2019年2月17日日曜日

2月書評の2

バレンタインのある週は、必然的に息子の誕生日。日曜日に食事に出かける予定。

来週には気温が上がり春の気配となるとか。福岡はけっこういつまでも寒いけど関西は2月終盤には気温が上がってくるイメージ。でもまだ寒い。朝晩は真冬並み。

今週は4冊。いま分厚いやつに取り掛かっていて、骨が折れそうだ。

けさちょっと胸の下が痛くなり座り込んだ。その時はすぐ治ったし、どうってことないのだが、どうも体調の悪さを感じる。寒気がするし。

◾️ダシール・ハメット「マルタの鷹」

江戸川乱歩に賛成気味・・。もひとつかな、と思うのは時代の変革の証明か?

ダシール・ハメットの長編第3作で1930年に書かれている。推理小説の世界にハードボイルドなスタイルを確立した作品だという。

サンフランシスコの探偵、サム・スペイドのもとに若いワンダリー嬢が訪ねてくる。妹がかどわかされ、その男・サーズビーと夜に会うことになっているという。スペイドの共同経営者アーチャーが尾行することにしたその翌朝、アーチャーと、サーズビーの死体が見つかったー。

解説によれば、アメリカで高い評価を受けた一方、江戸川乱歩は「退屈しながら、無理に読み終わったようなもの」で「どうにも興味が持てなかった。」と評している。

物語の成り行きは、アーチャーの妻アイヴァとデキてしまっていたスペイドは警察に疑われるが、全てを話はしない。実はワンダリーなんて偽名で妹もいなかった。そしてカイロ、ガトマンといった怪しい男たちが現れてくる。どうやら高価ななんらかのモノが絡んでいるようだー。スペイドと彼らは腹を探り合い、時にハッタリをかましたり脅しをかけたりの駆け引きをする。そして謎は少しずつ明らかになってくる。幕引きも冷徹ー。

私も実は、読んでいて乱歩と似たような感触を持った。共同経営者が殺されたにしてはクールに過ぎるし、あちこちに噛みついているような感触を受ける。その駆け引きだけで話が前に進まないな、という気になってしまうのだ。

謎があって、基本的に正義の探偵がいて、わずかな糸口から次々と真相を解き明かすタイプの話に慣れてしまってるからか、とも思ったりした。スペイドは利己的で、金の匂いにも敏感で、しかし公正さも保とうと、しないでもない。女にもなびく。

ただ、いわゆる出来上がった、超人的な探偵像と違い、より人間臭く、また真相が分かるまでは誰をも信用せず、警察にも頼らず全体像を見極めようとする流れは分かるような気がした。

ハードボイルドの萌芽、それがまたアメリカに生まれたという背景もあるのではないかと思う。この後ハードボイルド小説が大きな広がりを見せることを考えれば、大きな変革期には違和感がつきまとうものかもと納得もできる。

でも、やっぱりまだるっこしいし、スッキリしないかな。タイトルはよく見かけるから血湧き肉躍るかな、と思って読んでみたら、うーむという感じだった。

◼️グザヴィエ・ジラール
「マティス 色彩の交響楽」

マティスの色彩感に親しむ。たぐいまれなるコロリスト(色彩画家)。

マティス、という名前は知っていたが、その色彩感に強く惹かれたのはごく最近だ。黄色、赤といった色で鮮やかに何か心に響くものを表現している。全体を知りたくなり図書館で探した本。ニーズにあるマティス美術館の責任者による執筆である。

1869年に生まれフランス北部の小さな町で育ったマティス。法律事務所に就職する。21歳の時、盲腸炎をこじらせ長期療養する。この時に母親が買って来てくれた絵の道具で退屈しのぎに描くうちに絵への関心が高まり、やがてギュスターブ・モローの教室に通うようになる。そしてルーブル美術館の絵を模写した。

才能はいつ、どういう風に発現するか分かりませんね。

初期の風景画はあまり確固とした特徴はないように思える。しかし当時流行していた印象派、またセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらの影響を受けつつ、1890年代後半から1900年代初頭にはだんだんと色彩豊かな作品を描くようになった。

「コルシカ風景」「トゥールーズの家並み」「最初のオレンジ色の静物」ではだんだんとオレンジ、黄色、赤で構成された色の調和が前面に出る。

このころマティスの友人は、かつて灰色の絵に造詣が深く、まれに見る力強い調和を特徴とする達人でと見られていたマティスが、たけだけしい、狂ったような印象主義と呼ぶにふさわしいこの激しい絵を描くとは、と驚いたという。

そして1905年の「豪奢、静寂、逸楽」で1つの頂点を迎えた、と私は思う。混じり気のない虹の七色の短い線の集積で描かれた作品だった。南仏コリウールで描かれた「コリウールの開いた窓」も赤を前面に押し出したもので、とても魅力的だ。

さらにこの年、マティスは妻をモデルにして「帽子をかぶった女」「緑のすじのあるマティス夫人」を描く。これは顔に緑っぽい青を塗ったり、タイトルどおり顔の真ん中に緑色の太い線を入れたもので、フォービズム(野獣派)と言われた。

特に暖色系を操り強烈な印象を観るものに飛ばしてくるような作品は特徴的だ。しかし私はとても美しくチャーミングだと思う。「食卓ー赤い調和」なんか大好きである。

そして、この本でマティスの作品の流れを見る限り、マティスは新しい形を生み出そうとたくさんの実験をもしているのではと思える。フォービズムもその1つと理解するのは難しくない。ピカソとも親交が深く、対象の描き方にもその影響が見られるし、抽象的なモチーフのものもたくさん描いている。

