◼️川端康成「伊豆の踊子」
書き物をして解説する用があり、再読、ちょっと深掘りしました。めっちゃ長くなりました。ストーリー追いかけ編と、ちょっとした解題編でお送りします。
【ストーリー追いかけ編】
川端が27歳で発表した、タイトルだけなら知名度抜群、「伊豆の踊子」です。
これが短い。新潮文庫版では、表紙を入れても7P〜41Pまで。しかしながら何度も映画化され、愛されて今に至っています。やはり短い話の方がベタに読まれやすいのかも。
さて、主人公は私、川端ですね。旧制一高生で20歳。冒頭が鮮烈で、「雪国」ほど有名ではないにしても、私は好きです。
「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」
麓から峠へ雨が追ってくる。山の雨の降り出し。鬱陶しいはずなのに、どこか爽やかささえ感じさせます。
主人公の「私」は制帽を被り、紺飛白(こんがすり)の着物に袴、高下駄姿。1919年、大正時代です。
お茶屋に着いた時、すでに出逢っていた旅芸人の一行と再会、あの踊子、薫がなにくれと世話を焼いてくれます。
「踊子は十七くらいに見えた。私には分らない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な(はいしてき・中国の歴史小説風な)娘の絵姿のような感じだった。」
最初に出てくる薫の描写です。後で分かるのですが、旅芸人だから、お座敷映えが良いように、大人風の女に見えるように仕立ててるのであって、実際は14歳です。
旅芸人の一行は、若い男・栄吉と40代くらいの女、名前は出てきません。「四十女」と書かれています。四十女の娘で、栄吉の妻千代子、17歳の百合子は血縁関係がなく雇いの女、そして薫は栄吉の妹、とのことでした。四十女がリーダーで薫に三味線を教えるシーンが出てきます。
四十女はまた、薫が可愛いことに神経を尖らせています。行きずりで変な虫がつかないようにですね。「私」には愛想が良いものの、警戒の対象から外しているわけではないようです。
「私」は栄吉と仲良くなり、旅程の同道を申し入れ、四十女にも快諾されます。最初の夜、当時賎しい身分と取られていた旅芸人は木賃宿に泊まり、「私」は別の温泉宿へ。私は、激しい雨の向こうに賑やかな声を聞きつけ、旅芸人たちがお座敷に呼ばれているのを知ります。そして、宴会が終わって静まり返り、雨の音だけが響く中、「踊子の今夜が汚れるのであろうか」と悩ましく過ごします。
そして翌朝、話中でも代表的なシーンにゆくりなくも巡り会います。
栄吉が朝訪ねて来て、2人は連れだって湯に入りに行きます。すると川向こうの共同浴場に旅芸人の一行が入っていました。
「仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場のとっぱなに川岸へ飛びおりそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸だ。それが踊子だった。若桐のように足のよく伸びた裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った」
「私」はその無邪気な姿に、昨夜の心配が霧消したかのように子供なんだ、と思い、頭が拭われたように澄み、微笑がいつまでもとまりませんでした。
ここはダイレクトで象徴的なシーンです。少女の無垢さを目の当たりにし、心が洗われます。評論家の中にはこのシーンを境に、「私」は薫を、女ではなく、子供と見るようになったという人もいるようです。
一行は伊豆大島から出てきており、節約してはいるものの、暮らし向きが厳しいというほどではないようです。
翌日、旅芸人一行たちの木賃宿の隣で鳥屋をしている男がご馳走すると娘たちを呼び、薫たちは喜んで行くのですが、鳥屋が薫の肩を軽く叩いた瞬間、四十女、この辺からなぜか呼称が「おふくろ」に。の顔が恐ろしいものに変わります。
「こら、この子に触っておくれでないよ。生娘なんだからね」
薫は鳥屋に「水戸黄門漫遊記」を読んでくれとせがみましたが、気を悪くしたのか、鳥屋は向こうに行きます。「私」が講談本を読むことになりました。「私」の肩に触るほどに顔を近づけて聴く薫。
「美しく光る黒眼がちの大きい眼は踊子の一番美しい持ちものだった。二重瞼の線が言いようなく綺麗だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女にはほんとうだった」
賛美の極致ですねー。恋する感情もあったでしょうけれども、目の前の美しさに敏感に素直に感じ入って圧倒されているように読めます。「私」の若さも感じたりしますね。
「私」が帰る時、踊子は下駄を揃えて、こう言います。
「ああ、いいお月さま。明日は下田。嬉しいな。赤坊の四十九日をして、おっかさんに櫛を買って貰って、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行って下さいましね」
