2019年1月12日土曜日

2018年12月書評の4





6日には部分日食。朝はどんよりしてたから諦めてたら食のピークの10時半くらいから雲が切れてきた。いつもは日食グラスで観るが、今回は写真の通り雲がかかってて肉眼でも欠けてるのがわかった。珍しい。靴の一つとリュックが擦り切れてたのを補充買い物し、ブックオフや本屋にも行って映画も観て、良い冬休みだったかな。

2018年12月は15作品16冊。もうひとつ進まなかった。でもおそらく一生一度であろう年間200作品をクリアして満足。2019年は、数を気にせず長いのを読もうと思う。

中河与一「天の夕顔」


愛に生き抜くことはできるのか。かつての大ベストセラー純愛小説。


昭和13年、1938年の発表で当時の青年子女の間を風靡したらしい。永井荷風、与謝野晶子、フランスではカミュらが激賞したとか。大流行した「ノルウェイの森」みたいなもんだろうか。


京都の大学に通っていた「わたくし」竜口は下宿の近くの夫人あき子と知り合い、あき子の母の通夜や四十九日にも参列する。あき子の夫は長い間外国に行っていた。その後わたくしは下宿を変わったが、転居先にあき子から手紙が来て文通し、やがて会うようになる。


「京都文学散歩」という本で紹介されていて興味を持った。あき子が京都の竜口の下宿を訪ね、帰り熊野神社前の駅まで2人で肩を並べて歩く場面が描かれている。下宿が神楽岡、電車の駅が今のバス停付近とすれば、と想像する。どちらの界隈も最近歩いた。


ただ、物語では京都はちょっとで、あき子の西灘の屋敷、つまり神戸三宮の北西の山手高級住宅街、に竜口が会いに行く方がかなり多い。後半になると東京だし。


さて、道ならぬ激しい恋に2人はピュアに苦しむ。あき子は何度も想いを断とうとしながら手紙を送り、竜口が訪ねれば家に入れ、外を歩きながら戯れる。竜口は兵役で沼津へ行き、さらに気象観測の仕事で富士山麓に住み、東京へ転勤する。2人の間には何度も断絶があるが、いつしかまためぐり合い、離れる。


ついに竜口は深い山奥で孤独に耐えながら独りで暮らす。あき子のことをひたすら想いながら、気がつけばあき子への愛情を胸に、何もなさないまま40歳を超えていた。



あき子は夫の浮気を知りながら、それでも家庭をなし子供を育てる方を選ぶ。


最初の方に、あき子から借りる本の栞にメッセージが書いてあったり、あき子が何度も読んだという竜口からの手紙を、竜口があき子の前で、戯れに破り捨ててみせたり、2人が神戸で会い散策する時の愛情あふれる可愛いシーンであったりと、印象的な場面も用意されている。


もちろん純愛ものってもどかしいが、逆にそんな風だから純愛ものなのである。想いの強さがひたすら綴られているのも、失恋したらそのネタで50曲くらい書けてしまう、という中島みゆきの言葉を思い出す。


若いうちは特に恋愛に対し気持ちは強い。そして実際は男女ともにどこかで現実と折り合いをつけて過ごすもの。しかしまさに山にこもったりして一生を懸けたところがかなり現実離れして物語的、もっと言えば海外風の物語の感覚とマッチしていて、だから海外でも受け入れられたような気がする。


若いうちの想いの強さは誰もの体験に似ている。だけど成り行きは超然ー。ラストの単純な、深い虚しさは、ブッツァーティの「タタール人の砂漠」を思い出してしまった。


面白い読書体験だった。


与謝野晶子「みだれ髪」


輝いている。そしてみずみずしくエキサイティング。与謝野晶子には、完敗だ。


大阪・堺の与謝野晶子文芸館に行きたくて著作ないかなと心に掛けてたら見つけた。この本は399首の和歌が掲載されていてうち70首に訳と鑑賞解説がついている。章は「臙脂紫」「蓮の花船」「白百合」「はたち妻」「舞姫」「春思」の6章。


・髪五尺ときなば水にやはらかき

   少女(おとめ)心は秘めて放たじ


・その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪の  

    おごりの春のうつくしきかな


・ゆあみする泉の底の小百合花

   二十(はたち)の夏をうつくしと見ぬ


◆私がゆあみをする温泉の底には小百合の花にも似たからだが沈んでいて、二十歳のこの夏を美しいなとの思いで見ているのです。


若さいっぱい、心と身体の表現。若さゆえのおごりも分かった上での礼賛。繊細で、映像的。


・乱れ髪を京の島田にかへし朝

    ふしていませの君ゆりおこす


◆寝乱れた髪を島田に結い直した京都の朝、まだ寝ていらっしゃいと言ったあなたを(きれいに結えた髪を見せたいと思って)そっと揺すって起こすのです。


・病みませるうなじに繊きかひな捲きて

    熱にかわける御口を吸わむ


・やは肌のあつき血汐にふれも見で

    さびしからずや道を説く君


与謝野晶子は「明星」を主催していた与謝野鉄幹に強い思慕を抱いていた。それは誰もが認める才能と名声を持ち、晶子の同志でライバル、山川登美子も同じだった。3人は京都・粟田山の旅館で泊まった。その時登美子はすでに親が嫁ぎ先を決めていて、与謝野鉄幹は内縁の妻の実家ともめ離婚を切り出されていた。やがて晶子は恋の勝利者として鉄幹と結婚する。乱れ髪を、の歌はかつて3人で泊まった粟田山の宿で、後に鉄幹と結ばれた際に詠んだものらしい。


男女の大人の関係に踏み出し恋愛を味わう中で、率直に、時に可愛らしく、時になまめかしく、そして挑発的に歌に込める。なにせ刊行が明治34年、1901年のこと。道徳的でないとの批判が出るのは必定だった。


・清水へ祇園をよぎる桜月夜

   こよひ逢ふ人みなうつくしき


・ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里

    水の清瀧夜の明けやすき


・うすものの二尺のたもとすべりおちて

    蛍ながるる風の青き


・小傘とりて朝の水くむ我とこそ

    穂麦あをあを小雨ふる里


・夕ぐれを花にかくるる小狐の

   にこ毛にひびく北嵯峨の鐘


・湯あがりを御風めすなのわが上衣

   えんじむらさき人うつくしき


この辺は、まさにみずみずしさ、視覚、聴覚、マッチング感とも言えばいいのか、雰囲気、風情といったものを素晴らしい感性と言語感覚で立体的に短歌に成している、と思う。


いや正直技巧は分からないが、こうしてシロートが見ても、どう見ても活き活きして素晴らしいと感じる。「風の青き」のクールさ、「穂麦あをあを」のリズムとストレートさにどこかかわいい感じ、夕ぐれ、花、隠れた小狐の柔らかい毛と鐘の音の組合わせ。また一つの特徴の後半の畳み掛け。


青年たちがハマったというが、そりゃそうだという気がする。批判もあったと思う。でもその人たち、私と同じように完敗だと断言してもいいのでは?


