかに群生していて生命力強そう。また花もハデ。棘のない薔薇はない。魅力の陰には・・。なんてね。

◼️長野まゆみ「夏至祭」


棠梨(ずみ)にびっくり。季節感が合った。


「らしい」ミニマムなファンタジック童話。先が気になる。


あっというまに暑くなり最高気温は30度超。夏至はもう少し先だが、読む気分は時節にマッチしている。


長野まゆみは、宮沢賢治風ともいえる寓話「少年アリス」で固定の読者を得たとどこかに書いてあった。今作は初期の作品で「アリス」っぽい。


中学生の月彦は学校の帰り道、まっくらな林の空き家に灯がともっているのを見る。近づいてみると少年が2人住んでいて、月彦をすぐに見つける。黒蜜糖と銀色という名の2人は、お祭りのようなある集会に参加するために来たが、必要な羅針盤をなくしてしまったと話す。月彦は、亡くなった祖父からもらった羅針盤付きの腕時計を持っていたー。


だいたい話のゆくえは予測がつくが、どんな風に展開されるのか、先が気になる。少年たちのふれあいや食事、お茶、果実酒、祖父の単を仕立て直した月彦のシャツ、不思議なお祖母ちゃんなどの演出が独特の世界を作り上げる。月彦はお祭りに参加、そして最後にはオチもつく。「アリス」より童話色が強い感じだ。


今回得意の鉱石はあまり出なかったが、満天星、芍薬、待宵草、疼取(いたどり)、野茉莉など植物がむずかしい読みと相まって物語の幻想度を盛り上げる。


そして、物語に重要な意味を持つズミ。先日犬の散歩の山道で鈴生りの白い花を見つけ、どうもズミらしい、とweb調べで分かった、ということがあったんで少しびっくりした。山に咲くバラ科リンゴ属の白い花。読む本と季節感を合わせたことが生んだ暗合だなと嬉しくなった。


長野まゆみはバラバラにしか読んでいない。「鳩の栖」「カンパネルラ」のような肉親の情のもの、より美少年色を強めた「天体議会」「夜間飛行」、さらに賞を取った葬儀もの「冥途あり」などその作風はさまざま。でもしっとりと築かれる独自の世界は築く好みの1つだ。


多作の、特徴ある作家さん。まだまだ楽しめそうだ。


◼️篠宮あすか

「あやかし屋台 なごみ亭2

                            金曜の夜は風のお祭り」


博多中洲の屋台が舞台のご当地ラノベ。今巻はかしわめしに感情移入でうるうる。


金曜日だけ開店する屋台、なごみ亭ー。27才の女店主・椎葉なごみ、客引きの狐のあやかし・コン、大学3年のアルバイト、木戸浩平で営んでいる。コンが連れてきたワケありの客の希望に応えてなごみが料理を作る。冷たい秋風が吹く日、黒い身体に赤い頰の小鳥、天狗神の眷属アカマルが訪れて、お子様ランチを作って欲しいと頼む。


季節は秋、アカマルのほか、カマイタチのスイ、精霊風のベニ、風狸のキン・ギン・ドウの3兄弟と風にちなんだあやかしが次々となごみ亭を訪れる。そして小さな女の子のために、命を救ってくれた女性のために、風邪をひかせた自分にお礼を言った少年のために、なごみに料理を注文する。ほのぼのとしたストーリー集。


そして「ハーブの園に、かしわめし」ではアカマルの主人の天狗神が、想い出の味のため、かしわのおにぎりを頼む。


ここ3カ月続けて福岡に帰って、いろんな写真を撮ってきたが、忘れたな、と思ったのはかしわおにぎり。福岡のうどん屋にはふつうにあって、この間よく食べただけになおさらだった。全国のコンビニでも、鶏五目ほか諸々の名称で似た感じのおにぎりを売っていると思う。かしわめしとは、鶏肉、刻んだごぼうその他を一緒に炊いた、しょうゆの炊き込みごはん。大好きである。


そこに天狗神の初恋の話が絡む。相手は秋月のハーブ園で出会った女性。美しく強く儚すぎる話。人生は一回きり。もはや過ぎ去って戻らないこと。ホロリときてしまった。


変わらずどうもテンポがずらされているような文調、主要登場人物たちの人間臭さが出てこない感じがある。コンは過ぎるほどにスーパーだし。今回は具体的な地名も出てきたし、ストーリーも仕掛けも少し工夫が見られてシリーズ初巻よりは好きになったかな。


「もし満足せんでも、変化させることはできると思うっちゃん」

「俺さ、こどもんときによく風邪ひきよったっちゃんねー」

「嫁にげなやらんばい!」


もはや博多弁はしゃべれないが、福岡に帰ると言葉が移る。関西や関東で暮らすと、いかに自分の土地の言葉が方言色が強かったかよく分かる。地方ラノベは方言ベタベタでOK。ちなみに福岡南部から熊本では「(わざわざ)〜する」というのを「しよらす」というが、しよらすとよ、なんて女性が使うと可愛らしい。誰が熊本のラノベも書かんかな、なんて。