可愛いですね。しかし。
四十九日とは千代子が旅の空で赤子を産み落とし、まもなく亡くなってしまったことを指しています。
翌日、一行は下田まで五里の山道を歩きます。「私」と薫はどこかかみ合わなくも、あれこれと話をし、薫は「私」の袴の埃を払ったり、杖がわりにする竹を引っこ抜いて持って来たりと私に対して明るく献身的に振舞います。「私」と薫の交流を象徴するシーンでしょう。
栄吉と歩いている時、後ろで薫がいい人ね、と話しているのを聞いて、「私」はその言葉に感動します。
「二十歳の私は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有り難いのだった」
と述懐します。
私は旅費がなくなり、翌日の船で帰らなければなりませんでした。下田に着き、千代子と百合子を活動、弁士がつく映画ですね、に誘うと、歩き疲れた2人は行くと言いませんでした。薫はおふくろに縋りついてせがみます。おふくろは「私」と2人で行かせることを承知しません。栄吉も首をひねりますが、おふくろにはやはり警戒心があったのですね。
「私」は一人で女弁士が喋る活動に行きましたがすぐに帰ります。涙をぽたぽたと落としていました。
翌朝、栄吉だけが港まで一緒に行きます。乗船場に来てみると、海際に薫がうずくまっていました。なにかと話しかけましたが、視線を落とし、こくりこくりとうなずいて見せるだけでした。
乗り込もうとして振り返った時、踊子はさよならを言おうとしてやめ、ただうなずいて見せます。そしてずっと遠ざかってから、ようやく白いものを振り始めました。
劇画的ですね。細かく動作を描いています。重要な場面です。薫の態度には、おふくろになにか言い含められたのではないか、なんて想像してしまいます。
私は読むたびに、ここからのラストの描写が、なかなか印象的だと思います。
ざこ寝の船室で寝転がり、涙をぽろぽろ流す「私」。隣にいた、おそらく一高の入学準備に行く少年が、制帽姿の「私」に好意を持って話しかけます。
「『何か御不幸でもおありになったのですか』
『いいえ、今人に別れて来たんです』
私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった」
「肌が寒く腹が空いた。少年が竹の皮包を開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海苔巻のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ」
「真暗な中で少年の体温に温まりながら、私は涙を出委せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった」
これで締まります。少年の学生マントに入り、くっつき合ってその体温であったまってるわけです。不思議な違和感と、逆にほっとするところがありますよね。そう思いませんか?私だけかな。
薫の無垢さと美しさに触れ、「私」の境遇による運命、思い込みも含めてこわばっていた心がほぐされ、その感動の日々の終わりに惜別の情を感じ、終焉そのものの美しさにも感無量となっているように見えます。
さて、伊豆の踊子、主筋を紹介して来ましたが、いかがですか?細やかな表現はありますし、付随的なエピソードもあります。ただ全体的には穏やかな物語です。私もそう感動した、とかいうわけではありませんでした。
仲の良い師弟でライバルの三島由紀夫は解説で「川端氏の全作品の重要な主題である『処女の主題』がここに端緒の姿をあらわす」としています。処女性、というのは性的な意味ではなく、その年齢特有の純真さ、少女性を言っていると思います。川端がロリコン気味であることは否定しませんが笑、小説全体を通したその表現はやはり卓越していると思います。
「伊豆の踊子」は生い立ちによる葛藤を癒す、いやそれだけには全然とどまらず、もひとつ三島の言葉を借りると、「若さそれ自体の未完成の美」の塊のように感じます。若い頃の美しい印象をまるっと残す話。
だから、個人的にはあまり深く考えず、川端がストーリーに込めたものを素直に受け取ればいいのではと、それで十分すぎる特別な小説だ、と私的には思うのです。
【ちょっとした解題編】
「伊豆の踊子」について書くにあたり、あれこれwebページなんかを見ていたら、けっこう情報がつながったので、解題を設けようかと思いました。まあ気楽に読んでください。
「伊豆の踊子」は最初踊子と出会ってから通い詰めた湯ヶ島温泉、その思い出をまとめた「湯ヶ島での思ひ出」(24歳時に執筆)から踊子部分を抽出し、小説化したものです。
んで、「湯ヶ島での思ひ出」を読んでみようと思ったら、川端自ら焼却しちゃったらしい。さらに探したら、全集にある「少年」という随筆に引用がある、というので図書館行って当該巻を借りてきました。
