2021年2月13日土曜日

2月書評の2





この週末は気温が17度まで上がる予想。朝は寒く、集めのパーカーにライダースジャケットで出かけたら帰り道暑かった。あすはインナーを薄めにするべし。

春の三寒四温に入ったかな。また寒の戻りもあるみたいだし。ごく短い、好きな季節。お出かけは自粛中だけどね〜。3/7に緊急事態宣言が解除されてもあまり派手な動きは避けようかなと。

◼️柳広司「贋作『坊っちゃん』殺人事件」


親譲りの無鉄砲。やはりあのキャラをふたたび味わえるのが最大の美点かな。


「坊っちゃん」は、最近通読した。向こうっ気が強いが邪気のない主人公のまっすぐな内面が好ましく、喧嘩に巻き込まれるシーンなども微笑ましく、そして後日、唯一自分を認めてくれる老婆清のもとへ帰る純粋な姿は読む者を爽快にさせてくれる。


漱石に愛着のあるという著者が、まるっぽ「坊っちゃん」の主人公のキャラを再現している。なんとも爽快で、国民的無鉄砲で愛されるキャラが戻ってきた気がして嬉しい。


日露戦争が終結してしばらく、東京に戻り、街鉄の技手として暮らして3年。「おれ」は共に暮らしていた清を亡くしていた。ある日外出先で四国の教師時代の同僚・山嵐と偶然再会し、自分と山嵐が天誅を加えた赤シャツ教頭が、その日に首吊り自殺していたことを知らされる。これは自殺ではなく殺人だ、という山嵐に言われるまま、「おれ」は一緒に彼の地へ出発するー。


赤シャツは死んでしまうが、その幇間だった野だいことの意外な場所での再会、そして赤シャツが死んだ時、一緒にいたというマドンナ、自殺場所である懐かしいターナー海岸、温泉、宿、「坊っちゃん」の世界をぐるりとなぞる。


実は赴任地では当時、日露戦争の結果をめぐり、イデオロギー上の対立、抗争があったという筋立て。誰もが知るあのキャラもこのキャラも関係していたそう。そして宿直の一夜、主人公の不思議な体験の真相は?


シャーロック・ホームズでも、本筋の場面の裏ストーリー、というのはよくあるが、ホームズものパロディは星の数ほどあるけれど、「坊っちゃん」のそれは貴重で、原典の敷衍的な文調も思い出されてきて、なんともほわっとした気分にさせられる。


ミステリだけに、捜査?や謎解き場面ではどうしても、主人公の性格と似つかわしくなく理屈っぽくなりがちなのは否めない。んー、原典の他のキャラに別の顔が、というのもこの場合、新たな楽しみととるか、自分の中で保持していたものが崩される不快感がややあるというのを正直に認めるかはせめぎあうところではある。まあそうしないとミステリなんて成立しないのであろうが笑


楽しみと取りましょう。どこか舞台劇的。


最後の方に下宿のばあさんが出てくる所から清に戻る流れはホッとする。


やはり坊ちゃんは、国民的ヒーローだ、と再認識したのでした。



◼️ベルトルト・リッツマン編

「ヨハネス・ブラームス クララ・シューマン

友情の書簡」


クララとヨハネス、40年にもわたる親しい交際。さんざめく才能の時代。


20歳、白皙の若手ピアニスト・作曲家のブラームスが大作曲家と仰ぎ見るロバート・シューマン、その妻でピアニストのクララ・シューマンと初めて邂逅したのは、1853年。ロバート44歳、クララ34歳のとき。以降親密な付き合いが始まったが、ロバートは精神的な不調に陥り入院、3年後には死去してしまう。


8人の子供をかかえ、途方にくれたクララは自らの演奏で家計をあがなうことを決意する。


2人は頻繁に手紙を交わし、クララが演奏で留守の際はブラームスがクララの家庭の面倒を見るなど、親戚よりも親密な、また音楽家同士としても濃密なやりとりを残した。


先に言うと、もちろん男女の仲は疑われるわけで、憶測は枚挙にいとまがない。ブラームスは生涯独身を通し、クララも再婚しなかった。


手紙から窺い知れるのは、心通う、時には衝突もし、でも気遣いを忘れない純粋な関係性だ。クララはブラームスが家庭を持つことを望んでもいる。またブラームスは自分の楽譜の初見をクララに求め、クララは賞賛しながらも、なかなか手厳しい言い方で意見を返しているから面白い。