通常の風景を詠むだけでも卓越しているのに、恋を率直に、より女性らしく描いたのは革命的。「天の夕顔」の書評でも触れたが、中島みゆき氏は一度の失恋で50曲は書けるとか。女性が恋した時、恋を失った時本当に様々な事を想うんだな、とは私もちょっと触れたことがあるが、巧みに言葉を紡いでいる。


やがて鉄幹の著作は売れなくなり、売れるのは晶子の本ばかり。晶子は12人の子どもを産み、古典の現代語訳に着手する。与謝野晶子訳の「源氏物語」がいま猛烈に読みたくなっている。


後年夫を亡くした山川登美子は歌壇に復帰、結核で世を去るが、鉄幹はその登美子にも気持ちを割いたようである。「月に吠えらんねえ」のアッコさんのことが、少し分かった。すごい人だったんだなあ。それにしても、最近苦手なはずの恋愛関連が多いな。


キム・ニューマン「モリアーティ秘録」上下


愛溢れ過ぎててハチャメチャで味がある。わけ分かんないが楽しそう、な作品。


「ドラキュラ紀元」はついにここまで読む機会を得ないが、話題のキム・ニューマンのシャーロッキアンものなら読まないわけにはでしょう。この12月発売のもの。


ホームズのもののもじりが基本であるが、おおむね同時代の小説をもう一つネタにしているらしい。例えば下記第二章は「ボヘミアの醜聞」と「ゼンダ城の虜」が元ネタだとか。


上巻

第一章 血色の記録

第ニ章 ベルグレーヴィアの騒乱

第三章 赤い惑星連盟

第四章 ダーバヴィル家の犬


下巻

第五章 六つの呪い

第六章 ギリシャ蛟竜

第六章 最後の冒険の事件


「モリアーティ秘録」の語り手は正典にいわく「ロンドンで二番目に危険な男」、モリアーティの有力な部下で「空き家の冒険」に登場する空気銃の使い手、セバスチャン・モラン大佐である。果たして、やはり偉大な頭脳の持ち主の記録はワトスン的ボズウェルかいないと、というとこだろうか。


モランは軍隊時代、虎狩りの名人として著書を出した。カード賭博でイカサマをして人も殺すイカれた男。この作品ではモリアーティとその一味が住んでいるのは娼館であり、上品なワトスンのホームズ譚に対してやっぱり下品である。


さて、「血色の記録」には正典「緋色の研究」で殺されてしまうアメリカの悪役、ドレッパーらがモリアーティへの依頼人として出てくる。「ベルグレーヴィア」にはアイリーン・アドラー。出だしの文章に笑う。対比のさせ方がマンガ的。上下を通じて出演するアイリーンのキャラ付けはやはりというか、かなり不二子ちゃん的である。


「赤い惑星連盟」まあその、この辺にハチャメチャっぷりが炸裂している。もうマンガ。あまり正典「赤毛連盟」の話の流れとは関係ない。学問の弟子にバカにされ意地になって復讐するモリアーティ。


「ダーバヴィル家の犬」

訳者があとがきで書いている通り、この本には同時代の小説や映画、舞台のキャラが散発的に、しかも多めに出てくる。モランの独白の文章も、洋書によくあるというか、例えにたとえを重ねているので、へ?という感じになったり、いきなり過去の話が長ながと出てきたりして、非常に読みにくく、時間がかかった。


しかし、この章を読み終えた時、うまい、と唸った。正典「バスカヴィル家の犬」を活かしきり、さらに結末もシブくて論理的で冷酷。やはり大きな魔犬にかかわる、もはやホラーに近い?作り。


下巻は、3つの章の登場人物が繋がっている。「六つの呪い」はいわくつきの宝石をモランが集めさせられる話だが、悪党たちがたくさん出てくる。「ギリシャ蛟竜」はもちろん「ギリシャ語通訳」のもじりでやはり列車もの。正典にも出ているモリアーティ三兄弟が勢ぞろいする。国際スパイの話で、先に出た悪党たちの一部がまた出演する。


「最後の冒険の事件」がある意味最もシャーロッキアン的か。ホームズ(とその裏にいる人物?)のためモリアーティやモランの犯罪組織は壊滅的な打撃を被る。これは正典では多くが語られていない部分なのでなかなか興味深かった。正典「最後の事件」でホームズとワトスンが逗留したスイス・マイリンゲンの「英国旅館」に、また悪党たちが集結する。そしてホームズとモリアーティの決闘の地、滝に赴いたモランは2人の格闘を岩場で見る。そしてモリアーティの合図でー。


こうしてみるとただ面白そうだが、先述の通り、私には読みにくかった。もうホントに、正典からでもそんなマニアックな名前持ってきてもさすがに知らんがな、だったし、ましてホームズ物語以外からそうされてもなあと。文章は・・まあ興味あれば読んでみてくださいな。


登場人物をたぶんわざと多く出し、カオスの状況を作ってハチャメチャの中ある方向になんとか落とし、ちょっと離れてみれば上手いなと思ったりする。ニューマン氏ってそんな人かいな。


最高の頭脳を持つ教授も、下品なモランも、大騒ぎの冒険をするので、しまいに可愛く見えてくる。


「ギリシャ語通訳」のヒロイン、ソフィー・クラティディスが美貌のナイフ使いとしてモリアーティ一味に加わり活躍する。キム・ニューマン氏も巻末の「覚書および謝辞」で彼女の活躍をもっと読みたい?私もだ、と書いている。


そこは大賛成だった。愛溢れ過ぎる作品だった。


2018年12月書評の3

施設が開く5日には、大阪・堺のミュシャ館と与謝野晶子記念館に行ってきた。アール・ヌーヴォーの旗手ミュシャの独特のスタイルに浸る。与謝野晶子の和歌は昨年読んで素晴らしかった。また当時の本は装丁が本当にきれい。本もアニメとか写真とかいらんから、デザイン重視にしてくれんかな。

いぬじゅん「奈良まちはじまり朝ごはん」

奈良が舞台のラノベ。なんかねえ、いかにもなんだけど、泣かされてしまった。

南山詩織は大手企業に就職し、奈良で新生活を始めるはずだったが入社日に会社が倒産してしまった。呆然とならまちを歩き、ベンチに座っているところをちいさな店の店主に声をかけられ、朝ごはんを食べることに。出てきた料理はオムレツそっくりの「西洋卵焼き」だったー。

詩織はやがて店の正社員として働くことになり、店を訪れる人の問題を体当たりで解決していく。いつも料理がからみ、いつしかなじみの出演者が増えてー、という流れ。

ご当地ラノベはけっこう好きで、「京都寺町三条のホームズ」と兵庫・芦屋が舞台の「最後の晩ごはん」を読んでて、博多と太宰府のものも読んだ。最近奈良がお気に入りなのでないかな~と思っていたら見つけた。

最初はラノベらしく?ありがち&かなり強引な展開だなと思った。最初から恥ずかし系のポリシーを口にする頑固な職人店主、いまどき不自然なほど世間体を気にする母親、あっさり偶然立ち寄った店に就職してしまう展開などなど。

しかし、プロローグの次の「想い出おにぎり」は親子関係がテーマで思わずホロっと。トシのせいか涙もろい。私も子供にはよくおにぎりを作ったからかも知れない。

こないだ行ってきた興福寺近くの猿沢池が何度も出てくるし、少しずつ奈良のことを織り込み、直情な詩織とクセのあるキャラ揃いの登場にいつのまにか巻き込まれ、続きを読みたくなっていた。

