◼️柳広司「贋作『坊っちゃん』殺人事件」
親譲りの無鉄砲。やはりあのキャラをふたたび味わえるのが最大の美点かな。
「坊っちゃん」は、最近通読した。向こうっ気が強いが邪気のない主人公のまっすぐな内面が好ましく、喧嘩に巻き込まれるシーンなども微笑ましく、そして後日、唯一自分を認めてくれる老婆清のもとへ帰る純粋な姿は読む者を爽快にさせてくれる。
漱石に愛着のあるという著者が、まるっぽ「坊っちゃん」の主人公のキャラを再現している。なんとも爽快で、国民的無鉄砲で愛されるキャラが戻ってきた気がして嬉しい。
日露戦争が終結してしばらく、東京に戻り、街鉄の技手として暮らして3年。「おれ」は共に暮らしていた清を亡くしていた。ある日外出先で四国の教師時代の同僚・山嵐と偶然再会し、自分と山嵐が天誅を加えた赤シャツ教頭が、その日に首吊り自殺していたことを知らされる。これは自殺ではなく殺人だ、という山嵐に言われるまま、「おれ」は一緒に彼の地へ出発するー。
赤シャツは死んでしまうが、その幇間だった野だいことの意外な場所での再会、そして赤シャツが死んだ時、一緒にいたというマドンナ、自殺場所である懐かしいターナー海岸、温泉、宿、「坊っちゃん」の世界をぐるりとなぞる。
実は赴任地では当時、日露戦争の結果をめぐり、イデオロギー上の対立、抗争があったという筋立て。誰もが知るあのキャラもこのキャラも関係していたそう。そして宿直の一夜、主人公の不思議な体験の真相は?
シャーロック・ホームズでも、本筋の場面の裏ストーリー、というのはよくあるが、ホームズものパロディは星の数ほどあるけれど、「坊っちゃん」のそれは貴重で、原典の敷衍的な文調も思い出されてきて、なんともほわっとした気分にさせられる。
ミステリだけに、捜査?や謎解き場面ではどうしても、主人公の性格と似つかわしくなく理屈っぽくなりがちなのは否めない。んー、原典の他のキャラに別の顔が、というのもこの場合、新たな楽しみととるか、自分の中で保持していたものが崩される不快感がややあるというのを正直に認めるかはせめぎあうところではある。まあそうしないとミステリなんて成立しないのであろうが笑
楽しみと取りましょう。どこか舞台劇的。
最後の方に下宿のばあさんが出てくる所から清に戻る流れはホッとする。
やはり坊ちゃんは、国民的ヒーローだ、と再認識したのでした。
◼️ベルトルト・リッツマン編
「ヨハネス・ブラームス クララ・シューマン
友情の書簡」
クララとヨハネス、40年にもわたる親しい交際。さんざめく才能の時代。
20歳、白皙の若手ピアニスト・作曲家のブラームスが大作曲家と仰ぎ見るロバート・シューマン、その妻でピアニストのクララ・シューマンと初めて邂逅したのは、1853年。ロバート44歳、クララ34歳のとき。以降親密な付き合いが始まったが、ロバートは精神的な不調に陥り入院、3年後には死去してしまう。
8人の子供をかかえ、途方にくれたクララは自らの演奏で家計をあがなうことを決意する。
2人は頻繁に手紙を交わし、クララが演奏で留守の際はブラームスがクララの家庭の面倒を見るなど、親戚よりも親密な、また音楽家同士としても濃密なやりとりを残した。
先に言うと、もちろん男女の仲は疑われるわけで、憶測は枚挙にいとまがない。ブラームスは生涯独身を通し、クララも再婚しなかった。
手紙から窺い知れるのは、心通う、時には衝突もし、でも気遣いを忘れない純粋な関係性だ。クララはブラームスが家庭を持つことを望んでもいる。またブラームスは自分の楽譜の初見をクララに求め、クララは賞賛しながらも、なかなか手厳しい言い方で意見を返しているから面白い。
同時代人として登場する音楽家も豪華。ブラームスはもちろんたびたび金銭的な援助を申し出ていて、リストも同調したりている。クララとブラームス共通の親友、名ヴァイオリニストのヨアヒム、指揮者の始祖とも言われるハンス・フォン・ビューロー、またヴァイオリン協奏曲て有名なブルッフも出てくる。
クララがリストの演奏を「悪魔的」と例え、熱狂する貴婦人たちにも触れている。また、ビューローのピアノ演奏については
「最も退屈なピアニスト」「情熱も躍動もなく」「技巧と記憶力が素晴らしいことは真実ですが、表現を求める感情がなければ、技巧は何のためにあるのでしょうね」
なんて厳しくこきおろしてて笑ってしまった。指揮者にこそ天分があったんだろか。
印象に残ったシーンと表現。
1858年、ある演奏旅行に行く行かないで喧嘩した際のクララのブラームスへの手紙。
「郷愁があなたのように私に甘くふるえるものならば私にはただ苦しく、時に言語に絶した心の痛みをもって私を戦慄させます。」
けっこうこの2人、例えばクララのイギリス行きをブラームスが嫌ったり、行く行かないで仲良く揉めている。
また、ある時クララの演奏会の途中にガス灯が切れ、真っ暗になった。ろうそくの灯りの中で再開された演奏に聴衆の集中力が高まりさらなる興奮を生んだエピソードは幻想的で想像力を刺激する。
ピアニストとしても有能だったブラームスがベートーヴェンのピアノ協奏曲5番を演奏したり、クララが亡き夫シューマンの協奏曲を演奏してイギリスで大きな反響を呼んだり、ブラームスの協奏曲やピアノ四重奏曲、交響曲を感動を持って試奏したり・・。もうその場をなんとかして見てみたい、という場面ばかりだ。
8人の子供たちは次々と病に倒れ、自身はリューマチに苦しめられる中、死ぬまでブラームスを頼りにし、自律を忘れずに生きたクララ。そして大音楽家として認められ、40年もの間尽くすことが人生の中心を占めていたブラームス。
2人の音楽家としての、人としての特殊な結びつきは美しい。
昔の家族同士の親密で賑やかな付き合いは、微笑ましく懐かしいな・・と思いつつ、シューマンのピアノ協奏曲を久々にゆっくりと聴いている。手紙に出てきたブラームスの曲も探して聴いてみよう。