同時代人として登場する音楽家も豪華。ブラームスはもちろんたびたび金銭的な援助を申し出ていて、リストも同調したりている。クララとブラームス共通の親友、名ヴァイオリニストのヨアヒム、指揮者の始祖とも言われるハンス・フォン・ビューロー、またヴァイオリン協奏曲て有名なブルッフも出てくる。


クララがリストの演奏を「悪魔的」と例え、熱狂する貴婦人たちにも触れている。また、ビューローのピアノ演奏については


「最も退屈なピアニスト」「情熱も躍動もなく」「技巧と記憶力が素晴らしいことは真実ですが、表現を求める感情がなければ、技巧は何のためにあるのでしょうね」


なんて厳しくこきおろしてて笑ってしまった。指揮者にこそ天分があったんだろか。


印象に残ったシーンと表現。


1858年、ある演奏旅行に行く行かないで喧嘩した際のクララのブラームスへの手紙。


「郷愁があなたのように私に甘くふるえるものならば私にはただ苦しく、時に言語に絶した心の痛みをもって私を戦慄させます。」


けっこうこの2人、例えばクララのイギリス行きをブラームスが嫌ったり、行く行かないで仲良く揉めている。


また、ある時クララの演奏会の途中にガス灯が切れ、真っ暗になった。ろうそくの灯りの中で再開された演奏に聴衆の集中力が高まりさらなる興奮を生んだエピソードは幻想的で想像力を刺激する。


ピアニストとしても有能だったブラームスがベートーヴェンのピアノ協奏曲5番を演奏したり、クララが亡き夫シューマンの協奏曲を演奏してイギリスで大きな反響を呼んだり、ブラームスの協奏曲やピアノ四重奏曲、交響曲を感動を持って試奏したり・・。もうその場をなんとかして見てみたい、という場面ばかりだ。


8人の子供たちは次々と病に倒れ、自身はリューマチに苦しめられる中、死ぬまでブラームスを頼りにし、自律を忘れずに生きたクララ。そして大音楽家として認められ、40年もの間尽くすことが人生の中心を占めていたブラームス。


2人の音楽家としての、人としての特殊な結びつきは美しい。


昔の家族同士の親密で賑やかな付き合いは、微笑ましく懐かしいな・・と思いつつ、シューマンのピアノ協奏曲を久々にゆっくりと聴いている。手紙に出てきたブラームスの曲も探して聴いてみよう。

2月書評の1





ヴィクトリアケーキに苺入りクリーム。たまりません。

◼️ドリアン助川「カラスのジョンソン」


哀しい物語。ジョンソンの飛翔。


「あん」でハンセン病患者を描き、河瀬直美監督で映画化されたドリアン助川の作品。ジョンソンと陽一の、家族を求める心。



母・里津子と市営住宅に暮らす小学生の陽一は里津子が拾ってきた怪我をしたカラスの幼鳥に、ジョンソンと名付け、可愛がる。しかし動物を飼うのは規則違反だった。やがて管理人に見つかり、部屋に踏み込まれた陽一はベランダからジョンソンを離す。


自活しなければならなくなったジョンソンは様々な困難に遭うが、緑光、と自分が名付けた羽根の美しいカラスの導きで群れに迎え入れられ、成長する。そして陽一や里津子を見つけ、様子を伺うようになる。



市は増えすぎたカラス対策として大規模な駆除を始めた。緑光との間に産まれた雛を育てていたジョンソンの巣にも災厄が降りかかる。一方、陽一は里津子が逮捕され、孤独となるー。



カラスの世界と人間の住む現実。追い込まれていく両者が邂逅することはない。


ジョンソンが生まれてから、また陽一たちの庇護を離れてから、研究されたカラス目線での行動や成長が着実に読み手に愛着を植え付ける。自然が織りなす様々なシーンや構造物の醸し出すさまが神々しいまでにファンタジック。かつまた目線を変えてみたら、飛ぶことが出来たらそうなんだろうという憧憬をも掻き立てる。