夏の夜、磨りガラス風のコップの中でろうそくを灯し公園や道が光でいっぱいになる燈火会を見てみたくなった。ならまちはそのうちゆっくり回りたく、ご飯も食べたく、近いからなかなかしないけど、泊まりで行ってみたいもんである。

永井路子「美貌の女帝」

すごいものに触れちゃったかも知れない。

蘇我氏、というと大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足に注された蘇我入鹿、蝦夷の親子イコール悪役、というイメージが強い。

しかしこの物語は歴代天皇の妻となることで権勢を維持してきた蘇我氏の女たちと藤原氏の暗闘を描いた作品である。

主人公はひめみこ氷高、後の元正天皇。氷高を中心に祖母に当たる天武天皇の妻、持統天皇、その娘で氷高の母元明天皇といった蘇我氏系の女帝たちの闘いを描くもの。飛鳥・奈良に惹かれている身としてスパンとハマった。


すみれ色の瞳を持つと噂される氷高皇女は、天武天皇の皇子・草壁と天智天皇の皇女・阿閉(後の元明天皇)の間に生まれた。母を産んだのは蘇我倉山田石川麻呂の娘であり、氷高は「蘇我の女」であった。草壁は即位することなく若くして病死。持統天皇は氷高の弟、軽皇子を文武天皇として即位させるが、この文武天皇に、鎌足の子・田辺史(後の藤原不比等)は自分の娘でたぐいまれな容姿をもつ宮子を近づける。

大化の改新で天智天皇は蘇我氏を排した。しかし壬申の乱で天智サイドは後の天武天皇に敗れた。蘇我氏は天皇の外戚となって生き残り、やがて地に伏していた藤原氏が勢力を伸張する。

まずは設定が新鮮だった。先に書いたように蘇我氏はしぶとく影響力を残すが蘇我性の男子がその後重く任ぜられたわけではない。一方壬申の乱以降地に伏していた藤原氏は傑物不比等の権謀術策で急激に勢力を増す、物語の悪役。

不比等はその能力で頭角を現し、軽皇子の乳人三千代を妻に取り込む一方で文武帝を娘の虜にする。うーむアプローチがやらしくてゾクゾクする(笑)。

持統天皇の後文武を挟み、元明天皇、そして独身では初めて即位した氷高・元正天皇。大宝律令、平城京遷都、さまざまな社寺や人事の政策の裏には元明天皇、元正天皇と不比等をはじめとする藤原一族との争いがあった。当然不比等は自分の娘宮子と文武天皇との間の子である首皇子を帝位につけたかったが、持統帝は娘の元明を、元明はまた娘の元正を指名し、いったんストップをかけた。

そもそも女性天皇は「中継ぎ」とみられることも多いらしく、私も知識としてそのようなイメージがある。しかし永井路子氏は疑問を持ち、史料にあたりながら、また新局面を描いてみせる。

ストーリーはまさに波のように上下動する。元明天皇には長屋王という頼れる臣がいて八面六臂の活躍をする。しかし長屋王は陰謀により葬られる。元正天皇はまさに孤立無援に陥るが、不比等の4人の息子たちは揃って没し、聖武天皇は半ば正気を失いレイムダック化、光明皇后は追い詰められ、その隙を塗って三千代と先夫の子橘諸兄が権力を握るなどダイナミックに様相が変わる。

飛鳥・奈良時代の歴史そのものがドラマではあるが、紫色の瞳、長屋王との淡い恋、長屋王のダブルスパイっぷり、などに味付けの演出が見られる。大きなポイントとなる転換点、もはや蘇我氏系の勢力はなく、藤原氏系の聖武天皇へ譲位を決断する時の理由づけは感情的なものがあった。個人的には「美貌の女帝」というタイトルで最初にすみれ色の瞳、と前フリのようなものがあったから、もう少し色恋沙汰があるかと思ったが、そこは外された。

また、蘇我氏と藤原氏の暗闘、女帝の位置付けもそうなのだが、私は聖武天皇はもちろん、光明皇后にこそ光り輝くイメージを描いていたので、かなり新鮮だった。

今年光明皇后御願の国分尼寺、法華寺に行って、皇后がモデルとも言われる十一面観音像は木肌がピンクに見え、艶っぽく理知的だった。またその筆も賞賛されているので上昇カーブを描く藤原氏の栄華の軌道に乗っているかと思っていた。聖武天皇も大仏開眼で覚えていたから、今回の描き方にはちょっと驚いた。

先にエッセイ風の人物紹介本、「よみがえる万葉人」を読んでいたから、よく分かった。
またここ数年で飛鳥寺、天武天皇・持統天皇陵、甘樫丘から見た奈良盆地と大和三山、薬師寺などを訪れ、位置関係と風景までも想像できた。

史実、綿密な取材と新しい史観、抑え気味のドラマなどが複合的な効果を生んでいると思う。1980年代の作品だが、もっと評価されてもいいのではと思える傑作だった。

中野京子「美貌のひと」

たまたま手元にあり、前に読んだ作品と「美貌」つながりで^_^

肖像画26点を取り挙げ、モデルとなった人物や画家の足跡を辿る。誰もが知っているポピュラーな作品はほとんどないと言っていいかも。ただそれだけに見聞が広がり、感覚が刺激されて楽しい。ただきれいな人がにこやかに笑っている絵ばかりではなく変化球もたくさんあるし。

ラファエロの「小椅子の聖母」はイエスを抱いてこちらを見るマリアがチャーミングで全体に色彩的。

クリヴェッリ「マグダラのマリア」はクールでマンガっぽくもある。

ファーブルという人の「スザンナと長老」は旧約聖書外典ダニエル書の、実によく取り上げられる題材でスザンナのヌードが定番。というか裸が大っぴらに描けるから選ばれている話という感じでもあるが(笑)。

女流画家マリー・ローランサンが同い年のココ・シャネルを描いた絵。この本に取り挙げられているモデルやアーティストたちはけっこう壮絶な人生を送っていたりするのだが、シャネルの一代記もなかなかだ。親に捨てられお針子からキャバレーの歌手(ココというあだ名はこのころ付いた)、さらに金持ちの愛人となって上流階級の知識を吸収する。援助で帽子の店を作って当たり、一気にファァション界のトップへ。ピカソのごとく次々と愛人を作った。時あたかもこの絵が描かれたのはシャネルの5番発表直後という絶頂期。しかし注文主のシャネルは似ていない、と送り返したそうだ。

そしてー、ミュシャの「サラ・ベルナール」。折しも大阪・堺市立の「ミュシャ館」で開催しているベルナール展を観に行こうと考えていた矢先のことでタイミングよく、ありがたかった。19世紀最高の女優と言われたサラ。異国風の華麗な衣装に身を包んだ全身像の絵は笑顔を浮かべ遠くを見ている。

サラ主演の舞台のポスターを大急ぎで作ろうとしたところ、クリスマス休暇でデザイナーがおらず他に誰もいなかったためまだ画家の卵とさえ言えなかったミュシャにやむなく描かせてみたところ大評判となりミュシャはサラのポスターの専属画家となった、という逸話が面白い。