有名な「ダンス」もそうかも。裸の人間が手をつなぎ輪になって踊っている絵である。この本を読んで、様々なチャレンジをするマティスはこの時代の芸術家らしくて恰好良い。

陶器への絵付けもとても良い。花のデザイン、人の顔や女性の絵と可愛らしく、レプリカどこかで売ってないかなという気になる。

私は美術は好きだが体系的な知識を持てないでいるので、マティスも「切り絵の人」というイメージがあった。たまたま他の美術本で読みかじったのと、テレビでマティスの特集をやっていて、その色彩に強烈に惹かれた。

マティスの色の使い方は素晴らしい。この本はカラーでたくさんの作品が掲載してあり、求めていたものを感じることができて満足感が高い。やっぱり色味豊かな、描いた対象も分かりやすいのがいいかな。「マニラのショール」「モロッコ風の衝立の前の娘たち」なども鮮やかで、白も目立ってとてもいい。

最後にマティスの言葉より。
「色彩が表現性を取り戻したということは、色彩の歴史を開く出来事です。色彩は長いあいだデッサンの補完物でしかありませんでした。」

マティス展ないかなあ。

◼️近藤史恵「スティグマータ」

ナイーブさと実力。誰もの心にあるものと、こうなりたい、と願うもの。チカは両方を持っているのかも。

おおマイヨ・ジョーヌだ、山岳ジャージだ、エナジーバーだサコッシュだと、サイクルロードレースの世界に浸る本。しかも舞台はツール・ド・フランス。いやーしばらくぶりのチカもの長編なんで、思い出すのが楽しかった。

ヨーロッパに来て5年目。チカ=白石誓(ちかう)は30才のサイクルロードレースのプロ選手でアシストが専門だ。ポルトガルやスペインのチームを転々とし、かつて戦ったニコラがエースのオランジュフランセで今回のツールにも出ることになった。ドーピングで業界を追われタイトルを剥奪されたかつてのスター、メネンコの復帰でざわついた雰囲気の中、チカはメネンコに呼び出され、チームメイトのアルギを見張って欲しいと頼まれる。

この小説の良さはなんといってもレースの描写と、ロードレース選手たちの生活、雰囲気、レースの戦術・駆け引きといったものだろう。中心となる謎と進展のテンポも上手いと思うけども、第1弾「サクリファイス」の時から実は謎の結末はしっくり来なかったけど、今回もそうだった。謎は装飾でしかないかもと思った。

チカも30才台に突入し、来季のチームを探しながらレースを走っている。今回のチカはベテランの経験を活かして最後まで大きなミスをしない。そしてラストに大活躍を見せる。その疾走感を心に感じる場面がクライマックスである。色んなものがごっちゃになった現状を一気に打破してみせる。
めっちゃGOODだと思います。

わたしは思う。外国人に比べてナイーブだと思っているチカは読む誰もが心に抱いているその部分を共鳴させる。さらにやる時はやる、と思わせる。陰に隠れてはいるが気遣いや観察力、チャンスを逃がさない判断力を備えた、職人気質とも言える部分を読んで読者は憧れ、こうありたいと思い、心で快哉を叫んでいるのではないか。

もちろんかつてのチームメイトで敵チームエースのミッコ、今回のニコラ、日本にいた時のライバル伊庭らのキャラクター造形も面白い。

チームメイトのアルギの妹ヒルダとチカの恋の予感を抱かせつつ終り。「サクリファイス」の読了時、チカがヨーロッパで戦う次作の「エデン」を強烈に読みたくなったが、これまた変化を期待できるシチュエーションの終わり方。続編がホントに楽しみだ。

◼️新潮文庫編「文豪ナビ 川端康成」

たまには一歩離れてみるのもいいかな。やっぱ「雪国」はキレキレだと思う。

「川端康成おすすめコース」や「雪国」「山の音」「眠れる美女」を10ページほどのハイライトにしたもの、声に出して読みたい文章特集、石田衣良と角田光代のエッセイ、そして作品の解説も絡めた川端の評伝で構成されている、薄い本。

ハイライトで読んでも、やっぱり「雪国」はキレキレだ。有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」の次の「夜の底が白くなった。」ではっきりとした景色を想像する。チャイコフスキーがピアノ協奏曲で、出だしのタタタタン、ジャン!という5音で誰しも憶えるフレーズを作ったように、川端は2つめの短い、簡単な一文で心を掴む。

電車の窓に映った葉子と夕景色、そしてクライマックスの天の河と火事の色彩。うーむ。正直駒子との恋愛はあまりどうでもいいのだが、この作品は本当に映像的で、刺さる美しさがある。

さて、ここ数年で熱狂的なファンを持つ太宰治や宮沢賢治、芥川龍之介を読んできた。それはどうして、そこまで好きな人がいるんだろう、という好奇心も強かった。いまも分かるような、分からないような感覚である。

ひるがえって川端康成はこの本で石田衣良が書いているように「雪国とノーベル賞のふたつを連想し、神棚に祀りあげてお仕舞いという感がある。」と思う。うーん、成熟した大人の作家感がありすぎるからだろうか。誰もが知ってるけど人気があるとは言えない。でもま、それもまた孤高の美しさを保つ要素のような気がしたりして。

風景ばかりでなく、川端は女性の美を、文章表現で、物語として、直接的に、積み重ね練り上げたもので、研いだような感性を操り描いていると、よく思う。川端の描く女性の美しさはどんなものだろうと探してみたくなる。「伊豆の踊り子」の薫、「雪国」の葉子、「古都」の千恵子、「山の音」の菊子、そして「千羽鶴」のゆき子・・。映画になっている作品も多いが、このヒロインたちには特別なものがあって、おいそれと想像も形を結ばない。

「眠れる美女」はまだ未読だが、中でだいぶ出てきた短編集「掌の小説」は持っているから読んでみよう。

まだまだ川端シンドローム。

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