人間世界の方は常にとげとげしく、また著者の特徴である、組織に逆らえない人や戸惑う教師の姿など、煮え切らない、さりげない部分も挿入される。



美しさと温かさ、相反する冷たさと狭量さ、抗えない暴力的な強さ。



ああ、温もりが必要な時に会わせてあげられれば、と胸がしめつけられるが、ちと悪役とのコントラストがはっきりしすぎているきらいはあり、冷静になってしまう。


酷な現実の物語だからこそ、ジョンソンの飛翔が強く印象に残るのだろうかー。




◼️今村昌弘「屍人荘の殺人」


「そ、そうきたか」でした。アヤツジの若い頃を思い出しました。ネタバレ厳禁もの。他聞にもれず、隔靴掻痒の書評です。


これはおもろいわ!と読んでて盛り上がってしまう作品があります。私の経験で言えば藤原伊織「テロリストのパラソル」がそうだったなと思います。「屍人荘の殺人」は久々にその感覚を追体験させてくれました。



昔、「クライング・ゲーム」というイギリス映画の佳作がありました。ネタバレ厳禁で、確かに見る前に分かっちゃったら面白くないネタが仕込まれてました。「喋らないでください」はキャッチコピーでもあった記憶があります。



「屍人荘の殺人」はミステリ好きの先輩が「読んだ〜?」といかにも話をしたそうに振ってきてたけども映画が軽そうだということで敬遠してました。侮ってた。たしかに面白い。で、「クライング・ゲーム」の3倍くらいの強さでネタバレ厳禁だと思いました。1/3くらいのとこで、「そ、そう来たか」という感覚を味わう醍醐味を失わないように、痒いとこに手が届かない書評です。


あらすじは簡単に。


神紅大学映画研究部の夏合宿がOBの親の持ち物であるペンションで行われた。サークル員以外で一緒に行ったのはミステリ愛好会会長の明智恭介と、ワトスン役の葉村譲、剣崎比留子の3人。剣崎は警察すら手を焼いた難事件の数々を解決に導いた探偵少女。「今年の生贄は誰だ」去年の合宿後、自殺者が出ており、映画研究部には脅迫状が届いていたー。



どうも部長がペンションを無料で貸してくれるボンボン先輩の親の有名会社に就職したいらしく、女の子を連れてこい、という命令に逆らえないらしいんですね。自殺者の理由も想像できます。ペンションは大きな湖の近くにあり、そこでは5万人規模のロックフェスが開催されていた、そして闇の機関の者たちが・・


物語は突然動きます。


「ほ、ほお」


となって本格ミステリ定番の孤立ものに突入します。部屋割り表もついてます。「そして誰もいなくなった」よりも、新本格の扉を開いた記念碑的作品「十角館の殺人」を設定的に思い出させます。



ただちょっと違うのは、アガサも十角館も次々と人が殺されていく、動機も殺人の順番も、その中にいるはずの犯人もわからず進んでいきますが、この作品はそうではない部分もあること。



また殺人方法が極めて特殊で、混迷を深めるもとになっていること、などですね。



意表を突かれた面白さだけでなく、細かいところまで謎解きの網の目が敷かれているのには感服。殺人方法も納得感が深く、やられた、と思います。トリックも本格派。独特の死生観も、アニメっぽいやや独善的な行動の流れも、ちょっとした新感覚を感じさせます。シリーズ継続を匂わせて、お終い。



探偵役の剣崎比留子はこれも他聞にもれず美少女、グラマラス、そしてちょっと天然でスキが多い。ちゅーしてあげる、とか軽く言っちゃいます。他作品の例を挙げるまでもなく、ライトノベルとミステリーは相性が良い。ミーハーな志向ですが、このノリもOK、ありかなと。凄惨な事件との噛み合いが微妙ですね。



そして、犯人が殺人の模様を語る時、冷静さと、狂気の感覚のはざまが・・心地よく響いちゃいます。ここは、大きな魅力として特筆してもいいかと思いました。



最近は巣ごもりの影響でよく音楽をスマホ経由で聴きます。YOASOBI「夜に駆ける」が好きです。小説世界を曲に落とし込んだもので、元になった短編を読みましたが、あまり飲み込めるネタではない、しかし音楽はいい、「屍人荘」にも似たものを感じたような気がします。



興奮の後には冷静が待っているもの。特にミステリは著者が理想とする流れに合わせてはめ込んでいくのが見える場合が多く、もひとつ納得できないこともよくあります。動機の描きこみも弱いかな。ましてデビュー作。


今回の総括としては、おもしろい!と感じさせられたことは事実で、私的には重きを置こうと考えます。新本格を手本にして育った若い感覚の先々を楽しみに、次も読もうと思います。