ピカソの「夢」は安定の美しさ。それからもレンピッカの自画像も角ばったカッコよさが興味深い。

タイトルの通り基本的に「美しい容貌のモデル」の絵が紹介されているのだが、美しい男性も入っている。詩人バイロン、ファン・ダイクの自画像、リストなど。ふむふむ。

クールだったり、冷たく見下ろしていたり、美しさ、というのはさまざま。また実物を見ると印象はだいぶ違うんだろうな。早くミュシャのベルナールに逢いたいものだ。

初野晴「空想オルガン」

意味って難しいな・・。

吹奏楽部の高校2年、イケメンのホルン奏者ハルタと高校からフルートを始めた千夏が躍動するハルチカシリーズ第3弾。高2の夏、入学した時には廃部寸前だった吹奏楽部は小編成だが人数も揃い、地区大会に挑む。

この巻は大会が進むごとに犬、家、他校のギャル(古い・笑)風女子高生の吹奏楽部といったものを題材に何かしらの事件っぽいものが起こり、主にハルタが解決していく。タネはなかなか凝っている。ハルタが一人暮らしする候補の幽霊家のトリックはなかなか面白かった。

初巻から読んでいるからだいぶ仲間が増えたなと思うし、次の巻はまた実力者が加わるようで楽しみ。

大会は進む。本番前まではあるが、本番演奏の描写は一つもない。会場で縁深くなった高校の演奏の場面もなかった。そりゃ意図的な構成だけど、あって欲しかった。いいメリハリにもなるのに。

この巻、ラストの話はオレオレ詐欺が絡んでくる。エピローグ的な、ある登場人物のネタばらしは、申し訳ないがそれ、必要か?と思った。この巻中に特有の人になっているが、理屈もなんかもひとつだし。意味を考えだすと難しいが、考える価値はある。

ご当地でもなし、薄い感じの話のような気もする。いわばそれなり独特。でもついつい買ってしまう。次も読むんだろう。巻末の解説に曰く初野晴は「描きすぎない作家」だそうで、シーンについてあえてあまり深掘りせずサラっと書いているのが逆に印象的でもある。

2018年12月書評の3

2018年12月書評の2




初詣は3日に地元の神社へ。茅の輪をくぐってお参り、おみくじをひいた息子、期末テスト良かったのに、学問はがんばらないとすぐ落ちる、というように書いてあって凹んでました。親としてはいいぞ、神さまってとこだな。

あったかいベビーカステラ食べて、正月引きこもり用のお菓子買い足して帰った。

梶井基次郎「檸檬」


多分に内向的だが、やはり鮮やかで面白い。


「京都文学散歩」という本で最初に採り挙げられていたから再読してみた。ごく短い短編である。


私は友人宅を転々として、京都の街から街を浮浪し続けている。それは病気のためではなく、借金のせいでもない。えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓(おさ)えつけていたからである。


見すぼらしくて美しいもの、裏通りの向日葵やカンナに惹かれたり、遠い土地にいる白昼夢に遊んだり、花火やびいどろなど気に入ったものを思い浮かべたりしながら放浪する。


二条の方へ寺町通りを下ったところにあるお気に入りの果物屋に、その店には珍しい檸檬を見かけ、1つ買う。すると気分が高揚する。レモンイエロウの絵具をチユーブから搾

り出して固めたやうな単純な色も、丈の詰つた紡錘形の恰好も好きである。その冷たい感触を楽しみ、鼻を撲(う)つ匂いを嗅ぐ。私はもう軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持ちさえ感じながら往来を歩く。


以前はよく行ったが最近は重くるしい場所になっていた丸善に、今日は一つ入ってみてやろうとづかづか入っていく。


ところが入ると幸福な感情は逃げて行き、憂鬱になる。


しばし当惑ののち、私は袂の中の檸檬を思い出す。そして、たくさんの色彩ある本を積み上げ、奇怪な幻想的な城を築く。そしてその頂に檸檬を置いて店を出るー。


爆弾を仕掛けた奇怪な悪漢のような面白い気分で。。


さだまさしに「檸檬」という歌があるが、御茶ノ水の聖橋から、女が盗んできた齧りかけの檸檬を放る、快速電車の赤い色がその檸檬とすれ違う、という色彩的、映像的、また厭世的な歌詞でアンニュイな雰囲気を漂わせている。好きな歌。だから高校生くらいの時に有名なこの小説も読んでみたが、当時はアカデミックな素地などなかったからなんじゃこりゃ、で終わったと思う。


改めて、若いころ独特のどこか行き詰まったような重圧のようなものをベースに起き、日常の身の回りの出来事で彩りを添えながら、いたずら心と視覚、触覚、嗅覚に訴える鮮やかなものを使って見事にある突破を表現したものかと思う。本の城、という発想もグッドで、面白く、爽快感が駆け抜ける。


最初の苛々したような鬱屈した気分を、焦りや不安というよりは、鋭い感受性ゆえに強いられた胸苦しさ、と取る批評もあるようだ。


この檸檬を買った青果店は現在も同じところにある、と「京都文学散歩」(2006年発行)で読み、行ってレモンを買う気マンマンでいたのだが、なんと2009年をもって閉店したという・・ショック。その店でレモンを買って、丸善の本の上に置いて行く人が後を絶たなかったとか。


劇中三条にあった丸善は閉店したが、2015年に賑やかな河原町に再オープンした丸善にはレモン入りのかごが置かれ、「レモン置き場」が期間限定で設置されたという。今どうなってるんだろう。これは行かねば!我ながらノリやすい・・笑


色彩的といえば芥川龍之介の短編「蜜柑」も秀逸。檸檬と蜜柑、内容も似ている。面白いものだ。


カズオ・イシグロ「夜想曲集」


これがカズオ・イシグロの短編集なんだな、という感触。へんてこな(笑)話もあるが、イシグロ風の余韻を楽しめる。


醜男の売れないサックス奏者スティーブは妻のヘレンから別れを告げられる。ヘレンの再婚相手の金持ちから、後ろめたさの埋め合わせに、整形手術の費用を持つという申し出があり、スティーブは入院する。マネージャーがこれで売れるようになると張り切る中、スティーブは往年の大歌手の妻で隣に入院しているリンディと知合い、豪勢な入院ホテルの、夜の冒険へと出かけるはめになるー。

(夜想曲集)


音楽をテーマにした短編集。ジャズの名プレイヤーの名前が多く出てきて楽しめた。もちろんストーリーはそれぞれコミカルで響くものがあり、長編と形は違えど、イシグロの色を堪能できる。


最初の「老歌手」の舞台はベネチア。旧共産圏出身のギター弾きが、共に旅行に来ている妻の部屋の下でゴンドラから歌を歌いたいと往年の名歌手に伴奏を頼まれる話。夜のベネチア、ゴンドラ、セレナーデとムードは抜群。しかし・・その間に横たわる設定と筆致の妙を楽しめる。