「伊豆の踊子」についての記述は多くはないのですが、まずはこんな感じ。
「初めての伊豆の旅は、美しい踊子が彗星で修善寺から下田までの風物がその尾のやうに、私の記憶に光り流れている。」
「太鼓を下げた踊子が遠くから目立っていた。」
親しくなる前に旅芸人の一行と行き当たり、その中で薫に目を惹かれた、ということなんですね。彗星のように、とはまたメルヘンなのか川端一流の感じ方なのか。いやー、実物の写真が見たかった。
2回目の湯ヶ島訪問。右脚の痛みを湯治で癒そうと赴きましたが山中で道に迷い、ずぶ濡れになって宿に着いた時、記憶が・・
「燈火弱く森閑とした宿の玄関に立って、私は苦笑した。前の年の秋、そこで踊子が踊っていたのである」
やはりずいぶんと鮮烈ないい想い出となっているようです。
で、なぜラストに泣いたか、これははっきりと書いてます。
踊子と別れて涙を流したのは
「あながち踊子に対する感傷ばかりではなかつた」
「踊子はものごころつき初めた日に、女としての淡い戀心を私に動かしてくれたのではなからうかと、下らない気持ちで踊子を思ひ出す」
川端は、自分のことを、幼少から世間並みでなはなく、不幸に不自然に育って来たためにかたくなでゆがんだ人間になっていると苦に病んでいました。しかし少年らしい甘えた感情があって、自分で誇張していたもので、苦に病んでいたほどではないと今回の旅で気づきます。
そしてそれが、「人々が私に示してくれた好意と信頼のお蔭である」で、「同時に私は暗いところを脱出したことになつたのである」と。
そして、踊子とその兄嫁、薫と千代子ですね、のやりとり、薫が川端のことを「いい人ね」と言って千代子がうなずいたことが本当に嬉しかったようです。
「汽船の中でも、いい人と踊子に言はれて満足と、いい人と言った踊子に対する好感とで、こころよい涙を流したのである」
微笑ましいですが、ここもちょっと自己陶酔的。でもそれも含めて若さを感じます。
川端は、22歳の時、カフェの客と女給として出会った15歳の伊藤初代と婚約しますが、「私にはある非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。(以下、中略数回)どうか私のようなものはこの世にいなかったものとおぼしめして下さいませ。さらば。私はあなた様の幸運を一生祈って居りましょう。私はどこの国で暮すのでしょう。お別れいたします。さようなら。」
という衝撃の手紙が送られてきて破局に至り、大きな打撃を受けました。
川端自身は、「湯ヶ島での思ひ出」では初代のことを意識していたが、「伊豆の踊子」の薫に、初代との恋は反映されていないとしているとか。この部分は「少年」にはないのでどこかの読みかじりです。ちなみに川端は執筆のころ後の夫人・秀子と出逢っています。
「少年」には、こんな文もありました。
「そのある冬は、人の不可解な裏切りに遭って潰えようとする心を辛うじて支へてだった。ひきよせられるのは郷愁と異らない。」
この部分の解説は知りませんが、普通に読めば、伊藤初代のことですね。読み進めると、ありました。この部分は四緑丙午の女のことだ、と。婚約が破れたと書いてあります。丙午の女、とは「初恋小説集」という本で初代のことを指して、よく出てきたフレーズです。
「伊豆の踊子」を読む限り、初代の面影はなさそうとも思えますが、あんな強烈な恋の体験、その相手への意識、がまるで入っていないのは、やはり不自然にも思えます、というところでしょうか。この作品で、初代との破局でできた傷も癒されたのでしょうか?
さて、ラストの描写について、ですが、
実はこのころ同性愛者だった、と川端は自ら告白しているんですね。なんというか、肉体関係はなかったようですが、中学の寮は並べて布団を敷いて寝る部屋で、だいぶ身体的なふれ合いはある感じだったようです。寄宿舎同室の清野、という下級生が川端の一番のステディだったみたいで、「少年」にはだいぶ当時の手紙と日記が引用してあり、まあボーイズラブですね、ホンマに。
そう思うとラストの自然さもうなずけます。ははは。でもいい感じであることは変わりません。
川端は一高の寮に入ってなじめなかった、というのは清野との生活とのギャップ、初めての東京暮らし、というのもあったでしょう。まだ19歳。ムリもないですね。
中学校の頃は美少年にも興味があり、町の医院の美人の娘にも関心がある、という状態だったようです。
女性とふつうに会話したり、女性が恋愛対象になったりしたのはこの旅行後、学友とカフェなんかに行くようになってからだと思われます。
ちなみに、清野とは、中学を卒業して、
川端が東京の一高に入っても手紙をやりとりしていました。卒業して3年後、22歳の時に京都・嵐山にある清野の実家を訪れます。清野の実家は、宗教団体の道場でした。清野は喜び、1ヶ月でも逗留して、というつもりでしたが、宗教の修行に打ち込む清野を見て、川端は違和感を覚え3日目に固辞、以来会ってないとのこと。こちらの恋も終わったんですね。
終