まだシリーズ続きがあるようなんで読みたい。屋台行きたいな。


◼️長野まゆみ「夏至祭」


棠梨(ずみ)にびっくり。季節感が合った。


「らしい」ミニマムなファンタジック童話。先が気になる。


あっというまに暑くなり最高気温は30度超。夏至はもう少し先だが、読む気分は時節にマッチしている。


長野まゆみは、宮沢賢治風ともいえる寓話「少年アリス」で固定の読者を得たとどこかに書いてあった。今作は初期の作品で「アリス」っぽい。


中学生の月彦は学校の帰り道、まっくらな林の空き家に灯がともっているのを見る。近づいてみると少年が2人住んでいて、月彦をすぐに見つける。黒蜜糖と銀色という名の2人は、お祭りのようなある集会に参加するために来たが、必要な羅針盤をなくしてしまったと話す。月彦は、亡くなった祖父からもらった羅針盤付きの腕時計を持っていたー。


だいたい話のゆくえは予測がつくが、どんな風に展開されるのか、先が気になる。少年たちのふれあいや食事、お茶、果実酒、祖父の単を仕立て直した月彦のシャツ、不思議なお祖母ちゃんなどの演出が独特の世界を作り上げる。月彦はお祭りに参加、そして最後にはオチもつく。「アリス」より童話色が強い感じだ。


今回得意の鉱石はあまり出なかったが、満天星、芍薬、待宵草、疼取(いたどり)、野茉莉など植物がむずかしい読みと相まって物語の幻想度を盛り上げる。


そして、物語に重要な意味を持つズミ。先日犬の散歩の山道で鈴生りの白い花を見つけ、どうもズミらしい、とweb調べで分かった、ということがあったんで少しびっくりした。山に咲くバラ科リンゴ属の白い花。読む本と季節感を合わせたことが生んだ暗合だなと嬉しくなった。


長野まゆみはバラバラにしか読んでいない。「鳩の栖」「カンパネルラ」のような肉親の情のもの、より美少年色を強めた「天体議会」「夜間飛行」、さらに賞を取った葬儀もの「冥途あり」などその作風はさまざま。でもしっとりと築かれる独自の世界は築く好みの1つだ。


多作の、特徴ある作家さん。まだまだ楽しめそうだ。


◼️篠宮あすか

「あやかし屋台 なごみ亭2

                            金曜の夜は風のお祭り」


博多中洲の屋台が舞台のご当地ラノベ。今巻はかしわめしに感情移入でうるうる。


金曜日だけ開店する屋台、なごみ亭ー。27才の女店主・椎葉なごみ、客引きの狐のあやかし・コン、大学3年のアルバイト、木戸浩平で営んでいる。コンが連れてきたワケありの客の希望に応えてなごみが料理を作る。冷たい秋風が吹く日、黒い身体に赤い頰の小鳥、天狗神の眷属アカマルが訪れて、お子様ランチを作って欲しいと頼む。


季節は秋、アカマルのほか、カマイタチのスイ、精霊風のベニ、風狸のキン・ギン・ドウの3兄弟と風にちなんだあやかしが次々となごみ亭を訪れる。そして小さな女の子のために、命を救ってくれた女性のために、風邪をひかせた自分にお礼を言った少年のために、なごみに料理を注文する。ほのぼのとしたストーリー集。


そして「ハーブの園に、かしわめし」ではアカマルの主人の天狗神が、想い出の味のため、かしわのおにぎりを頼む。


ここ3カ月続けて福岡に帰って、いろんな写真を撮ってきたが、忘れたな、と思ったのはかしわおにぎり。福岡のうどん屋にはふつうにあって、この間よく食べただけになおさらだった。全国のコンビニでも、鶏五目ほか諸々の名称で似た感じのおにぎりを売っていると思う。かしわめしとは、鶏肉、刻んだごぼうその他を一緒に炊いた、しょうゆの炊き込みごはん。大好きである。


そこに天狗神の初恋の話が絡む。相手は秋月のハーブ園で出会った女性。美しく強く儚すぎる話。人生は一回きり。もはや過ぎ去って戻らないこと。ホロリときてしまった。


変わらずどうもテンポがずらされているような文調、主要登場人物たちの人間臭さが出てこない感じがある。コンは過ぎるほどにスーパーだし。今回は具体的な地名も出てきたし、ストーリーも仕掛けも少し工夫が見られてシリーズ初巻よりは好きになったかな。


「もし満足せんでも、変化させることはできると思うっちゃん」

「俺さ、こどもんときによく風邪ひきよったっちゃんねー」

「嫁にげなやらんばい!」


もはや博多弁はしゃべれないが、福岡に帰ると言葉が移る。関西や関東で暮らすと、いかに自分の土地の言葉が方言色が強かったかよく分かる。地方ラノベは方言ベタベタでOK。ちなみに福岡南部から熊本では「(わざわざ)〜する」というのを「しよらす」というが、しよらすとよ、なんて女性が使うと可愛らしい。誰が熊本のラノベも書かんかな、なんて。


まだシリーズ続きがあるようなんで読みたい。屋台行きたいな。