セレナーデは日本語で「小夜曲」。「夜想曲」はショパンが有名なノクターン。微妙な違いも妙というものか。


次の「降っても晴れても」はコメディ。うだつの上がらない40代後半、ジャズ好きの独身英語教師レイが、親友夫妻のロンドンの家に招かれる。いつもは居心地のいい訪問なのに、今回は夫婦仲が危機に陥っていて、夫のチャーリーは自分の出張中、チャーリーの妻でかつてレイが良く一緒にレコードを聴いたエミリと過ごしていて欲しいと頼み込む。


躁に鬱に変わりパニックになっているチャーリー、ヒステリックな面と優しい面が交互に出てくるエミリ。レイが間で悪戦苦闘するドタバタ劇。笑える展開だ。その中にゴーゴリの「外套」や芥川龍之介の「芋粥」に通じる負け組の哀しさ、笑えないこっけいさが滲んでいる。


「モールバンヒルズ」場所はイギリスの片田舎。これまた芽が出ないシンガーソングライターが、夏の間姉夫婦が経営するカフェで働きながら曲を作る。そこへ夫婦デュオという老夫婦がやって来て彼の曲を耳にするー。


美しさを想像する風景、よくある田舎のしがらみ、義兄との確執、そして老夫婦にも感情的な色が見え、とちょっとずつの要素、物語のヒビが心に軽く浸透してくるかのような作りだった。


「夜想曲」ここで出てくるリンディの夫とはまさに「老歌手」の事でリンディは唯一のダブル出演。ちょっとお馬鹿なセレブ妻が大胆ないたずらをし、スティーブは振り回される。コントか、という展開。設定も強引。でもテレビとか映画向きで、シニカルである。夜のホテルの冒険は、誰もがワクワクするような雰囲気を放つし、どこか「トムとジェリー」っぽい、とも思った。


ラストの「チェリスト」は・・ファンタジックと言えるだろう。舞台はアドリア海に面したイタリアの小都市。立派な音楽教育を受けた売れないチェリストでハンガリー人のティボールはカフェでアメリカの裕福な女性エロイーズと知り合う。そして彼女が泊まるスウィートルームでのレッスンに衝撃を感じ毎日通うようになる。しかしー。


へんてこな、と書いたが、まあ思い切った設定で、縦横に展開されている、というところだろうか。短編ならそんな作品は溢れているし。


「降っても晴れても」以外はミュージシャンがメインの出演者。舞台もあちこちに飛び、ジャズのプレイヤー、名曲も散りばめられ芳醇な香りがある。ジャズ好きの心をくすぐりますねー。


そして今回いずれの話にも夫婦の溝、という共通のテーマがある。成り行きの全ては語られず、会話も行間ににじませたものが多くイシグロ氏らしい、と思える。


さまざまな粒がぎゅっと集まってイシグロ氏らしい塊りを作り、読者の想像に委ねる余韻を残す。カズオ・イシグロは「日の名残り」「わたしを離さないで」「遠い山なみの光」「浮世の画家」「忘れられた巨人」と読んだ。独特の読み応えが好ましい。「充たされざる者」「わたしたちが孤児だったころ」もいずれ読もう。



三上延「ビブリア古書堂の事件手帖7

                ~栞子さんと果てない舞台~」


再読。私はこの巻がきっかけでシェイクスピアを読み始めた。悲劇も喜劇も有名なものはあらかた読んだいま、年末にきっかけを読み返す。


今回はストーリーよりはシェイクスピアに重きを置いて読んだ。メインストリームの「ヴェニスの商人」は書いてることがよく分かったし、「オセロー」もやっぱりイアーゴーって悪いやつだったよなあとか思い返す。再読して良かった。


「ああ、歓び以外の思いは、すべて空に消えてゆく。数々の疑惑も、先走った絶望も、ぞっとするような不安も、緑色の目をした嫉妬も。」(ヴェニスの商人)


「きれいなきたない、きたないはきれい」

(マクベス)


「愚か者ほど自分を賢いと思い込む。そして賢者は、自分を愚か者だと思う」

(お気に召すまま)


各セリフ抜粋もやっぱりシェイクスピアは小粋。ホームズも「空き家の冒険」で


「旅路の果ては、恋人たちのめぐり逢い」

(十二夜)


を引用している。


まだ「アテネのタイモン」「ヘンリー六世」が未読なのは知ってたけど、「シンベリン」や「トロイラスとクレシダ」なども出てきて、図書館で全集探そうかな、なんて思ったのでした。シェイクスピアはやはりいい。


以下、過去書評。


ついに完結。やっと出た最終巻はシェイクスピア。白眉の大団円と言っていいだろう。パチパチ。面白かった。


ビブリア古書堂の若き店主、篠川栞子は、恋人にして店員の五浦大輔が大けがをした事件に絡み、太宰治の初版本を入手すべく業者に連絡を取ったが、現れたのは悪徳にして古書に執着を抱いていた久我山尚大の弟子、吉原だった。吉原は法外な金額を提示し呑ませた後、礼だと言って古いシェイクスピアの訳本を差し出す。


長きに渡って続いて来た超ヒット作、本好きの友のようなシリーズも本編はこれで完結。それにしても「次の巻で完結」と予告してから長かったな。


今回は・・ケタ違いの超高額な稀覯本が焦点だ。このシリーズは中だるみしたかな、と感じた際にも、先に手を打つように、江戸川乱歩や手塚治虫といった、興味を引く題材を持って来ていたが、最後も大いに気になるテーマ。それにしても、最後にして、絵画ミステリーみたい(笑)。


シャーロック・ホームズもシェイクスピアを多用していたし、今回また興味が刺激され、読みたくなった。


最終巻は、なにせ終わりをつけなければならないのて、一般的にどこか強引なもので、今回もそれが見え隠れする。また人物造形も動機も、ちょっと大げさな部分もあるが、シリーズ全体を完結するミステリーとして鮮やかだったと思うし、少々ホームズ的でもあったかな。


まあ、好きに書かせてもらえば、ネタはブルーピカソとか8枚目のひまわりで、謎は「フランシス・カーファックス姫の失踪」(シャーロック・ホームズ最後の挨拶)だな。


アニメ化・実写映画化されるそうだし、今後はスピンオフ小説も考えているそうなので、何かと楽しみだ。


永井路子「よみがえる万葉人」


万葉集の歌を詠んだ「人」にスポットを当て紹介した作品。当時の政権の黒さ。


永井路子氏の奈良ものはおそらく始めて読んだが、深く研究されていてさらにポイントはデフォルメして現代風に書かれている。


額田王、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足という時代の主役たちはもちろん、有間皇子、大津皇子、長屋王、道祖王(ふなどのおおきみ)など悲運の皇族たち、奮闘する持統天皇、孝謙天皇、元正天皇ら女帝たち。天智天皇系、天武天皇系、蘇我氏、藤原氏のえぐい政治的暗闘が描かれている。んー黒いぞ奈良時代。


印象に残ったのは大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌。謀反の疑いをかけられ自殺に追い込まれた大津皇子の姉。大津皇子は伊勢の斎宮をしていた姉の元を事件の直前に訪れている。


我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて

暁露に我が立ち濡れし


夜の闇の中を大和へ戻っていった弟。弟の前途は暗く、我が身も同じ。見送った姉は身じろぎもせず、夜露に濡れて立ちつくすー。


後の方に政権中央にはいなかった歌人の紹介もある。柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良らである。私は大伴旅人、沙弥満誓、小野老(おののおゆ)、憶良らが大宰府で集っていたという「筑紫歌壇」の話が好きである。


しらぬひ筑紫の綿は身に着けて

いまだは着ねど暖けく見ゆ

                                       沙弥満誓


しらぬひ、は筑紫の枕詞だったのね。初めて知った。わが筑紫。


鴻臚館をめぐる一連の話も面白かった。鴻臚館というのは唐や新羅の外交使節が滞在したところで、いまの福岡市中央区付近にあった。


港のそばにあったのではという説が強かったところへ、大正初期、中山平次郎という九大名誉教授が「福岡城内にあった」と主張した。この人、医学部にもかかわらず当時福岡連隊が置かれていた福岡城へ入り込みスコップで地面を掘っていたところを憲兵に見つかり留置されたというどこかおかしみを感じる情熱の人。


中山らの反対の声も届かず、当時の世の無関心から、遺跡の上に平和台野球場が建設されてしまった。やがて1987年になってスタンド工事がきっかけで鴻臚館遺跡が確認され、やがて球場取り壊し~遺跡発掘となる。


あの情緒ある平和台野球場周辺に幼い頃からなじみのある人間としては感じるものがあった。いま現地は、展示館が、球場後の土地の一角に建てられている。


文中なぜか福岡城が西公園になっていた。やっぱ舞鶴公園じゃないのかな。。


さて今回、有名な歌も紹介してあるが、背景の方に意識がいってあまり浸れなかった。


私もここ数年奈良によく出かけていて、奈良の都や当時の政治に関しても少しずつ読んではいるが、まだまだ人の名前から時代の流れなどは体系的に理解は出来てない。漢字も難しいし。


いつも感じるのは、平安時代の明るさに比べ奈良は時代が「黒い」イメージだ。でも外国の侵略が現実的で国内的にも国際的にも緊張していた時期、また仏教が当時最先端の教えとして急速に広まるなど国の基盤が出来上がっていった時期のエピソードには強く心惹かれるものがある。故郷に近い太宰府の状況なども興味深い。


今年はいくつか古典を読んで、自分は万葉調が好きなんだな、というのも発見だったし。


これからも少しずつ読んでいこうと思っている。


最後に道祖王の歌を。


新しき年の初めに思ふどち

い群れて居れば嬉しくもあるか


新年の挨拶にいいそうだ。覚えとこう。


2018年12月書評の1




大晦日は年越しそばを食べて、「無人島0円生活」を観て、新年の瞬間は例年通りルーフテラスでUSJの花火を息子と見ながら迎えました。

正月休み、今年は長かったんでゆっくり。「格付けチェック」「スポーツ王」を観てました。

髙田郁「花だより みをつくし料理帖特別巻」


ごぶさたしていた懐かしい顔ぶれがまた動き出すー。


10巻完読した人気シリーズ「みをつくし料理帖」。久しぶりすぎて常連キャラを忘れかけていたがすぐ感覚が戻った。


女料理人・澪が吉原にいた元花魁、幼なじみの野江とともに故郷の大阪へ去ってからはや4年。江戸の一膳飯屋「つる屋」は好調だったが、店主の種市は化け物稲荷で助けた自称占い師に「来年の桜を見ることはできない」と告げられ悶々と悩む。澪に会いたい気持ちが募る中、なじみ客の戯作者・清右衛門の一喝で大阪へと旅立つことにー。(花だよりー愛し浅蜊佃煮)


やっぱりいいな、とこの雰囲気、この登場人物たち。上記が第1話、第2話は小野寺数馬=小松原の妻・乙緒(いつを)を主人公に小松原のその後と取り巻く人々の「涼風ありーその名は岡大夫」、舞台を大阪に移し又次との出会いを絡めて野江の現在を描き出す「秋燕ー明日の唐汁」、そしていよいよ澪と源斉夫婦の話、大阪の街をころりが襲う「月の船を漕ぐー病知らず」が最終話で展開される。


春夏秋冬の物語となっており、それぞれに、主人公にゆかりが深く、なおかつ読んでてすごく食べたくなる料理が紹介される。いやーかないませんね。


最も印象に残ったのは第2話。心の内を見せないようしつけられて育った、ちょっと変わり者のニューキャラ乙緒が面白い。最初の方はテンポが良く、乙緒の心の声にクスッとなる。小松原の妹早帆のにぎやかしぶりも楽しい。物語が進むにつれて乙緒は夫に対する自分の気持ちに気付いていく。途中からテンポがダウンしちょっと冗長さも感じたが、まあだからオチの爽やかさが引き立つのかな。


第3話は、シリーズ中なかなか人柄が見えにくかった野江のストーリー。かつて又次に運命を説かれた野江がまた、運命の分かれ道に立つ。野江と読み手が邂逅を果たす、といった感じでとても興味深い。


第4話は、悩む澪。なかなか突き詰めて考えさせる篇。食の細い源斉に張り切った料理を作るところなど、空回りが変に目立つ気はするが、上手に気持ちよく締まる。


このシリーズには、最初の方に「とろとろ茶碗蒸し」や「こぼれ梅」といった、女性がおやつ代わりにもして食べるような料理に感心した覚えがある。豊富な知識と取材をもとに食材や調理を丁寧に見せ、季節時節も考えてさらに人情をスパイスにしているまごうかたなき佳作だと思う。まあ悲しみの部分、描写がちょっと過剰だなと思わないことはなかったけれど、バランスの良さもあるのだろう。楽しく没頭して読めた。


やっぱ日本人、季節に合わせた舌に深く染み入る庶民的献立が大好き。今回出て来た「岡大夫」は甘味だがぜひ食べてみたいし、他もちょっとよだれが出そう。


これにて本当の完結のようだ。


私は会社に本読みネットワークを持っている。いやそんな大げさなもんでもないけども、この本を、はいどうぞー良かったですよ、と後輩が貸してくれた。早めに読まなきゃな、と思っていたタイミングだった。持つべきものは本読み友達、である。


川端康成「虹いくたび」


京都に行くときに、京都が舞台の本を読む。


戦後数年、建築家・水原の娘はそれぞれ母が違った。年長の百子を未婚のまま産んだ母親は自殺し、麻子の母、結婚した水原の妻も亡くなった。麻子は、京都で母親と暮らしている妹・若子を探しに東京から京都へ行った帰りの汽車で赤ちゃん連れの男・大谷と出逢う。


百子は結ばれた晩に百子を傷つける言葉を吐いた啓太を戦争で亡くし、今は美少年を取っ替えひっかえ遊んでいる。麻子は純粋で、その純度が同居している百子を苛立たせる。父の水原は若子の母、菊枝に会いに京都へ行く。啓太の父・青木と弟の夏二が姉妹に関わろうとしてくるー。


設定がやや複雑で少しずつ見えてくるような感じである。事件といえば百子にまつわることばかりで、百子中心のストーリーだ。どこかアンニュイで心の傷に耐えている女性。川端作品にはよくあるが、時節と戦争、世代というものを少しずつ混ぜている。


ベースの雰囲気は静かで、それが泡立つ百子の心を引き立たせる。


この作品は、京都の、共に暮らしていない姉妹という点で「古都」につながる。空気感も似ている。また出自や運命による傷を深く思うところが、こないだ読んだ「千羽鶴」にも少し似ている。水原と麻子が一緒に風呂に入るシーンがあるが、なんとなく長男の嫁と義父が中心の作品「山の音」を思わせるし、解説によれば「雪国」にも似ているそうだ。


とはいえ、京都の若子で展開があるのか、大谷と関わりが深くなるのか、というと肩透かしだし、啓太の親族もどうも不自然な絡み方である。啓太はまたどこか性癖の過剰さも感じさせる。意地悪く言えば、なにかを感じさせる作品ではあるものの、風呂敷広げすぎてしまった感がないでもない。ただ、解説に書いてあるようにどこか不自然な、おかしなところがあるのも川端の小説、かなと共感した。それがまた独特の繊細さを醸し出す、というと言い過ぎだろうか。


京都では大徳寺や南座、円山、嵐山もなど出てくるが印象的なのは桂離宮。宮内庁の管轄なので現在も事前申し込みしないと参観できない。物語でも許可証を申請してある。ただ、建築家・水原の娘ということで夏二と麻子が歩くのに、守衛の案内は免除となる。2人はゆっくりと桂離宮を巡りながら、話をする。戦死した夏二の兄のこと、百子のこと、死生観。ひとつのクライマックスだろう。


先週末、京都に行く用があったときに電車で読んだ本。桂離宮って意識になかったけど1回行ってみるのもいいかも、と思った。


菅野仁「友だち幻想」


10年前に出た本でいま注目されてるらしい。


友だち、家族、学校などの人間関係を優しく読み解く本で、児童向けというのも意識されているだろう。


ムラ社会だったころと現代の違いから始まって、他者との関係性をひもとき、なぜ友だちのことで悩むのか、をゆっくりと分析して説明する。さらには学校教育、親子関係について必要のあることを説いていく。


印象的だったのは、ルサンチマンは誰の心にも生じることがある、ということ、またやはり成長するにつれ変わっていく子どもにどう向き合うか、だった。


この本に書いてあることは、たしかに学校では教えない。実は集団の場合、気の合わない人とも共存していかなくてはならないし、あまり友人に寄りかかり過ぎてもいけない。教師が言ったり教科書に書いたり、ということはあまりなく、マンガですらまだまだ理想主義的とも言える。


そのへん、現実に合わせた教え方をしましょうよ、と。おおざっぱに言うとそんなとこかな。


読んでいて何回か、ん、そうかな?そこまで考えんでも、と感じることも正直あった。例えば1年生になったら、という歌は百人友だちを作ることが望ましいのだと暗にプレッシャーを感じる人もいる、という論とか。いじめるといじめた人にはリスクが生まれる、とか。うーん、読みながら自分に問い直す時のポイントとしては面白いかも知れない。


学校での同調圧力が息苦しい、という点はあるんだろうなあとは思うけど、自分の場合同調圧力に対して鈍感力をフルに駆使していた方なのであまりプレッシャーを感じたことはなかったかな。


大人になるとそこまで友人関係で悩むことはなくなる、と思っているしやはり思春期のものだろう。悪くない意味で現実をクールに見るのもひとつ強くなることかも知れない。まあいい年の大人でもこうして意外に誰も教えてはくれないことを整理して考えるのはいい機会。


ただまあ整理していても、無理に関わって傷つくとか、つい頼ってしまうとか、感情的な動きをして独り傷ついたと感じてしまうのも人間ってもんかなと思っちゃうのでした。



「京都文学散歩」


先日京都を散歩した時に買った本。読んで、その場所を訪ねてみたくなる。


文豪ものから浅田次郎、林真理子に至るまで、京都が舞台の小説を採り挙げ、描かれたり背景となった街、自然、寺社などを紹介、ストーリー、登場人物と京都との結びつきを語っていく。


洛中から洛北、洛東、洛西、洛南に章を薄く分けているのがさすが地元の京都新聞出版センター(笑)。


さて、皆さんは誰のどの作品を思い浮かべますか?27の小説すべてを並べてみます。


「檸檬」梶井基次郎

「高瀬舟」森鴎外

「それでも私は行く」織田作之助

「放浪記」林芙美子

「序の舞」宮尾登美子

「京都まで」林真理子

「澪標」外村繁

「夜の河」沢野久雄


「古都」川端康成

「金閣寺」三島由紀夫

「帰郷」大仏次郎

「雁の寺」水上勉

「暗夜行路」志賀直哉

「化粧」渡辺淳一


「虞美人草」夏目漱石

「天の夕顔」中河与一

「卯の花くたし」田宮虎彦

「燃える秋」五木寛之

「細雪」谷崎潤一郎

「球形の荒野」松本清張

「晶子曼陀羅」佐藤春夫


「街道をゆく 嵯峨散歩」司馬遼太郎

「あだし野」立原正秋

「京の小袖」芝木好子

「活動寫眞の女」浅田次郎

「猟銃」井上靖


「浄瑠璃寺の春」堀辰雄


読んだことあるのは「檸檬」「高瀬舟」「古都」「金閣寺」・・のみ。そう私はまだ「暗夜行路」とか「虞美人草」は読んでない。


興味を惹かれたのは、まず「檸檬」。寺町通り界隈が描かれる。主人公は京都の三高に通っていた梶井そのものか。レモンを買ったのは寺町二条の果物屋。本を積みレモンを置いてきたのは三条通りの丸善。果物屋はまだあって、梶井基次郎の檸檬の店ということを前面に出している。今度買いに行こう。我ながらミーハーだけど(笑)。


次に目に留まったのは「序の舞」。代表作の美人画「序の舞」を残した明治から昭和の女流日本画家・上村松園をモデルにした一代記。四条に生まれ育ったその生涯を描いている。やっぱ京都に絵画ものが重なったら、今の気分では必読かな。


沢野久雄の作品も興味深い。朝日新聞大阪本社にいた沢野がジャーナリストらしく京都の職人をテーマに徹底的に取材して書き上げたもの。長編「夜の河」は中京にある染物屋の長女・紀和の物語。また「京の影」はやはり職人を扱った12の短編集だとのこと。指揮者の岩城宏之がクラシックコンサートの裏方さんの姿を描いたエッセイに「音の影」というものがあるが、この作品を意識していたのか。本棚を探してみよう。


ほか北山杉の「古都」、高校生か大学生の頃読んで忘れている「金閣寺」も改めて解説を眺めるとやはり魅力的。恋愛小説という中河与一「天の夕顔」、京都観光ブームの先導的役割を果たした大仏次郎「帰郷」、推理小説っぽい松本清張「球形の荒野」なども大いに読書心をそそる。


佐藤春夫「晶子曼陀羅」、立原正秋「あだし野」、ちょっと市街からは遠いが堀辰雄「浄瑠璃寺」らも作家の色と文学史をも踏まえているようで、読んでいて楽しい。


充実した京都紹介本でした。


私的読書大賞2018

年末に初雪が降りました。起きてみたらうっすら積もっててびっくり。さて、各賞。

複数挙げてあるものは★が賞の獲得作品です。。

【シェイクスピア賞】

ウィリアム・シェイクスピア
★「ジュリアス・シーザー」
「十二夜」
「ヴェニスの商人」
「リチャード三世」
「アントニーとクレオパトラ」

これで新潮文庫で出ている作品は「ヘンリー6世」以外全部読んだ。それぞれとても楽しかったが、「ジュリアス・シーザー」は白眉。発見だった。シーザーが暗殺された時、近臣のアントニーは一度は膝を屈するが、計算された弁舌で情勢を味方につけ勝利者となる。その彼もクレオパトラに狂い、破滅する、というとこまで読めて満足。

【シャーロッキアン大賞】

★キャロル・ネルソン・ダグラス
「おやすみなさい、ホームズさん」上下
北原尚彦
「シャーロック・ホームズ 秘宝の研究」
アーサー・コナン・ドイル 北原尚彦編
「シャーロック・ホームズの古典事件帖」
ブリタニー・カヴァッラーロ
「女子高生探偵 シャーロット・ホームズの帰還 <消えた八月>事件 」上下
北原尚彦「シャーロック・ホームズの蒐集」
真瀬もと
「ベイカー街少年探偵団ジャーナルⅡ
アーンズワース城の殺人」
「ベイカー街少年探偵団ジャーナルⅢ
死を招く薔薇の怪事件」
和泉弍式
「黒猫シャーロック~緋色の肉球~」
ジャン=ピエール・ノーグレット
「ハイド氏の奇妙な犯罪」
ジョン・L・ブリーン他
「シャーロック・ホームズ ベイカー街の幽霊」
ナンシー・スプリンガー
「エノーラ・ホームズの事件簿~ふたつの顔を持つ令嬢~」
キム・ニューマン「モリアーティ秘録」上下

シャーロッキアンものは月に1冊は入れようとしている。今年は12冊でうまく計算通りとなった。
その中でも「おやすみなさい、ホームズさん」はそのタイトルと少女マンガ風の表紙絵で敬遠していたけれど、読んでみたら「ボヘミアの醜聞」の裏側を巧みに描いていて、出色だった。

【古典大賞】

★「伊勢物語」
松尾芭蕉「おくのほそ道」
「万葉集」
「今昔物語集」
「良寛 旅と人生」
清少納言「枕草子」
紀貫之「土佐日記」

今年の嗜好として、古典にトライ。川端康成や東山魁夷、千住博の影響が大きい。どれも良かったけど、「伊勢物語」は名歌も多く、おしゃれで、タブー破りなど冒険的な面もある名作でした。

【美術賞】

朽木ゆり子
「ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅」

いろいろ読みました。原田マハも良かったけど、どれか一つと言われればこの作品。昨年末からゴッホの作品と映画を観た流れで読んでとても良かった「たゆたえども沈ます」早期文庫化を望む!

【特別賞】
羅貫中「三国志」上中下

いやー弱点だった三国志を克服。次は項羽と劉邦とか水滸伝、西遊記かな。

【隠れた名著賞】

ゴーゴリ「外套・鼻」

私も知らなかったが、この作品は「負け組」を描いたもので、芥川龍之介「芋粥」など多くの作家の作品に影響を与えている。文学史の記念碑的作品なのかなあ、と感心した次第。

【GOODシリーズ賞】

鏑木蓮「イーハトーブ探偵I」
鏑木蓮「イーハトーブ探偵 山ねこ裁判」

宮沢賢治はだいぶ読み進んだ。詳しくなって、関連書籍を楽しく読めている。この作品は軽くしてあるかな、と思ったらそうでもなく、賢治のキャラクターとその世界を分かりやすく、かつ深みを加えて描いている。続巻を心待ち中。

【郷土大賞】

高野澄「太宰府天満宮の謎」

太宰府天満宮とともに、大宰府政庁のこと、
菅原道真の、ものすごい影響力など多くのことを学んだ本。筑紫ばんざい。

【啓発されましたで賞】

★大谷康子
「ヴァイオリニスト今日も走る!」
千住博「絵を描く悦び」
川端康成「美しい日本の私」
東山魁夷「日本の美を求めて」
武田双雲「『書』を書く愉しみ」

今年はこれらの本で本当に勉強し、新たな読書の局面を開くことができた。「ヴァイオリニスト今日も走る!」は事に望む時「できないはずがない」と思って始める、というのが強烈に心に残った。

【人気賞】

与謝野晶子「みだれ髪」
髙田郁「花だより みをつくし料理帖特別巻」

毎度おなじみ、私が出入りしている書評サイトAとBで、最も「いいね」等の投票数がそれぞれ高かった本。サイトの特徴が現れているな、といつも思う。大阪・堺の与謝野晶子文芸館を訪うのが2019年の1つの目標。

いかがでしたでしょうか。これでオールオーバーです。2019年も楽しく紹介していきますので、どうぞよろしく。

私的読書大賞2018 各賞

私的読書大賞2018!





クリスマスの週の話題くらいから更新しておらず。息子のクリスマスプレゼントはスマホ。ついにそんな年になったか。

2018年は、201作品210冊を読破しました。さすがにこれ以上は読めない。最初で最後の大台となるでしょう。


大賞は?ダダダダダン!(ドラムロールのつもり)


川端康成「古都」


でした!いやー川端シンドロームの今年、川端が睡眠薬で朦朧としながら書き上げた、「雪国」と並ぶノーベル賞選考作品。


川端が求める女性の美しさ、人生の儚さ、日本の文化が刹那的に著された名作だと思います。


過去の大賞作品は


2011年   北村薫「リセット」

2012年   熊谷達也「邂逅の森」

2013年   藤原伊織「テロリストのパラソル」

2014年   朝井まかて「恋歌(れんか)」

2015年  朝井リョウ「何者」

2016年  宮下奈都「終わらない歌」

2017年  東山彰良「流」


今年は初の文豪ものです。


ではランキング!あくまで私的な好みですからねっ。


1位 永井路子「美貌の女帝」

2位 与謝野晶子「みだれ髪」

3位 川端康成 「山の音」

4位 芥川龍之介「或る阿呆の一生・河童」

5位 長野まゆみ「カンパネルラ」


6位 室生犀星「かげろうの日記遺文」

7位 谷崎潤一郎「刺青・秘密」

8位 スティーブン・キング「11/22/63」(3)

9位 佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」

10位 ポール・オースター「幽霊たち」


11位 室生犀星「或る少女の死まで 他2篇」

12位門井慶喜「銀河鉄道の父」

13位村上春樹「東京奇譚集」

14位 谷崎潤一郎「吉野葛・盲目物語」

15位 朝井まかて「眩(くらら)」


16位 「宮沢賢治詩集」

17位 下村敦史「闇に香る嘘」

18位 立原正秋「花のいのち」

19位フィリップ・キンドレド・ディック

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

20位佐藤泰志「そこのみにて光り輝く」


文豪もの、古典を多く読んだ年。今年を終え、いま与謝野晶子訳の「源氏物語」を読み始めています。いつもはランキング下位の方、ネタ切れになってくるのに今年はどこかに入れたいのがたくさん入らず。印象的な作品の多い1年、ちょっと完成のセンサーを逆立てて読んだ年でした。では例年恒例の、


2019年も、読むぞ~!